わがまま
2.
デビューして4年と半年経ったこの冬の月城蓮は、多忙を極めていた。
灯里と共にテレビ・ラジオ出演、雑誌の取材を受けたりとアイドル業のスケジュールが過密である上に、単独で舞台の仕事が入ったからだ。
元々は役者を目指していた蓮は、デビューして僅か経った頃から、映画やドラマへの出演も数々果たしていた。
今冬の舞台はまさか座長をまかされることとなり、考えることもこなすことも増量した挙句に、今は年明け早々に行うライブの準備も平行して進めている。
もちろん灯里にも単独の仕事はいくつかあったが、多忙さは明らかに蓮の方が酷かった。
相当に過酷なはずなのに、ひとかけらも疲れを見せることなく淡々と仕事に取り組んでいる蓮が、いつ御飯を食べて、いつ寝ているのか、灯里はほとんど把握出来ていない。
共にいる時間が急激に減ったからだ。
「そりゃあ俺も、仕事は真面目に丁寧にって心がけてるよ。でも多少は力抜いても怒られないと思うんだよ。お前のストイックさはいっそ病気だと思うんだよ」
「んんん、でもなあ」
電話の向こうで、蓮が苦笑いっぽくうなった。
今日は、忙しい冬のさなか、二人揃ってもらえたオフだった。
明日以降は当分休暇はないと覚悟して下さい、とマネージャーに通告されての今日なので、いかんせん喜びずらいところではあったが、それでも久しぶりに心行くまで睡眠を取れた昼下がり、灯里は携帯を首と肩ではさみながら、広めのベッドのまん中に座り込み、クッションを抱えて顎をのせた。
「ライブの構成は俺がメインで仕切るから、あとで手直ししたらいーじゃん」
「灯里だって忙しいだろ。負担かけたくないよ」
「そらこっちの台詞だっての。お前頑張りすぎて、倒れでもしたらどうすんだ。俺やるって」
言いながら、でも絶対うなづかないなと、灯里は知っていた。
月城蓮は、柔和な顔立ちで優しい雰囲気なくせに、とてつもなく頑固だ。
一度自分で決めた事は、絶対に覆さない。
そんな事はわかっていたが、それでも言ってしまうのは灯里の性分だった。
「心配なんだよ。蓮は、限界来てても気付かねえっぽいから」
「俺、結構タフだよ」
「けど」
「大丈夫だって。事務所もさすがに過労死はさせないだろ」
言ってのんきに笑う蓮に、灯里はだんだんと苛立ちを覚えていた。
例え死にはしなくても、人は過労で立派に倒れんだぞ。
(それに、疲れて集中力かけて)
「大きいケガとかしたら」
「俺の事より、自分の心配しなさい。風邪ひいたりしたら駄目だよ。年明けすぐ全力で踊ってもらうんだからね。そういえば先々週?咳き込んでたけど、それは大丈夫?病院行けた?」
「俺のことじゃねーよ。俺のことはいんだよ。今はお前の話!」
「本当に俺は大丈夫だから。心配しなくて平気だから」
宥めるように笑うから、どうしようもなくむかついてしまった。
気付いたら
「心配くらい、したっていいだろバカッ!!」
感情にまかせて怒鳴ってしまっていた。
ずるい、と思うのだ。
灯里が体調不良の時は、先陣を切って誰よりも過保護に心配するくせに、自分のことはいっさい心配させない。弱音もはかない。
いつもいつも、蓮はずるい。
もしも蓮がどうしようもなくなった時、蓮は一体誰に頼るのか。
熱出したって怪我したって嫌な事あったって
「大丈夫だって。心配ないよ」
笑う。
本当の事は言わない。
蓮のばーか蓮のばーかと放り出した携帯を睨んでいたら、突然それが鳴りだした。
今お気に入りの着信音。黒電話のベル。
うつぶせたまま手を伸ばしてストラップを掴み、引き寄せる。
着信中の名前を見て驚いた。
『蓮』
さっきの今で、蓮から。
なんだろう。
重たく身を起こして、なんとなく正座をする。
通話ボタンを押す事を少し迷った。
怒られるとは思えない。
むしろ、何ごともなかったかのように仕事の話をするのだろうと思った。いつものように。
それが嫌だった。
でも、出ないわけにはいかない。
心配させるのは駄目だ。
「…もしもし」
「あー。俺」
ほら、いつもの蓮だ。いつもの優しい声だ。
何もなかったかのように。
俺が怒鳴った事なんてなかったように。
優しい。けど。寂しい。
俺の言葉なんて、なに一つ届いてないんじゃないかな。
こいつの人生に、俺はいらないんじゃないかな。
自分でなんでも出来るやつだから。
嫌な考えが、ぐるぐると回りだす。
「なに?」
なるべく普通に聞いたら、思いもよらない問いが来た。
「灯里、これから予定ある?」
「…は?」
びっくりして、とっさにそれしか言えなかった。
なにが。どうしたの。
仕事の話じゃないの。
「本日の御予定。もう先約あり?」
「…ないないないないないっ」
焦って急いで答えたら、なさすぎ、と蓮が押さえぎみに笑った。
「あのですね。ちょっと、家に来れますか?」
「え、誰の」
きょとんと聞き返したら、今度は盛大に吹き出された。
「俺のに決まってるだろ。どうしたの?変だよ?」
「蓮の家に?来いって言った?お前が?」
「そーですよ。来れる?」
「い、行く」
驚きすぎて声が上ずった。
こんな電話は、こんな事言われたのは、初めてだ。
いつもは、蓮が灯里の部屋へやってくる。
蓮の家へ行くのはだいたい、仕事の帰りかなにかで近くまで行った時だけで、わざわざ呼びつけられる事など、まずない。
「今から、すぐ行く」
言いながらベッドから飛び下りて、近くに放ってあった上着をひっつかみ、玄関に向かう。
携帯を切ろうとしたら、あ、とーり!と聞こえて、慌てて耳に押し戻した。
「なに?」
「アイス食べたい。買ってきて?」
「は?なにゆってんの、こんな真冬に」
「暖房張り切ってもらってて、うちは今常夏。来たら絶対食べたくなるよ」
「あほか。今すぐ切れ」
「うん…。でもアイスは食べたいな、やっぱり」
「それを晩飯にすんなよ」
「相変わらず鋭いよね」
「バカだろ。俺そっちでなんか作る。じゃあ、15分後」
「了解」
通話終了。
壁にひっかけてある車のキーを取って、靴に足をつっこむ。
(…なんか、変)
色々、いつもと違う。この人。
食いたいもん、人に買ってきてとか頼むとか、あんまない。
そもそも食いたいもんがある時自体が珍しい。
なんかオカシイ。…けど。
「あいつん家の冷蔵庫、まともな食材なさそうだな…」
忙しさにかまけて食事をサボる癖がある蓮の自宅の冷蔵庫が、数ヶ月ぶりのオフ日に潤っているとはとても思えなかった。
とりあえずスーパー寄らねえとじゃん。
灯里はマンション地下の駐車場へ急いだ。