パワーショック・ジェネレーション
「そして我々は田之崎(たのさき)という名の村に入った。そこには旧友の他にも三十人ほど生き残りがいた。昭乃や百草先生の無事に皆は涙したが、私一人だけは歓迎されなかった。故郷を捨てて殺戮に走ったのだ。昭乃の夫でなければ、私がその村で暮らすことは叶わなかったろう。私は人目を避けて小屋に籠もり、ひたすら昭乃の介護に尽くした。やがて、診療所を開いた百草先生から看護師をやらないかと誘いがあった。私は迷ったが昭乃が背中を押してくれた。私はしばらく村人に疎まれていたが、仕事を続けていくうちに少しずつ認めてもらえるようになった。
田之崎ではかつての富谷に劣らぬくらい、静かで平和な暮らしが続いた。だが、私の頭からは孫やNEXAのことがどうしても離れなかった。できることなら様子を探りたいが、私には昭乃がいる。仕事もある。そこで私はタチを密偵に仕立て、統京へ送りこむことにした。
しばらくして、タチは統京湾でシバを見つけた。巧みに海軍網を抜ける工作隊の後を尾行(つけ)ていくと、その先は宮根島だった。君とシバの戦いには間にあわなかったが、決闘の話を耳にしたタチは、急ぎ私のもとへ帰ってきた。孫を倒すなら今しかない。そう判断した私はすぐに上京、潜伏し、奴が油断する機会を密かに待っていたというわけだ」
「なるほど……」
バクは熊楠やタチの活躍に感心しつつも、一つの疑問が浮かんだ。
「ところで、昭乃のことは放っといていいのか? 寝たきりなんだろ? 診療やってる先生一人じゃ……」
「ああ、そのことなら問題ない。こうなることもあるかと、私の代わりとなる看護師を一人育てておいた。腕力に乏しいのが少々心配だが、昭乃は安心して身をまかせている」
「あんたの腕力を基準にされたら、そいつはたまらないだろうな」
10月2日
夜が明ける少し前、バクたちは埠頭にたどり着いた。
雨は小降りになっていた。
〈臣蔵〉以下、離島船団は健在。列強艦隊の姿はまだない。
上陸作戦に巻きこまれぬよう、バクたちは急いで〈臣蔵〉に乗りこんだ。
一行の無事に一人号泣する船長大村。
バクは彼の耳もとで、行き先だけをそっと告げた。
雨上がりの朝焼けのもと、離島船団は湾を脱して外海に差しかかった。
前を行く九隻はそのまま直進し、島への帰路に就いた。
一方、最後尾の〈臣蔵〉だけは取り舵を一杯にして、本土の東岸に沿って北上する航路を取った。
バクは〈臣蔵〉の船首に立ち、果てしない海原を眺めていた。
嵐は去ったが、海はまだ大きなうねりを残している。船室にいたほうが安全なのだが、どうもじっとしていられない。
速い潮に流されているのかそれとも風のせいか、岸からはだいぶ離れてしまって目印になるものがない。大洋での単独行はひどく心細いものだが、離島船団の者たちのことを考えれば、それはまったくもって贅沢な悩みといえた。列強艦隊は伊舞諸島の南東方面から押し寄せてきており、両者が遭遇する可能性は高かった。軍の機密とやらの用はもうすんだらしく、船倉はすべて空なので、大きな騒ぎにはならないはずだが……。敵の大将が紳士であることを祈るしかない。
あれこれと思いをめぐらせていると、水平線上に黒い鋲のようなものが、一つまた一つと増えていくことに気づいた。
「?」
バクは目をこらした。
鋲はどんどん増えていく。四つや五つなどではない。それらは頭に縮れ毛のようなものを一本ずつ生やしていた。十や二十……いや三十どころでもない!
望楼の男が叫んだ。
「敵だ!」
船員がどやどや集まってきて、手にしていた双眼鏡を目にやった。
南方からやって来る艦隊とは国籍がちがっていた。その数、五十を超える。
離島海軍はその戦力のほとんどを領海内の警備にまわしている。遠洋の索敵能力には限界があった。
危険を避けたつもりが裏目に出たのか。いや、どのみちこうなる運命だったのだ。
下を向いていると、熊のようなごつい手がバクの肩をがしとつかんだ。
「絶望すんのは死んでからにしろい」
バクはキッとふり返った。
船長の大村だった。
バクは弱気を悟られたのが癪で、つい声を荒げた。
「死んじまったら絶望なんかできねえだろ?」
「ダッハッハ! それもそうだ」
豪快な笑いとは裏腹に、いつもの日焼けした虎髭顔は船酔い客のように色を失っていた。
考えていることはバクとそう大差はないようだった。だが、心の底になにか期するものがあるのだろう。絶対に生かして港まで届けてやる。そんな強い意志が熱風のように伝わってくる。
二人のすぐ後ろにいた細身の副長が大村に進言した。
「このままでは巻きこまれます。迂回しましょう!」
大村は副長の胸ぐらをつかみ上げた。
「ど真ん中だ! そのまま真ん中を行けい! 一ミリでも舵切りやがったら……殺す!」
大村の指示は狂気の沙汰かと思われた。
だがその読みはあたった。大村は海図ではなく風を読んでいたのだ。下手に逃げようとすれば乱気流に巻きこまれ、逆に航行の邪魔をしてしまうところだった。抵抗の意志ありと誤解されたらそれこそおしまいだ。
艦隊が近づいてくると、大村をはじめとする船員たちは、漁網を片手にいかにも不機嫌そうな顔で待ちかまえた。
列強の海兵たちは双眼鏡を手に、〈臣蔵〉の装備を焦がさんばかりに観察している。
〈臣蔵〉は戦艦と戦艦の谷間を行った。
すれちがっている間も、海兵と漁師(傍点)の睨みあいは続いた。
艦隊は何事もなかったように、ひたすら直進していった。
早々に船室に放りこまれたバクは、ルウ子とともに、丸窓から半分だけ顔をのぞかせ、物量にものをいわせる大艦隊を見送った。
ニコは蛍の胸の谷間、アルはルウ子のパンツの中で眠っている。
〈臣蔵〉は一路、北をめざした。
10月3日
〈臣蔵〉は無事、断崖の狭間にある武慈(むじ)港の埠頭につけた。
船員たちに別れを告げ、バク、熊楠、ルウ子と渡り階段を降りていった。
蛍がそれに続こうとしたときだった。
「すまなかった!」
大村はいきなり土下座した。
蛍は大声にびくっとして、ふり返った。
「大村さん?」
「松下が死んだのは俺のせいだ。あれ(傍点)は……俺がやらせた」
「顔を上げてください」
蛍は微笑んだ。
「……」
大村は伏せたままだ。
「大村さんがいなかったら、今の私たちは在りません。あなたは孤独だった私たちに手を差しのべてくれた。それで充分です」
「……」
大村は動かない。
蛍は笑顔のままふっと息をつくと、明るい声で言った。
「ああ、そういえば」と手を打つ。「どうしてくれるんですか、大村さん」
「?」
大村は顔を上げた。
蛍は手を差しのべた。
「昨日の分で、お釣りを出さなければならなくなったじゃないですか」
「す、すまねえ」
蛍と大村は固く握手をして別れた。
大村はいつまでも子供のように泣きじゃくっていた。
〈臣蔵〉が島へ帰っていく。
バクたちは埠頭を後にした。
武慈の港町は天も地も鈍色に煙っていた。統京のようなパニックこそないものの、色あせた商店街のそこここでは、地元の人々が冴えない顔を突きあわせていた。
作品名:パワーショック・ジェネレーション 作家名:あずまや