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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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 その血はいつ付けられたものなのか?
 鏡には誰も映っていなかった。
 すぐに瑶子は鏡に布を被せて鏡面を隠した。
「こんな鏡処分してしまってはどうですか?」
 髪を梳くときに布は被されたまま。鏡として機能していない鏡。さらに静枝は鏡に怯えているようだ。瑶子の意見は至極まっとうである。
 しかし。
 激怒の形相を浮かべながら静枝は、無言で瑶子の頬に平手打ちを喰らわせた。
「痛いっ!」
 瑶子は頬を抑えながら床に崩れた。
 そんな瑶子には気遣いもせず静枝は部屋を出て行く。
「菊乃! どこにいるの菊乃!」
 広い屋敷に静枝の叫び声が木霊した。
「ここにおります静枝様」
 菊乃が廊下の影から姿を見せた。
 すべては嘘だったと言わんばかりに、静枝は靜かにそこに立って艶やかに微笑んでいた。
「なんでもないわ」
 と、静枝は言ったのだ。
 菊乃が姿を消した途端に静枝は床に膝を付いて、胸を鷲掴みにして玉の汗を額から流した。
 苦しげな姿をする静枝だったが、その顔は嗤っていた。
「無駄な抵抗はやめなさい」
 戦慄すぐほど冷たい口調で静枝は言った。
「……早く……わたしの躰から出て行きなさい……」
 今度は苦しげな口調で静枝は言った。
「これはわたしの躰よ。それをお姉様が奪った」
 同じく口から発せられている言葉。
「静香の振りはやめなさい……わたしは絶対に……お前を追い出してやる!」
 独り言とは思えない。
「わたしは本物の静香。お姉ちゃんに殺されなければ、この血も肉もわたしのものになっていたのに」
 多重人格か、それとも?
「うるさい!」
 静枝は叫んだ。
 すぐに菊乃が駆けつけてきた。
「どうかなさいましたか静枝様?」
「なんでもないわ」
 静枝は何事もなかったようにしていた。
 さらに瑶子も駆けつけてきた。
「ど、どうかなさいましたか静枝さま!」
「なんでもないわ」
 表情はそう言っているが、大量の汗は隠せない。
 菊乃もその汗を一瞥したが、特に触れようとはしなかった。
「そうでございますか、それならよろしいのですが」
 一呼吸置いて菊乃は口を開く。
「もうすぐ美花様が到着する頃合いでございます」
「嗚呼、やっと娘と逢えるのね。この日をどんなに待ちわびたことか」
 恍惚とした表情で静枝は艶笑した。不釣り合いな表情に思える。
 瑶子は張り切った様子で笑顔を浮かべた。
「お屋敷にお掃除はばっちりです!」
 菊乃が瑶子に顔を向ける。
「るりあを探してどこかに押し込めておいてください」
「えっ、るりあちゃんをどうしてですか?」
「美花様に粗相をしてはなりません」
「るりあちゃんはそんな悪い子じゃないですよぉ」
「早くるりあを探してください。わたくしは美咲様にお知らせしたのち、外で美花様をお待ちいたします。静枝様はご自分のお部屋でお待ちくださいませ」
 菊乃は早足で去ってしまった。
 仕方なく瑶子はるりあを探しに行く。
 静枝は自室へと足を運ばせた。
 足取りは重い。
 静枝は足を引きずるように歩いていた。
「抵抗しても無駄。この躰はもうわたしの物なの。お姉様のことを消さないであげているのは、最後の仕上げが残っているから。運命は変えられない、殺されるのはどちらかしら……キャハハハハハ楽しみ!」
 自室に戻ってきた静枝は、部屋の中心に座布団を敷き、静かに正座した。
 静けさが部屋を満たす。
 音はとても静かだ。
 しかし、空気は違う。
 一見して静かに座っている静枝だが、その顔は込み上げてくる嗤いを抑えられないようだった。
 まさに般若。
 般若面を被ったような静枝がそこにはいた。
 時が刻まれる。
 どれほど経った頃だろうか、すぐ近くの廊下に足音が響いた。
 ふすまの向こうにある気配がある。
 少しふすまが開いて声がした。
「失礼いたしますお母様」
 部屋に入ってきたのは美咲だった。
「こちらに座りなさい。もうすぐ貴女の妹がこの屋敷に帰ってくるわ」
「いつにこの日が来たのね」
「わかっているわね美咲さん?」
「…………」
 美咲は無言で座布団に座った。
 いったい何がわかっているというのか?
 愛おしそうな表情で静枝は娘の横顔を見た。
「わたくしが愛しているのは貴女だけ。わかっているわね美咲さん?」
「…………」
 美咲はなにも答えない。
 そこから二人は無言だった。
 端から見れば気まずい空気だが、二人がどう思っているのかはわからない。
 それからだいぶ時間が経ち、廊下から気配が部屋に近付いてきた。
 ふすまが開かれた。
「は、はじめまして……」
 美咲と同じ顔がそこに現れた。
 少し驚いた様子の美咲だったが、それ周りに悟られぬ前に表情を固くした。
 自分の痣に目を奪われている美花に静枝は静かに笑いかけた。
「さあ、こっちへいらっしゃい美花」
 戸惑いながら近付いてきて、目の前に座った美花の手を静枝は優しく握った。
「逢いたかったわ」
「わたしもです」
「そちらのいるのがあなたのお姉さんの美咲よ」
「こんにちはお姉さま」
 美花が笑いかけると、姉の美咲は不機嫌そうな顔した。
 不安げな表情をする美花の手を静枝は愛でた。
「綺麗な手……美咲にそっくりだわ」
 そう言いながら静枝は美花の手を自分の頬にこすりつけた。そこはあの醜い痣がある場所。
 艶やかな舌を伸ばして静枝は美花の手を舐めた。
「わたくしが食べてしまいたいくらい」
 囁いた静枝。
 その口は大きく開かれ、美花の指を呑み込もうとした。
 咄嗟に美花は手を引いて逃げた。
 なぜだか静枝は嬉しそうな表情だった。
「まだ来たばかりで戸惑うのはわかるわ。でも大丈夫、あなたはわたくしの娘なのですから、すぐにこの家にも慣れるでしょう。美咲、この屋敷を案内してあげなさい」
「はい、わかりましたお母様」
「わたくしは用事があります。夕食の時にまた会いましょう」
 背を向けて静枝は部屋を出る。
 二人の姉妹に見えないその顔で、静枝は込み上げる嗤いを必死に抑えていた。
 そして、部屋を出て廊下を出すと、小さく小さく呟いたのだった。
「残念だったわねお姉様。姉妹はもう出逢ってしまったわ。運命の筋書き通りに」
 クツクツと静枝は嗤った。