パワーショック・ジェネレーション
このまま地上の不況が続けば、我々は次の春を迎えられないだろう。そのことを進んで口にする者はいなかったが、誰もが実感していることだった。
「ちょっと偵察に行くだけさ。隙がなければ諦める」
老人は机の引き出しから一冊の手帳を取り出すと、バクに放った。
「各地の情報屋から集めた話をまとめたものだ。地図はともかく、真偽の程はいっさい保証できんからな」
バクは手帳のページをめくってみた。
『コミュニティー』という、自給自足共同体についての散漫な記述があった。少々頼りないが、資料らしきものはこの一冊しかない。
バクは懐からタバコの小箱(現在は一本=黄金一グラムの貴重品)を取り出し、老人の手にそっと忍ばせると、その場を後にした。
深夜。
仮眠から目覚めたバクは、仲間を起こさぬようこっそり部屋を出ると、一人地上の出口へ上っていった。
出口を守っている大男が、疑いの目でバクを見下ろした。
バクは夜襲の助っ人だと告げた。
男はあっさり納得し、バクを闇の中へ送り出した。
ミーヤには一週間以内に必ずもどると、書き置きをしてきた。
バクはアジトを背にしたまま、低く言った。
「悪いな。少しの辛抱だ」
10月9日
バクは朝から目眩がしていた。
毒々しい黒煙を噴き上げる鋼鉄の火山。大巨人の背骨のようなマスト。
それまで書物の中の出来事でしかなかったことが、今まさにこの足もとにあった。大きな物体なら街中でいくらでも目にしてきたが、それが動くとなると話は別だ。
バクが乗ったのは、パワーショック時代では初となる動力つきの船〈あくあ丸〉。新政府下のある科学機関が、無用の長物だったフェリーを改造し、蒸気船として試験的に運行していた。船は統京(とうきょう)湾の二つの主要港を週に二度ほど結んでいる。
〈あくあ丸〉の前後には小さな帆船がついていた。海上警察の護衛船だ。車も飛行機も使えないこの時代、海運は唯一の大量輸送手段といえた。統京湾は一攫千金を狙う海賊の巣窟だった。
バクは屋上デッキの欄干にへばりつき、幼い子供のように首をめぐらせた。
遠くに霞む朽ちかけた摩天楼。
バクはそれを眺めているうち、ひとりでに口が動いた。
「あんな狭っ苦しい檻の片隅しか知らないくせに、俺は偉そうなことを……」
バクはまだ若かったが、アジトの生活を支えている自負は強かった。アジトの中では英雄三傑の一人だ。
「英雄……か」バクは苦笑した。「鳥籠ん中でチャンピオンになったって、世の中はたぶんなにも変わらない。アジトの連中をつかの間食いつながせたって結局は……」
バクはため息で独り言をしめくくった。
欄干にうつ伏せようとしたそのとき、背後から男の声がした。
「人生、あまり深刻に考えすぎないほうがいい」
「!」
バクの肩がびくっと跳ねた。
気配がなかった。まともにバックを取られた。相手は素人じゃない。武警か? それとも海警か?
さっと身を翻すと……拍子抜けした。
そこには、小ぎれいなスーツ姿の中年男が立っていた。
サインペンで一本だけ引いたような細い目。薄い唇。常に笑っているような顔で感情が読み取りにくいが、狩人に怯える街の地上人とちがって余裕がうかがえる。左の袖が風にたなびいている。事故かなにかで腕を失ったのだろうか?
バクは男の真の実力をはかりかねていた。トラブルで殴りあいになってもまず負ける気がしない。だが、本能は油断するなとささやいている。
バクはとぼけた。
「俺、なんか言った?」
「いいや、なにも」
「嘘をつくな」
「では、なんと言ったのかね?」
「……」
無意識に口から出た言葉だ。イメージは浮かぶものの、実はあまり覚えていなかった。
男は不意に顔を突き出し、バクの純黒の瞳をのぞきこんだ。
「君はいい目をしているね。なにもかも吸いこんでしまいそうだ」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だよ」
「……」
バクは口を閉ざした。
なにか言えば言うほど、男の術中にはまってしまいそうな気がする。
男は笑った。
「誤解を招く表現だったかな? 教えればどんなことでもできそうだと、言いたかったんだよ」
「どんなことでも? たとえば?」
「たとえば……」男は遠い目をして、中身のない左袖を右手でぐっと握りしめた。「天地をひっくり返すこととかね」
「……」
返す言葉がすぐに思いつかなかった。
「私、おかしなことを言ったかい?」
「あんた、革命家かなんかか?」
「まさか。私はこういう者だよ」
男はバクに名刺を差し出した。
「N・E・X・A?」
「ネクサと読む。国立エネルギー研究開発局だ」
男の名は孫英次(そんえいじ)。肩書きはNEXAの副局長(兼電力開発部長)とある。
「NEXAか……。そういえばこの船の切符にもそんな名前が書いてあったな」
孫は苦笑した。
「本来はパワーショックそのものを終わらせるために起ち上げた組織なんだが……。現実は皮肉にも、電気に依らない古い機械文明の掘り起こしに力を傾けざるを得ないところでね」
「そもそもさ、パワーショックってなんで起きたんだ?」
孫はちらと腕時計に目をやった。
「おっと、打ちあわせの時間か。我々はその今世紀最大の難問を解き明かしてくれる、優れた人材を求めている。門は狭いが試験は随時行っているよ。では私はこれで」
孫は近くの階段から下層デッキへ駆け下りていった。
バクはぐったりと欄干にもたれかかった。
「ま、小学校も出てない俺には縁のない話か」
〈あくあ丸〉がめざす港町、木更塚(きさらづか)は南関東の要所だ。そこはパワーショック以後の復興が最も著しい都市といわれ、荒れ果てた都心から数多くの企業や官庁が移転してきていた。条件さえ整えば遷都するのではないか、という噂がちらほらと聞こえる。
なかなか好奇心をくすぐる街だが、そこで遊んでいる暇はない。
バクは木更塚港で船を降りると市街地には入らず、雑草と陥没だらけの旧国道を南へ歩いた。しばらく道なりに行くと、柄が錆びて折れ曲がった標識が目に入った。青地に白で『国道16 ROUTE』と書いてある。
倒れた電柱の下敷きになり、ひしゃげた軽自動車。外れかかった運転席のドア。
中をのぞくと、形や大きさがふぞろいの白い棒や穴の開いた器が散乱していた。
これといった感情は湧いてこなかった。地下ではカルシウムが慢性的に不足している。バクたちは死んだ仲間のそれを粉にして、あらゆる食材にふりかけていた。それを野蛮だと地上人は言うが、地下人は逆に、貴重な栄養を土に埋めておきながらミルクが足りないと不平ばかり言う地上人を軽蔑していた。
地を這う電線の切れ端に光はなかった。アスファルトを突き破って生えた小さな花のまわりを、つがいのモンシロチョウが舞う。
パワーショック時代に入って何年か後、観測史上最大の台風『エリカ』がこの坊総(ぼうそう)半島を襲った。再開発計画からもれたこの地区にはもう誰もいない。なにもない。遠くのテトラポットが砕くかすかな波音だけがあった。
作品名:パワーショック・ジェネレーション 作家名:あずまや