パワーショック・ジェネレーション
交差点を行き交う傘の群れ。傘の下はどれもシミ一つないおろしたての服。
ガラスの壁の向こう側に集う少女たち。巨大なハンバーガー、山盛りのアイスクリーム。
これが、ほんの少し前までボロを身に纏い、一つの米袋一つの缶詰をめぐって血を流してきた人々の姿なのか。
街角には生ゴミの入った袋の山々。
車の窓ガラスに滴る雨水は不気味に黒ずんでいる。
脳裏に一つの記憶がよぎった。赤ヶ島を探索した帰り、昭乃はたしか別れ際にこう言い残した。
……電気など無いままのほうがよかった。そう思うときが必ず来る。必ずな……
信号が変わった。
和藤は郊外へ車を走らせた。
住宅ばかりが密集する、ある私鉄の駅のそばで車は止まった。
それまでひと言も発せず、ぼうっと統京の街を眺めていたルウ子の顔が一変した。
「!」
和藤は自慢気に言った。
「懐かしいでしょう? ルウ子さん。この街はひどく荒れていたのですが、パワーショック以前の写真や地図をもとに、街並みを再現してみました」
そこはルウ子が生まれ育った街だった。
ルウ子の手がすうっと街へのびていく。その指先を、ガラス窓が遮った瞬間、生命維持装置が切れたアンドロイドのように、ぱたと手が落ちた。
ルウ子の涙が頬まで伝ったのを、バクははじめて見た気がした。
和藤は続けた。
「あなたの望みはすべて叶った。飢餓や争いは消え失せ、街並みは蘇り、大好きなケータイさえも使えるようになった。あなたがこの世にしがみつく理由はもうないはずです。ちがいますか?」
「……」
「アルの番号を教えてください。その代わり、我々NEXAは『初代局長・橋本ルウ子』の偉大なる功績を未来に語り継ぐことを約束します」
和藤はルウ子に引導を渡そうとしている。名は残してやるから死ねと言っているのだ。
ルウ子はそこでようやく口を開いた。
「悪いけど、答えはノーよ。しがみつく理由、あんたたちが新しいのを作ってくれたから」
「!」
和藤は懐に手をやると、ふり向きざま、ルウ子に銃口を向けた。
ルウ子は微笑んだ。
「なかなかやんちゃな部下だわね。上司の顔が見たいものだわ」
「……」和藤は呼気をふるわせながら銃を収めた。「余興はこれでおしまいです。行きましょうか」
和藤がアクセルを踏もうとしたとき、バクは言った。
「ずいぶんと見せつけてくれたが、その余裕は諦めの境地なのか?」
和藤は前を見つめたまま言った。
「諦め? なにを諦めるというの? まだなにもはじまっていないわ」
「そうか……やっぱ知らないのか」
「?」
「明日の朝、何千何万もの軍隊が日本に上陸するんだ」
「プフ……」和藤は吹き出した。「なにを言い出すかと思えば。どんなに立派な軍備をそろえたとしても、戦争なんてそう簡単に起こせるものじゃないのよ坊や。どうせならもっと上手な嘘を考えてきなさい」
「できれば……嘘であってほしいさ」
バクと和藤はルームミラー越しに見つめあった。
せわしなく左右に揺れるワイパー。
和藤は油の切れかけたロボットのように、ぎこちなくふり返った。
「本当……なの?」
「俺たちを本土(ここ)まで送ってきたのは誰だった?」
「離島海軍……が動いた!」
和藤はカッと目を剥き、あちこち懐をまさぐりケータイを探しあて、目にも止まらぬ速さで親指を動かし、孫につながると、熟練アナウンサーのごとき滑舌で状況を報告していった。
しばらくの間、和藤の単調な返事ばかりが続いた。
やがて孫のあるひと言が、和藤の声を上ずらせた。
「ほ、本気で言ってるんですか?」
『……』
「そう……ですか」
『……』
「はい、予定通りそちらへ向かいます」
和藤はそこで電話を切り、力無くシートに沈んだ。
バクは訊いた。
「孫はなにを企んでいる」
「……」
「おい!」
バクは和藤の肩をつかんだ。
よく見ると、和藤はむせび泣いていた。
「お願い……あの人を止めて……」
「孫はなんと?」
「乗りこんできた兵もろとも、首都を灰にすると……」
「孫は核を使う気なんですね?」
蛍が訊くと、和藤は素直にうなずいた。
「あの野郎……人の命をゲーム盤の駒だと思ってやがる!」
バクがそう叫んだときだった。
それまで賑わっていた街から急に人の姿が見えなくなった。
「こ、これはいったい……」
蛍はせわしなく辺りを見まわす。
和藤はその謎を明かした。
「甚大な災害が起きたとき、都民は地下シェルターへ避難する手筈になっているの。地下には都民を半年養えるだけの食料や物資がそろっているわ。でも、それは表の顔。実際は戦争に備えて、あの人が造らせたものよ」
バクは訊いた。
「都民はそれで本当に助かるのか?」
和藤はかぶりをふった。
「手筈はあくまで手筈よ。相手は数百万の都民。避難命令を発したからといって全員が従える状況にあるとは限らない。一パーセント……たった一パーセントの人が逃げ遅れただけでも、数万の命が灰になる。あの人はそれを承知の上で核のスイッチを押そうとしているのよ!」
和藤はステアリングにもたれかかった。
「彼ね……たくさんお酒を飲んで私を抱くと、必ず『母さん』って叫ぶの……。あの人の人生、あの人の生き甲斐はもう、三十年も前に終わっていた……。私なんか……私の声なんか届くわけない……」
和藤は被災地のように乱れきった顔を上げた。
「死んだ人には絶対勝てないもの!」
ワイパーの音だけがしばらくあった。
ルウ子は言った。
「一つ、方法があるわ」
「え?」
和藤はふり返った。
「あたしをタワーに連れてくこと」
和藤は吃逆(しゃく)りながら笑った。
「どっちが勝ったってダメじゃない……」
「じゃあ、このままここで灰になる?」
ルウ子はハンカチを差し出した。
和藤はルウ子の手をパァンと弾くと、アクセルを踏んだ。
四人を乗せた車は外門内門と二重のゲートをくぐり、低層のビルが立ちならぶNEXAの敷地をしばらく走った。
めざす新統京タワーは敷地のほぼ中心にすわっている。NEXAの中枢がある周囲の施設群とあわせてその区画だけが天高く突き出ており、他を圧する存在感を示していた。
和藤はタワーの麓で車を止めると、ダッシュボードの収納に拳銃を収めた。四人は車を降りた。和藤が三人を先導し、エントランスへ通じる階段を上っていく。入口の左右に控えていた丸腰の警備員たちはこちらを一瞥しただけだ。バクたちは一階ホール中央のシースルー型エレベーターに乗った。
和藤は最上階のボタンを押した。ほどなく、2016年当時に劣らぬ煌びやかな夜景が広がった。規則的に視界を遮る鉄骨。透き通った壁を流れ伝う雨粒。無数に散乱する光が明滅して、四人をつかの間の幻想に誘(いざな)う。
ルウ子はふとつぶやいた。
「新統京タワー。この日本で一番高い建物を、NEXAの象徴に据えようと提案したのが、孫英次。そのときに気づくべきだったわ」
バクは鼻をならした。
「いかにも野心家らしい発想だな。この高みから見下ろす自分以外の人間は、みんなバカだと言いたいんだろ」
「そうじゃないのよ。そうじゃない……」
ルウ子は小さくかぶりをふった。
「じゃあなんで……」
作品名:パワーショック・ジェネレーション 作家名:あずまや