パワーショック・ジェネレーション
「子供を殺すたび、私の矛盾した発想は単純化していった。『子供を殺してやれば、子供は飢えないのだ』と。君を狙った頃は多少の理性を残していたが、地下賊掃討作戦の辺りではもう、私は暴走したロボットのように手がつけられない状態だった」
「……」
人口が減ることで腹が満たされる子供がいる。殺されたことで飢える必要がなくなった子供がいる。その子供から将来生まれるはずだった子は未来に存在できず、したがってその子も苦しむことはない。熊楠の壊れた心は、それぞれ異なる意味をもつ『飢えない子供』の区別がつかなくなってしまったのだろう。
「それでも、私の渇いた心が潤うことはなかった。苦悩の日々は続いた。やがて、以前から私の腕に注目していたという男が個人的に訪ねてきた。孫英次。NEXAのナンバー2だ。孫は少し会話を交わしただけで私の悩みを見抜き、私のやり方では飢餓問題は解決しないことを説いた。そして奴は言った。『私に手を貸してくれれば、君の悩みは一気に解決するだろう』と。孫はNEXAがマスター・ブレイカーという究極の電源スイッチを手にしたことを、私に打ち明けた。それ一つでパワーショックが解決するなど、にわかには信じがたいことだった。そこで孫は私をある場所に案内した」
バクは言った。
「大品発電所」
熊楠はうなずいた。
「奇跡の光景に打ちのめされた私は、たちまち孫の信者となり、武警を辞してNEXAへ転職した」
熊楠はそこで話を終えた。
二人はしばらく黙ったまま歩き続けた。
巨人の霊園のごとき無人団地を抜け、渇ききった高速道路を横切り、山裾の森からいよいよ刑務所のある頂をめざそうというとき。
バクは立ち止まった。
「それでも、俺はあんたを許すわけにはいかない」
熊楠も立ち止まった。
「わかっている」
「それでも、俺はあんたと組まなければならない」
「そのようだな」
「同時に二つのことは、俺にはできない。俺には……できない」
「君にとって一番の望みはなんだ?」
「一番の……望み……」
望みはいくつかあるが、なにかこう、表彰台のてっぺんだけがぽっかり空いている感じがしてならなかった。
「わからなければ二番でも三番でもいい。それを叶えるために私と組まなければならないとしたら、君は進むか、それとも退くか?」
バクは熊楠を見上げた。
「……」
熊楠はバクを見下ろした。
「……」
バクは右手を差し出した。
「ルウ子を助けることができたら、地獄で再会するまでは、あんたのことを忘れていてやる」
熊楠も右手を差し出した。
「君は地獄へなど行けないさ」
二人は握手を交わした。
バクと熊楠は藪をかき分けながら深闇の野山を登っていった。道無き道の強行軍は、バクたちから貴重な時間とスタミナを奪っていった。刑務所のフェンスが見えた頃にはもう夜が明けてしまっていた。
熊楠は大木の陰から刑務所の様子をのぞくと、眉をひそめた。
「妙だな。気配がない」
バクはうなずいた。
「本当に兵が伏せてあるのか?」
「私があそこの警備に関わったときは、そうだったのだが……」
「罠か?」
「だとしても、獲物を捕らえるにはそれなりの人数が要……ハッ!?」
熊楠はさっと身を翻した。
バクもつられて後ろを向いた。
誰もいない。木々と笹藪があるだけだ。
当代最強の戦士の顔がこわばっている。
「私の背後を取るとは……」
「シバか?」
「ちがうな。まるで邪念がなかった。こんな相手ははじめてだ」
しばらく待ってみたが、もう誰かに見られている感じはなかった。
バクと熊楠は笹藪の中に身を伏せ、門のほうへ這っていった。
刑務所のフェンスは錆びつき、ところどころ倒れていた。
その気になれば、どこからでも侵入できそうなものだが……。
小鳥の朝歌……枝葉の小波(さざなみ)……羽虫の逍遥……。
静かすぎる。
バクはささやいた。
「ルウ子はもう新しい独房に移されてしまった?」
「前例のない工事だ。十日も工期が縮まるとは思えんな」
「じゃあなんで誰もいないんだ?」
「ううむ。緊急で増援を要する事件でもあったのか……」
「とにかく、調べるなら今のうちだ」
フェンス越しに刑務所の平たい施設が連なっており、そのすき間、敷地の奥に一つだけぽつんと離れて立つ小屋が見える。
「あれだ」熊楠は小屋を指した。「さっきの妙な伏兵がいるかもしれん。私から離れるな」
バクと熊楠は壊れたフェンスめがけて走った。荒れ放題の獄舎と職員宿舎を横目に、雑草だらけのグラウンドを横切り、森の縁の草深いところまできた。
コンクリート造りの小屋がある。その周りに戦闘服姿の男が何人か倒れている。
バクは言った。
「こいつら……NEXAの傭兵だ」
「血の臭いがしない」熊楠はうつ伏せの男を調べた。「眠っているだけだ。ガスを吸わされたか、あるいは……」
「そんなことより、独房だ!」
バクは熊楠に見張りを任せ、小屋の鉄扉を引き開けた。
中に入ると短い廊下があった。右側の壁に、入口よりも重厚そうな鉄扉が三つならんでいる。
手前の二つは開けっ放しだ。
向かいあう三段ベッド、ロッカー、武器弾薬、わずかに汁が残った食器の重なり、散らかったトランプ、ヌードのポスター、床に転がる死体……ではなく死んだように眠った男ども。争った形跡はない。
奥の一つは閉まったままだ。
バクは突きあたりまで進み、鉄扉の正面に立った。
釘か刃物の先で削ったのだろう。雑な字でなにか書いてある。
『鍵は後ろです』
バクはふり返った。見上げると採光用の小窓があり、その枠に鍵束が置いてある。
「バカにしやがって」
手にした鍵束を床にたたきつけようとして、途中でやめた。
三番目の部屋の鍵を探って鍵穴に差しこみ、鉄扉を手前に引く。
「え?」
バクは思わず首を突き出した。
正面の窓際。ジャージ姿のルウ子がベッドに横たわっている。意識はないようだが、血色は悪くない。
バクは駆け寄ってルウ子に声をかけた。反応なし。揺さぶった。反応なし。頬を指でつついた。
するとルウ子は顔をしかめた。
「んぅん……そのスルメ……あたしの……」
ルウ子はバクの人差し指を探りあてると、満足そうにしゃぶりはじめた。
バクは一瞬のぼせたが、なんとかこらえた。
「ど、どうやら暗殺や拉致が目的ってワケじゃなさそうだな」
ルウ子の待遇は想像していたよりは悪くなかった。服やシーツは清潔であり、虐待を受けた様子もない。独房の隅には、他の部屋にはないシャワールームまで設置してある。
ブーン! ブーン!
ルウ子の脇の下でなにかがふるえる音。
バクがその腕を持ち上げると、ピンクのケータイが下敷きになっていた。
救出してやろうとケータイを手にすると、それはするりと抜けてルウ子の腹の上にびたっと引っついた。
「そういえばそうだった」
そのままケータイを開くと、画面にアルが現れた。
「ふぅ、まいったまいった。ボクは開けてくれないと話ができないんだ」
「いったいここでなにがあった?」
「なにがって……なにかあったのかい?」
「知らないのか?」
「うーん、普段よりは静かな夜だとは思ったけど?」
「傭兵連中がみんな眠らされていたんだ」
作品名:パワーショック・ジェネレーション 作家名:あずまや