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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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土蜘蛛


 それは運命の糸で編まれた住処。
 誘われた者、囚われた者は、捕食者によって今宵も狩られる。
 来る者は拒まず、去る者は逃さず。
 その幾つもの眼で獲物を捕らえ、その幾つもの足で獲物を追う。
 里の青年はそこで働く奉公人の少女に興味を持った。
 大人たちは無闇に近付きたがらない。
 しかし、青年はまだ心が幼かった。
 それは無知か無垢なのか。
 惹かれるとは引かれること。すなわち手繰り寄せられるということ。
 誰もが恐れる屋敷に青年は忍び込んだのだ。
 住人たちが寝静まったであろう夜更け。
 ――会いたいがために。
 屋敷の敷地には難なく忍び込むことができた。
 問題は屋敷の中にどのようにして入ることができるのか。
 この屋敷は普段から雨戸が閉め切られ、傍目からは閉鎖されているように見える。
 しかし、玄関の戸に手を掛けると、静かに開いたのだ。
 まるで誘われている。
 青年はそれを幸運と思った。
 逸る気持ちを抑えられず、青年は足早に廊下を進んだ。
 気配がした。
 闇の向こうで何かが蠢いている。
 ――手招きしていたのは、大蜘蛛。
「ぎゃああぁぁぁっ!!」
 青年は肝を潰し尻餅をついた。
 大蜘蛛がようすを伺いながら迫ってくる。
 生きたまま食い殺される。
 逃げなくて、逃げなくては、青年は床を掻きながら逃げようとした。
 しかし、その糸に一度絡め取られれば、逃げることなど叶わない。
 すでに青年の四肢は蜘蛛の糸によって捕らえられてしたのだ。
 青年の眼前で触肢が蠢いている。
 声も出せず口を開けていた青年の口腔に蜘蛛の消化液が流れ込んできた。
 大蜘蛛の接吻。
 まるでそれは生き血を啜るように見えるが、蜘蛛のは消化液によって獲物を体内から溶かし、それを飲み込み食事をするのだ。
 まるで躰が内側から焼けるよう。
 胃が腸が、じゅくじゅくと焼けていく。
 のどが爛れ、もう声すらも出せない。
 恐怖を味わい、苦しみながら、糸に囚われ暴れることもできず。
 最期の瞬間まで青年は悶絶しながら喰われて死んだ。
 やがて残された搾り滓。
 大蜘蛛が闇の中へと消えていく。
 しばらくして、その場に侍女の菊乃がやってきた。
 淡々と掃除をし跡形もなく、何事もなかったように終わる。
 やがて、朝を迎えれば、家族は何も知らず一日がはじまるのだった。

 眼を開けると、ぼんやりと人の顔が見えた。
「お目覚めでございますか?」
 すぐ近くでしゃべられているはずなのに、意識がはっきりとしないためか、遠くに聞こえる。
「あなたの名は瑶子。姓は土田、土田瑶子という名でございます」
「よ……う……こ」
「お上手です。そして、わたくしの名は菊乃」
「き……く……の」
「焦らずともすぐに喋れるようになります。三日もすれば前のように生活できるようになるでしょう」
 瑶子は躰を起こそうとした。
 うまく力が入らず、起き上がれない。手足の感覚も少し麻痺したように、鈍感になってしまっている。
「焦らずともと申し上げた筈です。無理をなさらず、もうひと時お休みなさいませ」
 菊乃は瑶子を寝かしつけた。
 虚ろな目をしてうなずいた瑶子。
 姿形は少女なのに、その表情はまるで赤子のよう。
 まん丸な瞳を瑶子は閉じた。
 まぶたの裏に広がる暗い暗い闇。
 その先に何かがいる。
 八つの眼。
 違う。
 それは青年の瞳に映った光景だった。
 眼の中に映り込んでいた八つの眼。
 そして、世にも恐ろしい表情をしている青年。
「きゃあああああ!」
 叫びながら瑶子は飛び起きた。
「どうかなさいましたか?」
 静かな声で菊乃は尋ねた。
 瑶子は震えたまま答えない。
 菊乃はそっと瑶子の手を握った。とても冷たい手だった。それでも握られていると安心です。
 記憶の糸を辿る。
 今見た光景はいったいなんだったのか?
 思い出せなかった。
 それどころか瑶子はなにも思い出せない。
 自らの名前でさえ。
 ようこ。
 呼ばれた感覚は違和感なく馴染んだ。
 きくの。
 傍にいる少女の名も違和感がない。
「あ……たし……は……だれ?」
 舌が回らない。
「名は土田瑶子」
「よ……う……こ」
「ご自分の顔をごらんになりますか?」
 瑶子は小さくうなずいた。
 すっと立ち上がった菊乃は引き出しから手鏡を取って来た。
 鏡面が瑶子に向けられる。
「だ……れ?」
 見知らぬ顔。
「それがあなたの顔でございます」
「よ……う……こ?」
「そのお顔が瑶子の顔」
「ようこ」
「発音がお上手になってまいりました」
 言葉を覚え、言葉を発音できる度に褒められる。まるで言葉を覚えた手の赤子のようだ。
 瑶子は再び起き上がることに挑戦した。
 今度は上半身が起き上がった。
 菊乃はすぐに瑶子の背に手を添えた。
「素晴らしい。そのまま立ち上がる気でございますか?」
 立ち上がろうとする瑶子に手を貸す。
 しかし、膝が震えすぐに瑶子は倒れてしまった。
 菊乃は瑶子の長い脚を揉んだ。
「焦らずともすぐに立てるようになります。歩けるようになったら、この屋敷を見て回りましょう」
「やしき」
「これからあなたが暮らす屋敷でございます」
「やしきでくらす」
「生まれたときからあなたはこの屋敷の奉公人。そして、使命は違えどわたくしも同じ奉公人。わからぬことがあれば、なんでもわたくしにお聞きください」
 生まれたときから。
 以前からということか?
 ならば失われた記憶もここにあるのか?

 目覚めてから一日目は寝床で過ごした。
 二日目の朝、何気ない動作で瑶子は立ち上がり布団から出た。
 まだこの部屋の外に出たことがない。
 躰が動くようにって、外に出ようかと迷っていると、菊乃がやってきた。
「わたくしがいない間にお目覚めになりましたか」
「はい、目が覚めてしまいました。とっても気持ちいい朝ですね」
 言葉もすんなりと出た。
「わたくしたちはご家族の誰よりも早く起きねばなりません。早く目が覚めることをよいことでございます。まずは着替えを済ませてしまいましょう。その姿でご家族の目に触れるのは失礼にあたります」
 菊乃は箪笥の中から瑶子の服を取りだして手渡した。
 少し粗末な着物と前掛け。
 瑶子は自分ひとりで着替えはじめた。
 寝衣を脱いだ裸体は手足が細くしなやかに伸びていた。
「きゃっ!」
 瑶子は短く叫んだ。
 躰に触れた冷たいもの。
 それは濡れ布だった。菊乃によって躰が拭かれる。手足の先から、顔まで、隅々まで拭かれるがまま。
「お躰を拭いて差し上げるのは今日まででございます。お躰が自由に動くようになった今、お一人で入浴して汗を流してください」
 躰を拭き終わると、着物に着替えるのも菊乃が手伝ってくれた。
 袖にその長い腕を通し、帯を締める。
 最後に前掛けを付ければ、すっかり姿はこの屋敷の侍女だ。
 菊乃は鏡台の前に瑶子を座らせた。
「髪を梳かし結いましょう。今はまるで乞食のような汚らしい髪です」
 鏡台の掛け布が取られた。
 正座をする瑶子の後ろで膝立ちをしながら菊乃は櫛を手に取った。
 瑶子の髪は細く艶やかで、それでいて弾力性があり強い。
 小枝が折れたような音。
「あっ」