竹殺物語《タケトリモノガタリ》
私は服を掴んで揺すってみました。それでも彼は動きません。
ドウシテネテルノ? ココハキケンナンデショウ? アブナイヨ。
私は指先で軽く叩いてみました。それでも彼は動きません。
ネェ、ハカセ。イッショニニゲヨウヨ。ネェ、ハカセ!
私は両手で強く叩いてみました。それでも彼は動……かない。
ハカセ、オキテ。
彼は動かない。
ハカセ、メヲサマシテ。
彼は動かない。
ハカセ、ワラッテ。
彼は動かない。
ハカセ――――ハカセ――――ハカ――――――
『ああアあ゛あアあああァぁァあぁぁア゛ぁぁぁァぁぁ゛ぁぁぁアああ゛アああアアあぁああァアアッ!!!』
私の中で何かが崩れさっていく。
とても簡単な事だ、その言葉はすでに学習していたし、意味も文字の羅列としてなら記憶していた。だけど、それがどういったモノなのか、どういった現象なのかは理解していなかった。そして理解してしまった。生命の“死”を。
生きとし生ける者全てに訪れるモノ。決して逃れる事の出来ないモノ。生命活動の停止。別れ。目の前の現象を表した言葉が私の頭の中に浮かんでは消えていく。もう一生会えない、ハカセは“死”んだんだ。
それを理解した途端、声が聞こえた。人の声とは言い難い、得体の知れない叫び声。それが自分の物だと認知するのに数秒の時間を要した。何だ、出るんじゃないか。もっと早く出す事が出来ていれば、彼を止める事が出来た。死なせずにすんだ!
そう考えると、外傷が無いのに身体はキシキシと痛み、胸の辺りが苦しくなった。
遠くから複数の足音が近づいてくるのが分かった。多分、ハカセを死なせた奴らだ。ハカセを、殺した奴らだ。
部屋の出入り口に頭から足までを一枚の布で覆い、色とりどりの服を着た人たちが現れ、黒く細長い物体を構える。私はゆっくりと立ち上がった。
「いたぞ! ターゲット発見、至急応援をよこせ!!」
「動けなくするだけでいい、破壊はするな! よし、撃て!」
また弾ける音。私の身体に強い衝撃が走り、後ろへもっていかれそうになるが踏みとどまり、倒れる事はない。それに何も感じない。痛みを、感じない。通常、攻撃を受ければ痛みは感じる物だと教わっていたが、私にはその感覚が無かった。それよりも身体の内側の方が痛かった。
ハカセは奴らに知られてしまったと言った。それは多分、目の前にいる人たちの事だ。こんな事になったのは奴らのせいだ。私は奴らを睨みつけた。
「ひいぃッ!」
「ちぃ、化け物め!!」
私の姿を見たある人は顔に恐怖の色を浮かべて腰を抜かし、ある人は蔑みの眼差しで焦りの表情をしていた。何故、そのような事を言われなければならないのか理解出来ない。私は、皆と一緒ではないのだろうか。
足を踏みだそうとしたその時、何かが倒れる音が聞こえた。そちらの方に顔を向けると、銀色をした箱のような物が倒れ、地面には透明な破片が散らばっていた。その破片に、私は自分の姿を見た。
ボロ布一枚を着て、その隙間から見える穴の空いた身体、そこから流れ出る赤い液体、半分しかない長い髪、黄金に輝く瞳、そして肌色と銀色の二つ分かれた顔。
――これが私なのか? いや違う、私は、私は皆と同じ人で……ッ!
「応援は何をしている!!」
出入り口にいる一人が声を張り上げる。
その声が混乱しかけていた私を我に返してくれた。心を落ち着かせ、彼らの姿を視界に入れる。
数は三人。一人は意識を失い倒れ、一人は壁を背にして震え、最後の一人だけがまだ私を警戒していた。奴さえなんとかすれば……。
――――ニゲナキャ。
ハカセが言った事を思い出した。実行しなくては。
身体に空いていた穴はいつの間にか消えてなくなり、私は姿勢を低くして出入り口へと静かに走り出す。身体が動く、まるで重さを感じないほどに。
『クヒ……ハハハハハハハハハハハハ!』
「ちぃ!」
こちらを気にしていた奴が懐から黒くて小さい物体を取り出し、向かってくる私にそれを構える。それが何なのか、たとえ形状が違っていても理解出来た。ハカセを殺したのと同じ物だ。
音が弾ける。黒い物から銀色で小さな弾が放たれるのが、私には見えたていた。身体を少し傾けて避け、速度を変えないでただひたすらに進む。
「もう覚えやがったか!!」
二発、三発と続けざまに放たれる銀弾を私は紙一重で避け、唯一の抜け道である出入り口上部の空間へ飛び込んだ。私の小さな身体は、奴の頭上と天井との間をすんなりと通り抜け、難なく通路への脱出に成功した。
「ひぃいいい!」
壁にもたれかけていた人が目の前にきた私を見て震え上がり、通路の左の方に逃げ出した。
「うわああああ!!」
その直後、天井が一気に崩れ落ち、逃げた人の姿は見えなくなってしまった。残された道は一つしかない、私は右の通路を走り出した。
「逃がすか!」
逃げる私の後ろから声が聞え、また音が弾ける。頬を銀弾がかすめて行ったが、ためらわず走り続けた。そのあと、また建物が崩れる音がした。私は振り返る事こそしなかったが、多分、走ってきた通路も塞がってしまったのだと思う。だって、私を追いかけてきた足音が途中で聞えなくなってしまったのだから。
★☆★☆★
相変わらず警報音は鳴り響き、目に映る世界は赤一色である。ある程度進んだ所で、私は走るのを止めた。一刻も早く通路を抜け、この場所から逃げたしたかったが、さっきまで軽かった身体が嘘のように重くなり、動かすのが精一杯だった。言う事を聞いてくれない足を引きずり、壁に手をつけながら一歩ずつ前へと進む。
『――!』
顔を上げた先に、それは突如現れた。通路左側にある扉の一つ、それが閉ざされていたのである。走っている間にもいくつかの部屋を通り過ぎたが、全て開けられているか、破壊されているかの二つしか見た事がなかった。それなのにこの扉は閉じたまま、そこに存在していた。
何故だろう、私はその部屋に入らなければならないような気がした。扉に近づき、そばにあったパネルに触れた。動き出したパネルが音を出して光り、扉のランプが赤から緑に変わってひとりでに開いた。
『!』
私は何かに導かれるかのように、その部屋へと踏み込んだ。後ろで扉が閉まる。途端、違う世界に迷い込んだのではと思った。先ほどまでの警報音が完全に消え、静寂に包まれたその空間は薄黄色の光に包まれていた。私はこの光景を見るのが初めてではないように感じた。部屋は広く、中心に配置されている物体以外、何一つ余計な物が無かった。
私は一歩ずつソレに近づき、見上げた。ソレは白色をしていて、とても大きく半球の形をしていた。私がソレに触れた瞬間、手を中心にして半球体に光が走った。私は驚いて手を引っ込め、後ろに下がった。
――――マスターを認証。起動します――――
どこからともなく、綺麗な声が聞こえた。同時に、私の前に段差が次々と現れて伸びていき、半球体の一部分が開いたように見えた。一瞬、ためらいはしたものの、足はその階段を上るために動き出していた。物体に開いた穴の中には椅子のような物があり、私はそれに座った。
――――接続開始――――
作品名:竹殺物語《タケトリモノガタリ》 作家名:零時