パワーショック・ジェネレーション
バクが言いかけると、ルウ子は遮った。
「こーれだから男って面倒くさいのよねぇ」
そのとき、ベルの音とともにドアが開いた。最上階だ。
外に出ると、思わず顔を歪めたくなるほどの蒸し暑さだった。足もとの淡い間接照明が、夜の植物園をぼうっと照らす。ここは地上450メートル、タワー完成当初は特別展望台と呼んでいた場所。そして、バクのひと言がきっかけでルウ子がアルの封印を解き、大河の流れが変わりはじめた場所でもある。
そこは以前とは少し趣がちがっていた。壁がガラス張りになっておらず、部屋が縮んでしまったような妙な圧迫感があった。
和藤は三人を引き連れ、外壁に向かって歩道を歩いた。四人はのっぺらぼうの扉の前で立ち止まった。扉は自動で開いた。一歩進むと、鬱蒼とした庭から一転、視界が180度に開けた。一面のガラス越しに雨の夜景。あとは絨毯と天井しかない。照明は暗いままだ。四人はドーナツ状の空間を半周した。
窓際で外を眺める隻腕の男が一人。孫はふり返ると、屈託のない笑顔で言った。
「やっと来てくれましたね。待ちわびていた」
電話のときは素顔だったが、今日は黒縁メガネをかけている。
「このバカが無茶するもんだからね」
ルウ子はバクの耳たぶを引っ張った。
バクはそれを手で払う。
「俺のせいだってのかよ!」
「あんたがまともに歩けない間、誰が食わしてやったと思ってるの!」
「じゃあ、シバの奇襲から守ってやったのは誰だ!」
二人が睨みあうと、蛍がそこに割って入った。
「こ、こんなときにケンカしなくても……」
孫は笑顔のままルウ子に言った。
「彼女の言うとおりだ。日本の命運を賭けようというときに、不謹慎ですよ」
「悪かったわね。十秒前までは、このマヌケを教育することのほうが大事だったのよ」
「フフ……」孫はメガネのブリッジに手をやった。「ま、いいでしょう」
「時間がないわ」ルウ子は短剣を抜き、切っ先を孫に向けた。「さっさと決着つけましょ」
「その前に、こんな危険を冒してまで私がアルに執着するのはなぜか。知りたくありませんか?」
「どうせ話したくてしょうがないんでしょ?」
ルウ子は剣を収めた。
「テスランの属性が二つに大別されることは知ってのとおり。私が持っているニコは地属性。火力や水力など、手軽に電気を作れるのが長所です。ただし、多くの電力を生むには多くの資源に委ねなくてはならない。残念なことに、わが国は化石資源に乏しく、水力をはじめとする自然エネルギー利用に必要な国土もそう広くはない。そこで救世主アルの登場です。
天属性のアルには、無限の可能性が残されているのです。私はある大学の廃墟から発掘した、太陽エネルギー利用に関する資料を見て愕然としました。四国の形を想像してみてください。その三分の一の面積に太陽電池のパネルを敷きつめるだけで、日本の総発電量が半永久的にまかなえてしまうのです。すごいことだと思いませんか?」
「ふむ……なかなかおもしろい話ね」
ルウ子の瞳に一筋の光がよぎった。
バクはその話の裏にある真意を暴いた。
「要するにあんたは、永遠のエネルギーを手にして、永遠の命をもって、永遠に世界を後悔させたいだけなんだろう?」
「フ」と笑っただけで、孫は再びルウ子に言った。「太陽電池の生産工場はすでに稼働している。原料の問題は技術的に解決できる見通しが立った。この難局(やま)さえ……この難局さえ乗り切れれば、飢餓も汚染もない永遠の楽園が築けるのです。今からでも遅くはありません。私に従っていただけるなら、お三方の身の安全は保証しましょう。屋上にヘリを用意してあります。今なら統京が灰になる前に脱出できますよ」
「そんなことをしなくても、列強を帰らせる方法はあるわ」
ルウ子は短剣を抜いた。
孫は笑った。
「決闘で私を倒し、他の者にニコを引き継がせ、あなたと二人で大陸の中立国に逃れる。そして各国メディアに向け、マスター・ブレイカーの世界共有を宣言。目的を失った列強はすごすごと母国に引き返すより他ない……といったところですか」
「さすがね。わかってるじゃない」
「あなたはまだそんな甘いことを……」孫はため息をついた。「やはり、こうするより他ないようですね」
孫は懐から拳銃を抜き、ルウ子に狙いを定めた。
「汚いぞ! 決闘なら同じ条件で勝負しろ!」
バクは怒鳴った。
「お母さんに誓ったことを忘れたんですか!」
蛍は潤んだ目で訴えた。
「母への誓い? なんですかそれは?」
孫は肩をすくめた。
「え? だ、だってあなたはたしかに、なくした左腕に誓って……」
「ええ誓いましたよ」
「ならどうして……」
「ああ、まだあの話を信じていたんですか。橋本ルウ子、あなたも疑うことを知らない人だ」
孫はいびつな笑みをルウ子へ送った。
「……」
ルウ子は黙したまま、孫を見据えている。
「母を食わせるために左腕を切り落とした? まったくのデタラメですよ。仮に私が極度のマザコンだったとしても、そこまではやらないでしょう? 私の左腕は生まれつきのものです。奇形ですよ。私はむしろ、こんな体に生んだ父や母を恨んでいた。実を言うとね、母を殺したのは私なんですよ。平時ならそんな勇気はなかった。飢えというのはまったく恐ろしい……」
孫はかぶりをふった。
「ま、まさか親を食っ……」
バクは想像しただけで猛烈な吐き気がこみ上げた。
孫は爽やかに微笑んだ。
「ま、ともかく、はじめからないものになにを誓ったって無意味でしょう?」
「フフ……あたしの負けね」ルウ子は短剣を手放した。「電話番号は下着の裏に控えておいたわ」
孫はその細すぎる目を精一杯に見開いた。
「これは意外だ。不屈の人、橋本ルウ子ともあろうあなたが軽々しく敗北宣言とは。なにを企んでいるかは知りませんが、私を止めることなどできませんよ」
「なにを怯えているの?」ルウ子はすっと歩き出した。「勝負はついたのよ。さっさと撃ちなさい」
「と、止まりなさい!」
孫の銃口はひどくふるえ、狙いが定まらない。
「この期におよんで、なに? 往生際の悪い」
ルウ子は立ち止まった。
言っていることがあべこべだ。
「なぜだ! あれほど生に執着していたあなたが、こんなことくらいで諦めるとは……」
「なぁに? あたしに死んで欲しくないワケ?」
「そ、そんなことは……」
「ならいいじゃない」
ルウ子は再び歩を進めた。
「止まれと言っている!」
孫はトリガーを引いた。
銃弾はあさってのほうに消えた。
ルウ子は立ち止まり、ふと懐かしげな顔をした。
「あんたとはじめて語らったのはここの真下、タワー二階のラウンジだったわよね? 当時はまだ飢餓闘争が下火になって間もない頃で、カフェらしきものはそこしか営業(や)ってなかった」
「……」
「2016年のあの日あの時からやり直したい。あたしは窓際の席ですっぱいコーヒーをすすりながらそう言った」
「……」
「その後、あんたはあたしの反対を言葉巧みに押し切って、タワーとその周りをNEXAの拠点にした。はじめは権力の象徴が欲しいだけだと思ってた。けど……」
ルウ子は雨夜の統京を見つめた。2016年と瓜二つの統京を。
作品名:パワーショック・ジェネレーション 作家名:あずまや