パワーショック・ジェネレーション
海の向こう手の届きそうなところに、ベイエリアの象徴、ミライマークタワーが見える。かつては観光やビジネスで賑わったらしいが、現在は家を失った地上人のスラムマンションと化していた。不法居住ではあるが賊ではないので、新政府は問題を放置していた。船があればそこまで三時間とかからないはずだが、あいにく海岸には和船一つ転がっていない。
富谷を追い出された村人たちは、運を天にまかせて日本各地へ散っていった。集団でいても食料が確保できないのだ。自分のことは自分でなんとかするしかなかった。
行き先を考えている最中、百草は背後に人の気配を感じた。
「手を挙げな! それからゆっくりこっちを向け」
男の声に百草は従った。
小柄ながらも頑強そうな、蓬髪の男が短弓をかまえていた。
百草は臆せず言った。
「海賊か。残念ながら私は今、なにも持ちあわせていない。住んでいた村が滅ぼされてしまったのでね」
「海賊と一緒にするんじゃねえ。ペリー商会だ」
「いずれにしても、私にはなにもない。この干からびた肉でも食うかね?」
百草は微笑むと、片方の袖をまくった。
髭がちな男はかまえを解くと、真顔で言った。
「あんた、医者だろ?」
百草は笑みを消した。
「なぜわかった?」
「匂いだ。あんたからはヌシと同じ、消毒の匂いがする」
「ヌシとは?」
「あの島が見えるか?」
男は対岸の少し手前にある、海面のわずかな隆起を指した。
「黒船島……君たちのアジトだろう?」
「ヌシの隠居は俺たちが守る。ヌシは俺たちの治療をする。仲間じゃねえが、島には欠かせねえ男だ。そいつが病で倒れちまった。長くはねえと、ヌシは自分で診ている。そこでだ」
「ペリー商会は彼の後継者を探している、と?」
「話が早いな」
百草はため息をついた。
「もう誰かの後任はたくさんだよ」
「嫌とは言わせねえ」
男は再び百草に狙いをつけた。
「一つ忠告しておこう。こんなことは過去に何度もあった。限界集落、バラック街、地下賊アジト、コミュニティー……私はそのたびに後任を引き受けてきた。だが、私が就いた土地はことごとく数年で滅んだ。私は筋金入りの疫病神なのだ」
男は急に威勢をなくし、うめくように言った。
「そのよ……麻薬(ヤク)をよ……切らしちまってよ……」
「……」
百草はそれだけで男の言わんとすることがわかった。この男はヌシとやらを、せめて苦痛だけでも……と思っていたのだが、仲間どもが快楽のために使いきってしまったのだ。
男は弓を放り出すと砂地に正座し、頭をたれた。
「頼む」
男の頭や肩、太腿にシャーベットの山ができあがっていく。
潮が満ちてきて、男の膝下を冷たく濡らした。
それでも男は地蔵のように動かない。
百草は負けた。
「死んでも医者はやらないと決めていたんだが……」そこで長いため息をつくと、急に笑いがこみ上げてきた。「私のあらゆる細胞に仁術をすりこんだ、かつての師を呪いたい気分だよ」
男は顔を上げた。
「来て、くれるのか?」
「百草林太郎だ」
百草は手を差し出した。
「タチってんだ」
タチはその手を取って立ち上がると、海のほうへ合図を送った。
ペリー商会の帆船が近づいてきた。
百草とタチは黒船島へ急いだ。
百草がヌシの家に駆けつけたとき、タチの労もむなしく、ヌシはすでに危篤だった。
ベッドの周りでは、ペリー商会の厳つい面々が肩を落としている。
百草は意識なかばのしわくちゃの老人を見て愕然とした。
「先生! 孫先生じゃないですか!」
「だ、誰だ……その名はとうの昔に捨て……」
ヌシはむせながら片目を開けた。
「私ですよ! 百草です!」
「ああ、忘却小僧か。教えたことを片っ端から忘れおって……」
「一番大事なことだけは忘れてませんよ」
「ならばよろしい。医師としての建前はな」
「えっ?」
「小僧、家庭は持ったのか?」
「二度ほど」
「過去形か」
「子を作る間もなく、妻は二人とも疫病で……」
「その二人は最期、笑顔だったか?」
「は、はい……」
「ならば万事よろしい」ヌシは微笑んだ。「身内すら幸せにできんようでは、赤の他人を救う資格などない」
「おっしゃる通りだと思います」
「実はな」ヌシの笑みが陰った。「情けないことに、言った当の本人がそれを守れておらん。これから起こるであろう災いは、すべてこの私が発端なのだ」
話し疲れたのか、ヌシは苦しそうに目を細めた。
「それはどういう……」
「私の本名を言ってみろ」
「孫登馬(そんとうま)先生です」
「NEXAのトップは誰だ?」
「孫……えっ!? まさか……」
「良い医師は育てた。だが、家庭(いえ)は疎かにしてしまった。それが……心残り……だ」
ヌシはそこで息を引き取った。
葬儀の後、百草は黒船島の二代目『ヌシ』を襲名した。
1月20日
百草は海賊の医者となり、ヌシの家を引き継ぐことになった。
悪徳ペリー商会の片棒を担ぐ形になってしまったのは甚だ不本意だが、片足引きずった人権のない老人では、孤独にさすらっていても野良犬の餌になるだけだろう。悪党に落ちぶれたことに悩むより、今はともかく昭乃のリハビリだ。わが師はサジを投げたが、諦めるのはまだ早い。
客間のドアを開けると、昭乃は寝床で退屈そうにしていた。百草は昭乃を車椅子に乗せ、広場を散歩することにした。
冬のただ中だというのに、厚着では汗ばむほどの陽気だ。いったい何時になったらこの天候不順は収まるのだろう。それはともかく、昭乃は私の訪島以来、目があうたびになにか訊きたそうな顔をしていた。一方、私はこの一週間『ヌシ』をめぐる騒動で多忙を極めていた。処理すべき問題はおおかた片づいた。今日は話すのにいい日和だ。
百草は車椅子を止めると、口を開いた。
「なぜ私一人だけがこの島にやってきたのか。そう訊きたいんだろう?」
「!」
昭乃はさっと首を横に向けた。
さっとふり返りたかったのだろうが、その体では無理だ。
百草は手押しハンドルから手を放すと、昭乃の正面にまわった。
「それを話す前に一つ訊きたい。私の助手はどこへ行ってしまったんだ?」
「私、夢を見ました」
「夢?」
「日の出の方角にあるどこかの谷が、洪水で水浸しになるんです。水浸しというより、湖か」
「……」
「それがなにを予知したものなのか、私はどうしてもたしかめたくて、彼に様子を見に行ってもらったんです」
「富谷へ、かね?」
「はい」
「熊楠君のことはバクから聞いているが、それらしき男の姿は見かけなかったな」
「きっとなにかトラブルを抱えているのでしょう。そのうち帰ってくると思います」
「わかるのかい?」
「彼の闘気はほとんど衰えていません。大丈夫です」
昭乃は寝たきりとなってから、五感以外の感覚が発達するようになったという。ただ残念なことに、キャッチできるのは熊楠の気だけだった。
医師としては信じがたいものがあったが、万能ではないところが逆に信用できそうだと、百草は思った。
「ともかく、無事なら結構」
「心の準備はできています。知っていることを教えてください」
百草はバクとルウ子の追放から富谷の滅亡までを語った。
作品名:パワーショック・ジェネレーション 作家名:あずまや