あやかしの棲む家
「俺だって嫌だ。美花ちゃんを置いていくことになるんだからな。だが美花ちゃんは殺される心配はない。となるとお前をどうにしかしなきゃならんだろ!」
「…………」
大人しくなったるりあを助手席に乗せ、スバル360は走り出した。
すぐに正面が見えてきた。固く閉ざされている。一度車から降りなくては先に進めない。
下車した克哉は門を開く。扉が中心から左右に口を開け、外の世界が見えた。
再び車に戻った克哉はゆっくりとアクセルを踏んだ。
「うっ!」
呻いた克哉。横では同じくるりあも苦しそうにしていた。
胸を締め付けられる感覚。
見えない壁と座席に板挟みにされ、押しつぶされる。
「馬鹿な……外に出られる筈じゃないのか……」
車ごと後ろに引きずられている。正確には、るりあと克哉を釣り針にして、車ごと動いているのだ。
まるで屋敷に手繰り寄せられている。
屋敷を囲う見えない壁など存在していなかった。
そこにあるのは引き戻す見えない力だ。
座席との磔から解放されたるりあは車から一目散に飛び出した。
克哉がるりあの背に手を延ばす。
「待て!」
るりあは待たなかった。
向かったのはあの鳥居だ。
すぐ後ろから克哉が追ってくる。
細道を進み祠の中へ。
闇に灯る明かり。祠の中には先客がいた。二人の影。
燭台を持つ菊乃と、壺を大事そうに抱える――。
「美花ちゃん?」
と、克哉はつぶやいた。
少女は鋭い眼をして首を横に振った。
「美咲よ」
克哉はすぐにるりあの手を引いて祠から出ようとした。
しかし、るりあはその場から動かない。
「逃げるぞ!」
再び克哉は手を引いて、出口に首を向けた。
遠い向こうになにかが見える。
鳥居の先で小さな影がうろついている。その手元でなにかが妖しく輝いている。よく見えないが、おそらく刃物。
驚いた克哉は祠の中と外にいる少女を見比べてしまった。
――同じ。
外にいる少女がこちらを向きそうになり、克哉はるりあを押して祠の奥に飛び込んだ。
るりあの目の前に美咲。だが、美咲はるりあに手を出そうとしない。
克哉は眉をひそめながら美咲を見つめた。
「ほんとに美咲お嬢様か?」
頷いたのはるりあ。
美咲は微笑んだ。
「お前を殺そうとした相手の顔は見分けられるようね」
やはり美咲はるりあを狙っていた。
菊乃が三人を奥へと促す。
「まだ出ない方が良さそうでございます。どうぞ中へお進みくださいませ」
四人は祭壇のある突き当たりまで進んだ。
美咲を警戒しているのは、るりあよりも克哉だった。その物腰と雰囲気、向けられている視線に美咲も気づいたようだ。
「私を警戒しているの? そんなに私は殺気めいたものを放っているかしら?」
「るりあを殺させはしないぞ」
「もうどうでもいいわ、そんなこと」
「ん!?」
克哉は驚いた。
るりあが逃げ出さなかった理由はこれかもしれない。襲われたときとは違う、美咲の雰囲気を感じ取っていたのかもしれない。
なにが美咲に心境の変化を与えたのか?
外にいる美花が関係しているのかもしれない。
克哉は美咲と菊乃に視線をやった。
「静枝さんになにかあったそうだな?」
「死んだわ」
美咲が冷たく言い、さらに続ける。
「美花に殺されたの」
それを聞いた克哉は驚かずに、複雑で、悲しげな表情をした。
「まさかと思ったが……瑶子ちゃんを殺したのもそうすると……」
その言葉と重なるように、美咲もなにかをつぶやく。
「美花だったものに……」
だったもの?
ここで菊乃が口を挟む。
「見抜けなかったわたくしにも責任がございます」
「なあ、いったい美花ちゃんになにがあったんだ?」
と、克哉は美咲と菊乃の顔を交互に見た。
美咲は祠の外へ向かいながら口を開く。
「美花の皮を被った化け物がいるということよ。いつからあれは美花ではなかったのかしら。この屋敷に美花が帰って来てから、それとも外の世界で、あるいは生まれた時にはすでに?」
克哉は美咲を追う。
「馬鹿な、俺の知ってる美花ちゃんは!」
「演技だったのかもしれないわ。双子の私を騙すくらいですもの!」
激しい怒り。美咲は怒号を祠に残し外に出た。
細道を進み鳥居をくぐると、美花が待っていた。手には血塗られた包丁。
美花が向けてきた凶器を受け流す美咲のこの上ない妖しい笑み。
「これが欲しいのでしょう?」
そう言って美咲は持っていた壺のふたを開け、逆さまにして中身を地面にぶちまけた。
ぼと、ぼとぼと……。
不気味な音を立てて落ちた肉。
薄紅色のそれはまだ動いていた。
幾つもの、幾つもの心臓。
壺の中に入っていたのは生きた心臓だった。
美花が限界まで眼を剥いた。
高く上げられた足が心臓をひと思いに踏みつぶそうとしている。
菊乃が叫ぶ。
「それは危険でございます美咲様!」
だが――遅かった。
耳を塞ぎたくなるほどの絶叫。
それとほぼ同時、屋敷が天から巨大な足で踏みつぶされたように潰れた。
屋敷の一室で崩れる天井を見上げながら横たわり、全身の殺傷痕から染み出した血で彩られた慶子は、艶笑を浮かべながら呟く。
「嗚呼、魔法の洋燈[ランプ]が甘美に喘ぎなから壊れる」
屋敷の外では突風が吹き荒れた。
禍々しいほどの風。
かまいたちがるりあの頬に朱い一筋を奔らせた。
吹き荒れる風が呪詛めいた音を鳴らしている。
眼を剥いたまま仰向けになって息絶えている美花。
克哉、美咲、菊乃は地面に這いつくばって、なにかに身動きを封じられているようだった。
無理矢理に立ち上がろうとした菊乃の肩が外れた。一度立ち上がったが、片膝をついてしまった。全身が重く重力に引っ張られているようだ。
それでも菊乃は歩こうとしていた。
「狙いはやはり……怨念がるりあ様に……」
菊乃の声は芯こそしっかりしているが掠れている。
どうにか顔だけを動かせた克哉は、その視線をるりあに向けた。
「どうなってやがる!?」
いったいなにが起きたのか?
あまりのも突然で、あまりにも理不尽な力。
るりあと菊乃の眼が合った。
ひねり潰すという言葉があるが、今起きたことは言葉一つ一つの意味のまま。
るりあによって菊乃の腕や脚や胴体がひねり引き千切られ、一瞬のうちに丸めて潰された。なんと無残なことを。だが血は一滴も出なかった。そして、ひねり潰されてもなお、菊乃は生きていた。
「……さま……やつらの……うを……」
途切れ途切れだった言葉は、完全に途切れた。菊乃はもう動かない。
恐ろしい眼をしたるりあは跳躍し、美咲に飛び掛かり心臓を手でひと突きにした。
美咲は絶命した――心臓を喰らわれながら。
血だらけの手と口で肉を貪る幼女の姿。
まさにそれは鬼だった。
克哉はるりあと眼が合った。
行っている業に反する哀しげな表情。るりあは泣いていた。
「嗚呼、記憶が蘇る……おらは……なんということを……」
血に染まった両手を涙が落ちる。
今のことが嘘だったように、るりあは眼を血走らせて憤怒の形相を浮かべた。
「お前の苦しみはわしたちの慰めじゃ!」
作品名:あやかしの棲む家 作家名:秋月あきら(秋月瑛)