あやかしの棲む家
異界の少女
それは運命の糸が辿り着いた先。
結ばれている限り、そこで必ず出逢うのだから。
彼[か]の面[も]のは呼ばれて此処に来た。
屋敷の中を案内し終わった瑶子は、次に庭を案内することにした。
遠くに見えてきた鳥居を指差す瑶子。
「あそこに見える鳥居の先には祠があります」
「どんな祠ですの?」
と、慶子は尋ねた。
「すみません、鳥居にはあまり近づかないですし、祠にも入ったことがないので、具体的には答えられないんです」
「なら今日は一緒に祠に入ってみましょう。それがいいわ」
「そ、それは……なんだか怖いですし」
「大丈夫よ、一緒に入りましょう」
慶子は不安そうな瑶子の背中を強引に押した。
鳥居から続く細道の先で、祠が口を開けている。
背中を押され、瑶子は鳥居をくぐろうとしていた。
「駄目です、これ以上は……あれっ?」
「どうなさいましたの?」
慶子は背を押していた手を離した。
何かを見ている瑶子。
その何かとは?
「……糸」
つぶやいた瑶子。
慶子は瑶子の背で妖しく微笑んでいた。
「どこに糸なんてあるのですの?」
「えっ、見えませんか? 眩しいくらいに輝いている糸があるじゃないですか?」
その糸に瑶子は手を伸ばした。
細道のずっとずっと先まで伸びている糸の先。
糸の先には何がある?
瑶子は瞳に色を宿さず糸を手繰[たぐ]り寄せた。
引き寄せようとすると、張り詰められる糸は、その先に何かがある証拠。
ぐいっと瑶子の躰が逆に引っ張られた。
向う側からも力が掛かっている。
糸の先で空間が歪んでいる。
その先で蠢く塊。
あの先にいるのはいったい何か?
慶子がつぶやく。
「まるで芥川龍之介の小説。糸が切れないように、今度こそしっかりと手繰り寄せてあげなさい」
糸の先に群がる亡者ども。
まるで地獄から極楽を目指す罪人たち。
その光景は芥川龍之介の描いた蜘蛛の糸。
糸の群がる者どもは、老人のような顔をした毛のない猿のような者ども。
かの小説では、カンダタは己だけが助かろうと、糸にぶら下がり下から群がってきた者を落とそうとした。そして、糸は切れてしまうのだ。
しかし、ここにカンダタはいない。
先頭で糸を掴んでいるのは、角の生えた少女。
少女は他の者を蹴落とすこともせず、ただ黙々と糸にしがみついている。
不気味なものどもは、少女の服や腕や首、髪までも、掴めるところならばどこでも掴んだ。
必死なのだ。
こちら側にこようと必死なのだ。
そこまで必死にさせる理由は何か?
こちら側に来たいからか?
それともあちら側を出たいからか?
兎にも角にも、必死に藻掻いている。
髪の毛を引っ張られた少女の顎が上を向く。苦痛の表情をするが、声は出さない。
瑶子は糸を手繰り寄せ続ける。決して自ら糸の先に近づこうとはしない。境は鳥居。鳥居が隔てる境界線。
少女の腕が鳥居をくぐり、そこに掴まっていた枯れ木のような手が崩れ落ちるように離れた。
墜ちていく。
次々と不気味なものどもが墜ちていく。
少女の頭や肩が鳥居をくぐると、さらに墜ちた。
ぼろぼろと剥がれ墜ちていくのだ。
あと少し、あと少しで少女の足が鳥居をくぐる。
不気味なものは執念深く少女の足首に爪を立てしがみつく。
呻くような声が聞こえてきた。
「極楽……極楽……」
不気味なものが念仏でも唱えるように呻いている。
慶子は微笑んだ。
「こちら側も地獄ですのよ」
少女は完全に鳥居をくぐり、最後に残っていた不気味なものもついに墜ちた。
もう糸はない。
歪んだ空間もなかった。
はっとして我に返る瑶子。
足下には今にも絶えてしまいそうな息づかいの少女。慌てて瑶子は少女を抱きかかえた。
「だいじょうぶですか?」
「…………」
返事はなく、息も果てそうだが、少女の眼は業火を宿したように、瑶子を睨みつけていた。
慶子は瑶子の肩越しに少女を覗き込んだ。
「角がありますのね、この子。まるで人を喰らう鬼のよう」
「きゃっ」
急に少女は瑶子を押し飛ばし、髪の毛を振り乱しながら、駆け出してこの場から逃げてしまった。
素早い動きでもう少女は影も形も無い。
唖然とする瑶子。
慶子が声をかける。
「早く探さなくて宜しいのですの?」
「あっ、はい! 案内の途中ですけど失礼します」
お辞儀をして瑶子は駆け出した。
残された慶子も瑶子が消えてしばらくしてから、ゆっくりと歩き出した。
「あたくしの手を煩わせるなんて、瑶子、あなたはなんのために此処にいるのかしら」
呟いた慶子はなぜか愉しそうな顔をしていた。
髑髏の丘。
地面に掘られた大きな穴は、いつしか骨で埋まり、なにかの拍子に頭蓋骨が頂上から転がり落ちるほど、骨が積み上がっていた。
「ここにいたんですか、探しちゃいました」
後ろから声を掛けられて少女は振り返った。
立っていたのは瑶子。
「もう逃げないでくださいね。取って喰ったりなんてしませんから」
冗談なのか、瑶子はにこやかに笑って見せた。
少女は瑶子を睨んだまま動かない。警戒しているのは間違いない。
髑髏の丘。角生えた少女。詰め寄る瑶子。
角生えた少女は異様と言えるが、ここにあるモノたちはさらに異様だった。
静かに瑶子が近づいてくる。
「だいじょぶですよ、だいじょぶですからねぇ〜」
近づいてくる瑶子を前にして、少女は左右に目をやり確かめた。
地面を蹴り上げ、一気に駆け出した少女。
しかし、腕が掴まれた!
逃げようとした少女の腕は、瑶子によって強く握り締められていた。
「だいじょぶですから、ね。逃げないでくれますか?」
少女が己の姿が見えるほど、瑶子の瞳が近くにあった。
腕を掴まれ、こんな間近まで詰め寄られても、少女はなおも逃げようとした。
激しく腕を振り解こうとする。何度も何度も振った。思いのほか瑶子の力は強く、まったく振り解けそうになかった。
このままでは逃げられないと知るや、少女は己の腕を掴む瑶子の手に噛み付いたのだ。
「痛っ」
顔をしかめて短く漏らした瑶子。それでも少女の腕を放さなかった。
「だいじょぶですよ。ほら、怒ったりしませんし、あなたに危害を加えたりしませんから、ね?」
手の甲から滲む鮮血。
傷を負いながらも瑶子はにっこりと笑っていた。
緊張の糸が極限まで張り詰める。
睨む少女。
微笑む瑶子。
表情こそ違えど、二人はせめぎ合いた。
しばらく二人は動かなかった。決して眼を離さず、その瞳の奥から相手の心を探るように。
そして、勝ったのは瑶子だった。
少女の全身から無駄な力が抜けるのがわかり、瑶子は腕を解いた。
「お名前は?」
「…………」
腕を解いても逃げることはなかったが、警戒は解けたわけではないらしい。少女は未だに睨みを効かせている。
「傷の手当てをしてあげます。だから一緒に行きましょう?」
瑶子の目の前にいる少女は躰中に傷を負っていた。それはあのものたちが付けた傷だ。この少女と共にこちら側へ来ようとしていた不気味なものども。彼らは肉を抉るほど強く少女にしがみついていたのだ。
少女からの返事はなく、動こうともしない。
作品名:あやかしの棲む家 作家名:秋月あきら(秋月瑛)