あやかしの棲む家
もう一通はこれから書き直すんだが、俺自身に渡るようにして欲しい。封はあらかじめ、特殊な術で俺以外は開封できないようにしておくが、ちゃんと俺の手に渡らないと困る。俺に渡すと言っても、俺が生まれてから渡しても遅い。あらかじめ先祖に託しておいて欲しいんだ」
「畏まりました」
椅子に腰掛けた克哉は引き出しから手製の煙草を取り出した。
「ついでに言っておく。俺が死んだらあの洞窟の一番奥に埋めてくれ。あの場所に瑠璃亜も埋まってるんだ。それから、こっちの引き出しに入ってる中身を全部、あそこにある石の入れ物の中に収めてもらえるとありがたいな。実はあの中には瑠璃亜の写真も入ってるんだ。写真と言ってもわからないか、この時代の人間たちはまだ発明していないが、鬼たちはすでに持っていて驚いたよ。実はあの石の入れ物も鬼の道具なんだ」
しゃべりながら手紙を書いていた克哉が、後ろにいる菊乃のほうを振り向いた。
「娘たちを呼んできてくれないか? 死ぬ前に話したいことがいくつもある」
「畏まりました」
頭を下げて菊乃は屋根裏部屋をあとにした。
それが菊乃が克哉と交わした最期の言葉だった。
双子の姉妹を探してここへ連れてきたときにはもう、克哉は事切れていた。手紙は書き終えており、机でそのまま死んでいた。手に持った煙草の火も消えていた。
克哉が亡くなってからしばらく経ったある日、屋敷に客人が尋ねてきた。
客人などありえない話だった。
少なくとも、これまで客人はただの一度も屋敷を訪れたことはない。
玄関で出迎えた菊乃。出迎えたと言うより、外に出ようとしたら、そこに立っていたのだ。
翁面の老人。
すぐにそれがいつか克哉が話してくれた老人だと菊乃は察しが付いた。
「どなた様でございますか?」
「名乗る名前は特にない。約束のモノをもらいに来た」
このしゃがれ声は一度聞いたら忘れられない。耳障りが非常に悪い。
「約束のモノとおっしゃいますと?」
「三つになった双子の片割れをもらいに来た」
「そのような約束、わたくしは聞いておりません。どうぞお引き取りを」
「この屋敷の主人はおらんのか? 彼と直接話せばわかること」
「……ご主人様はお亡くなりになりました」
「それは難儀な難儀な、しかし双子の片割れはもらっていくぞ」
強引に屋敷の中に老人は入ってこようとする。菊乃は両腕を伸ばして立ちはだかった。
「ここから先は通すわけにはいきません。ご息女には指一本、一目たりとも会わせるわけにはいきません」
「契約は守らねばならんぞ。抵抗など無力なり無力なりと心得よ」
と、言った老人のほうが抵抗をやめて、強引に屋敷に入ろうとすることをやめた。
あきらめたわけではなく、屋敷に入る必要がなくなったのだ。
廊下の向うから声が聞こえてきた。
「いたい、いたい、やめて瑶子」
「放しなさい、どこに連れて行く気なの!」
双子の姉妹が瑶子に引きずられてやって来る。
菊乃は瑶子の瞳を見つめた。虚ろだ。まるで魂が入っていないような眼をしている。
老人が笑う。
「ふぉふぉふぉっ、よい子よい子、久しぶりじゃったな瑶子、元気にしておったか?」
瑶子からの返事はなかった。二人は知り合いなのか。少なくとも、この老人は瑶子の名を知っていた。
目の前で双子のどちらかが連れ去られようとしている。そうとわかっていても、菊乃は動くことができなかった。得体の知れない老人が、これ以上になにをしてくるかわからない。それに克哉の望みは違うところにあるだろう。
「わかりました、強引な真似はなさらないでください。話し合いをして、ご息女の意思を最大限に尊重するというのはどうでございますか?」
「よかろう」
老人は深く頷き、屋敷の中に足を踏み入れた。菊乃の横を通り過ぎるとき、老人は巻物を手渡した。
「手土産じゃ。蜘蛛の飼い方が書いてある」
蜘蛛とはつまり、言わずとも。
老人は自分の家のように、無遠慮に荒々しく屋敷の中を進む。菊乃はあえて止めもしなければ、適当な部屋への案内もしなかった。
「ここがよい。当主の部屋に相応しい場所じゃ」
老人が立ち止まった先には固く閉ざされた戸があった。封印がなされている。
「そこは!」
菊乃が止めようとしたときには、老人は御札を破って部屋の戸を勢いよく開けてしまっていた。
静まり返っていた。
部屋の中は蛻[もぬけ]の殻だった。
これは嵐の前の静けさか。いや、嵐などそこにはなく、雲一つない、本当になにもない部屋だった。
はじめからなにもいなかったのか。
「中にいた鬼はどうなさいましたか?」
と、菊乃が老人に尋ねた。
「さてさて、鬼とはなんぞや?」
惚けているのは明らか。老人は迷わずこの部屋を選んだ。追求はしたいが、材料もなく、強硬な追求は波風を立てる結果になる。菊乃はそれ以上の追求はしなかった。
広い座敷に四人が座った。瑶子は虚ろなまま部屋を出たすぐの廊下で待っている。美咲、美花、菊乃と横に並び、向かいにひとり老人が座っている。
「わしから話そう。双子の片割れをもらいに来た。ここの主人と奥方と約束をしておったのじゃ」
すぐに反応したのは美咲だった。
「そんなの嘘よ!」
叫びながら見たのは菊乃の顔。
「本当でございます。病床の克哉様から聞いておりました」
これは嘘だ。菊乃は克哉が老人となにかしらの約束をしたとは聞いていたが、その内容は克哉も思い出せなかったのだ。
「嘘よ、嘘よ、お父様がそんな約束するはずがないわ。私たち姉妹を引き裂くなんて、お父様が考えるはずもないもの!」
叫びながら美咲は菊乃に飛び掛かっていた。
「やめて美咲! 菊乃に八つ当たりしても仕方がないわ」
「美花はいいの? いいなんて思っているわけがないわよね。私がそう思っているのだから、あなたも同じ気持ちのはずよ!」
「わたしだって、でもそれがお父様の望みなら……」
「いいわけないでしょう!」
話し合いにもならない。
ついに美咲が部屋を飛び出してしまった。
話し合いは完全に決裂だ。
老人も席を立った。
「三日後にまた来よう。それまでに返事を聞きたい。どちらがわしの元へ来るか。一生わしの元で暮らすわけではないと付け加えておく。四年じゃ、七つになったとき、片割れを返しに来ると約束しよう」
部屋を出ようとする老人の背中を美花が追った。
「お話がっ……あります」
「なんじゃな?」
二人の成り行きを菊乃は口も挟まずただ見守った。
作品名:あやかしの棲む家 作家名:秋月あきら(秋月瑛)