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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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紅い世界


 それは運命の糸が繋ぐ時の流れ。
 幼女は今日も髪を梳く。
 鏡に映り込んだ瓜二つの幼女。
 髪を梳いていた幼女は鏡越しに尋ねる。
「どうしたの静香[しずか]?」
 鏡に映っていたのは妹の静香。
 そして、髪を梳いているのは姉の静枝。
 二人は三つになるが、その見た目は六歳程度。
「お母様がお姉様を呼んでお部屋にいらっしゃいって」
「嫌よ、忙しいの。見ればわかるでしょう?」
「なにか大事なお話があるそうなの」
「大事な話?」
 不思議そうな顔を静枝はした。
 部屋に第三者が入ってきた。
「失礼いたしますお嬢様方」
 現れたのは表情に乏しい侍女姿の少女――菊乃。
 菊乃はすぐに言葉を紡いだ。
「智代[ちよ]様がお二人をお呼びになっております。早く智代様のお部屋へ」
 静枝は鏡に顔を向けたままだった。
「嫌よ、忙しいの」
 いつも静枝は時間さえあれば身だしなみを整えていた。はじめは母の真似をしたごっこ遊び。それがいつしか、女を目覚めさせた。
 歳は三つ、見た目は六つ、しかしその表情はすでに女の片鱗を覗かせている。
 一方の静香はまだ幼い表情だ。
 見た目は一卵性双生児だが、中身はどうやら違うらしい。
 菊乃は静香を見つめた。
「では静香様だけでもお出でください」
「うん」
 静香は不安そうな顔をして、後ろ髪を引かれながら菊乃と共に部屋をあとにした。
 ずっと鏡を見ていた静枝だったが、静香がいなくなってしまった途端、素早く後ろを振り向いて唇を噛みしめた。
 そして再び、鏡に顔を向けて髪を梳かしはじめる。
「きゃっ!」
 短い悲鳴をあげた静枝。
 鏡に一瞬、影が映り込んだような気がした。
 女の顔。
 おぞましい顔をした女の顔。
「だれか、だれか来て!」
 叫んだが誰も来ない。
 急に恐ろしくなってきた静枝は部屋を飛び出した。
 鏡に映った女の顔が頭を過ぎってしまう。
 その女の顔には大きく醜い痣があった。
「だれなのあれ……」
 見覚えのあるような顔だった。
 閉鎖された世界で過ごす彼女にとって、見覚えのある顔は少ない。
 すぐに静枝は首を横に振った。
「違う……お母様じゃない。ぜんぜん別人……でも似ていたわ」
 考えても静枝にはわからなかった。
 部屋を飛び出した其の足で静枝は母の部屋に向かった。
 固く閉じられたふすまを開けると、そこは蛻(もぬけ)の殻。
 すでに母の姿も、静香の姿もなかった。
 静枝は廊下を見渡した。
 気配はない。
 それから屋敷中を探し回ったが、誰もいなかった。
 まだ探していない場所は、そう赤い御札が貼られた部屋たち。
 札を貼られ、固く閉じられた部屋を前にして、静枝は動けなかった。
 部屋の中に何かがいることは知っている。
 それがなんであるかは知らない。
 恐ろしいものだということはわかる。
 静枝は駆け出した。
「菊乃! 瑶子! だれかいないの!」
 玄関まで走っていくと、ちょうど外から智代と菊乃が帰ってきた。
 智代はまだ十代の容姿であったが、物腰は落ち着きを払っていることから、妙な妖しさを兼ね備えていた。
「どうしたの静枝さん?」
 母に微笑みかけられた静枝は身を強ばらせた。
 静枝は知っていた。
 目の前の女は笑っていても、静かな物腰をしていても、目の奥にはいつも不気味な輝きを湛えていることを――。
「なにもありませんわお母様」
「そう」
 短く言って智代は歩き去っていた。
 菊乃も同じく静枝の横を通り過ぎようとしたが、静枝は素早くその腕を掴んで制止させた。
 もう母の姿はない。
「どこへ行っていたの? 静香は? 瑶子もいないなんて、あの馬鹿」
「瑶子は急病で伏せております。静香様はこの屋敷を出て行かれました」
「え?」
 静枝は理解できずに驚いた。
 すぐに静枝は怒りの表情を浮かべた。
「嘘をつかないで、私のことを馬鹿にしているの?」
「いえ、静香様はこの屋敷を出て行かれました」
「私を置いて静香が……そんな、だっていつも静香はどこに行くにも私にくっついて来て」
「どちらかおひとりが屋敷を出て行かなければならなかったのございます」
「嘘嘘嘘っ! 信じない、だって出ていこうにも庭の外には出られないじゃないのよ!」
「嘘ではございません。智代様にお聞きになってくださいませ」
「嘘つき!」
 静枝は強烈な平手打ちを菊乃に喰らわせた。
 しかし、菊乃は表情ひとつ崩さない。
 それを見た静枝はさらに怒りが増したが、どうしていいのかわからずとにかくその場から駆け出した。
 自室に引きこもると、畳の上に俯せになって唇を噛みしめた。
「嘘っ、嘘に決まっているわ」
 静香のいない世界。
 想像もしなかった世界。
 嘘か真か、母の元へ確かめに行かねばならない。
 静枝はその場を動けなかった。
 もし本当に静香がこの屋敷を出て行ってしまったとしたら。
 静香から血の気が引き、孤独な凍えが襲った。
 急に立ち上がった静枝は、目元を拭って部屋を呼びだした。
 早足で母の部屋へと向かう。
「お母様!」
 ふすまを開けると同時に大声で叫んだ。
「大声を出してどうしたの静枝さん?」
 智代は座布団に座りながら、顔だけを静枝に向けた。
「静香はどこへ行ったの?」
「この屋敷を出て行ったわ」
 同じ答えが返ってきてしまった。
 さらにあろうことか、智代は微笑んでいたのだ。
 静枝の心に渦巻く怒りと悲しみ。
 なのになぜ目の前の母は笑っているのだ!
「嘘よっ!」
 激しい静枝とは対照的に、智代は静かな物腰を崩さない。
「嘘ではないわ。親戚に子供のいない夫婦がいて、前々から貴女たちのどちらかを養子にくれないかと懇願されていたのよ」
「どうして静香が!」
「あの子、ここでの生活のすべてが嫌だったのよ。特に貴女に姉面されるのが嫌だったみたいね。同じ双子なのに、どうして静枝はわたしに姉面をするのか。あの子は進んでこの屋敷を出て行ったわ」
「なんでそんな嘘をつくの!」
「嘘ではないわ。あの子は自らの意思でこの屋敷を出て行ったのよ。でもわたくしはそれで良かったと思っているわ。だってわたくしが本当に愛している子は貴女だけ、貴女させ傍にいてくれればそれでいいわ」
「嘘嘘嘘っ!」
 涙を振り乱しながら静枝は部屋を飛び出した。
 廊下を駆けながら呪詛のように呟く。
「信じない信じない……嘘嘘嘘……全部嘘……」
 そして、子供とは思えない狂気の形相を浮かべた。
「すべて滅んでしまえ」

 女は今日も髪を梳く。
 鏡には厚布が被されている。
 その前で静枝は髪を梳いているのだ。
 静枝は髪の毛をまとめ上げて結わくと、ゆらりと立ち上がった。
 その瞬間、風もないのに鏡の布が落ちたのだ。
 紅い世界。
 血塗られた鏡の中に映った女の顔。
「きゃーーーっ!」
 映ったのは誰の顔だ?
 静枝は畳を這った。
「誰か! 誰か!」
 すぐに瑶子が急いでやって来た。
「どうかなさいましたか静枝さま?」
「嗚呼……が見てる……いやぁああああ」
 取り乱す静枝。
 答えは得られなかったが、瑶子は理由をすぐに見つけたようだ。
 掛けられた布が落ちている鏡。
 鏡は血塗られていた。
 大量の血はすでに乾いている。