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パワーショック・ジェネレーション

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 百草がルウ子を検診したのは二月。なにもなければ数日で行けるところを、実に三ヶ月も要してしまったのは、ルウ子と接触した百草に厳しい監視がついたからだった。百草は一瞬の隙を見て監視の目を逃れると、真冬の野山で凍え死にそうになりながらも、ときには鹿のように逃げ隠れ、ときには狐のように食いつなぎ、関東を大回りしてきたのだった。逃走の失敗は世界の絶望を意味する。百草の気力を支えていたのはその一心だった。百草が迷うことなく富谷へやってきたのは、NEXAをクビになったバクたちは必ず昭乃を頼るだろう、とルウ子が予言したからだった。
 百草の話を聞いていたバクはミーヤに言った。
「先生の苦労を水の泡にはしたくない。俺たちでなんとかするぞ」


 5月18日

 夜明け前。
 バクとミーヤはこっそり宿舎を抜け出し、取水塔跡へ足を運んだ。
 ずっと前に塔が崩れて環状列石のようになった場所。その中心に剥き出しとなった取水口があった。管の真ん中に昇降用の丸太が突き出ている。
 バクとミーヤはうなずきあった。
 バクが丸太に飛び移ろうとしたとき、背後から声があった。
「おまえたちごときでは、百人そろえたって犬死にだ。私が行く」
 木陰から出てくる昭乃を、月明かりが照らした。
 バクは言った。
「どういう風の吹きまわしだ」
「せめて森や野原という言葉くらいは後世に残したい。そういうことだ」
 本気で言っているとは思えないが、本気で動くつもりはあるようだ。動機はともかく、そのずば抜けた戦闘力を取りもどしたのなら救出のチャンスはある。
「この借りは必ず返す」
「気にするな。あの女には言い足りないことが山ほどあるからな」
「と、言いたいところだが」
「?」
「一人じゃあ行かせないぜ」
 バクは取水口を背に両手を広げた。
「足枷がつくのはゴメンだ。二人とも帰って寝ていろ」
 昭乃はバクをどかそうと手をのばした。
 バクは踏ん張った。
「いいや。あんたがちゃんと作戦を全うするか、見届けないとな」
「どういう意味だ」
「今のあんたは壊れかけの筏さ。潮の流れ次第で、どこに消えるかわかったもんじゃない」
「フン。私もナメられたものだ」
 バクと昭乃の睨みあいはしばらく続いた。
 昭乃はふっと息をついた。
「しかたない。おまえが掟の厳しさに耐えきれず、脱走したことにしよう。私は三日でもどるとミーヤに告げ、おまえを捕まえに追いかける。そういう手筈でいいな?」
「なるほど……いいだろう」
 バクは昭乃の策に乗った。
 昭乃ほどの人物が無断外出するには、それに見あう事後報告が必要だ。昭乃にとってバクは、戦力にはならずとも口実のいい材料にはなる。それにミーヤを残していけば、富谷の守りがガタ落ちする心配もない。
 バクは念のためミーヤにたしかめた。
「それで、いいよな?」
 ミーヤは小さくうなずいたものの、暗い顔でうつむいた。
「でも……」
「でも?」
 ミーヤはバクの両手を取った。
 昭乃はさっさと丸太に飛び移り、取水管を降りていった。
 ミーヤは黙ったまま、なかなか手を放そうとしない。 
「行かないと」
 バクは小さな手をそっと解(ほど)いていき、昭乃に続いた。

 バクと昭乃は川沿いの道を歩いて下り、やがて河口に出ると、近くの小さな漁港に足を向けた。桟橋に見覚えのあるヨットがあった。〈シーメイド〉号……バクたちが赤ヶ島へ行ったときの船だ。
 ルウ子は港の対岸に見える小さな半島の山中に囚われている。陸路ではかなりの遠まわりになる。無敵独房の完成まで時間がない。
 バクと昭乃は迷うことなくヨットに乗りこんだ。
 桟橋を離れたのはいいが、いっこうに港が小さくならない。
 バクは反りのない帆を見たり、黒板のように平らな海を見たりと、落ち着きがなかった。
 昭乃は灰色の空を見上げて低く言った。
「すわっていろ。半刻も待てば動く」
 バクは艇長(スキッパー)の指示に従い、昭乃の向かいに腰かけた。
 風が吹くまでやることがなく、バクは思いを巡らせた。
 昭乃はなぜ、敵同然のルウ子のために命を懸ける気になったのか。真の敵は別にあると理屈ではわかっているはずだが、あの気性がそう簡単に変わるとは思えない。
 バクはどうしても訊きたくなった。
「昭乃……富谷を出た本当の理由はなんだ?」
「……」
 昭乃は湾岸一帯をぼうっと見つめている。
「ルウ子を助けたいわけじゃないんだろ?」
「……」
 バクは昭乃の横顔を見つめた。
 ふとした瞬間に見せる寂しそうな顔。大地に身を委ねるおおらかな人々の中にあってそれは、白衣についた油染みのように目につくものだった。
 バクは昭乃と再会して以来、あえて触れずにいたその名を口にした。
「熊楠……って奴のことか?」
「!」昭乃はウッと息を呑んだが、すぐに苦笑を見せた。「おまえごときが気づいたのなら、隠している意味はもうないな」
「……」
 バクは口をキッと結び、侮辱に耐えた。
 昭乃は熊楠にまつわる過去を語った。
「熊楠一摩(かずま)は天才だった。弱冠二十一にして十余の武術を究め、中でも『千載一弓(いっきゅう)』といわれた彼の弓は、『あの男が生きている間に富谷に近づこうとするような奴は、なにも知らないか、そうでなければただのバカだ』と賊の頭目どもに言わしめるほどだった。
 私は彼の道場ができたその年、七つで弟子入りした。病気がちだった体を鍛えるだけのつもりが、十年たってみると、私の稽古相手はもう師範である彼しかいなくなっていた。彼は『私を越えてみせろ』と、さらなる鍛錬を課した。私はそんなことより、二人で気持ちよく稽古できる日々がずっと続いてくれれば、それでよかった」
 頬をかすかに赤らめる昭乃。
 なぜかバクも顔が熱くなった。
「要するにその……稽古とか関係ないんだろ?」
「それに気づいたときはもう、彼はどこにもいなかった」
「……」
「私が十七になって間もないある日のことだ。彼が富谷関で下界を見張っていると、ボロを纏った一団が近づいてきた。元地下賊を名乗る難民だった。地域の抗争に敗れ、飢え果てるのを待つしかなかったところに、この地の噂を聞きつけ、最後の望みをかけてやってきたのだという。
 彼は難民の苦悩を憐れみ、長老衆にかけあうべきか迷っていた。よく見ると、難民の半数は年端もいかない子供で、うち数人は餓死寸前だった。なによりも子供が好きだった彼は感傷的になり、長老衆を強引に集めて話しあった。長老衆は自然と共生する社会の脆さを説いた。生態系を守りたければ許容人口も守らなねばならない。正論だ。彼は『せめて子供たちだけでも』と切り返した。長は首を横にふった。『一度でも前例を作ってしまえば掟の意義が薄れる。耐えてくれ』と。彼はそれでもしつこく食い下がった。長は事を収めるべく、彼に対し、外部との接触を固く禁じた。