パワーショック・ジェネレーション
夢見の時間が終わったのか、ルウ子の寝顔が穏やかになった。
たまらなくなったバクは、ルウ子に唇を寄せていった。
ルウ子の目がカッと開いた。
「!」
バクはさっと飛び退いた。
怒声もなければ物も飛んでこない。
バクは目をこすった。
ルウ子は眠ったままだ。錯覚だったのか?
反射的に逃げたのは、犯行を見られたからというより、喪失の恐怖にかられたからだった。一番大事なものを失ってしまいそうな、真っ黒な予感だった。
ルウ子が寝返りをうち、バクに背を向ける形になった。
それまで腰があった場所に小物が埋もれているのを、バクは見つけた。
「寝るときまで離さないのか……」
ルウ子がいつも持ち歩いている、ピンク色のケータイだった。よく見ると表面が淡く光を放っている。
気になったバクはケータイを手に取った。
するとケータイはバクの手をさっとすり抜け、元いた場所に舞いもどってしまった。
「な!?」
バクは驚くと同時にルウ子の背中を見た。
仕掛けがあるようには見えないが……。
バクは何度もケータイを手に取ってみた。結果は同じだった。
ルウ子とケータイは強い磁力のようなもので引きあっている。完全に密着していないところをみると、磁石ではなさそうだが……。ともかく、裸のままではまずい。
バクはルウ子に布団をかけ直した。
数分後……ルウ子は絶叫とともに目覚めた。
「ンアアアアァッ!」
がばと上体を起こす。
「ハッ……ハッ……」
肩を激しく上下させながら、眼球がこぼれんばかりに目を剥き、自分の手を不思議そうに見ている。
「だ、大丈夫か?」
「あたし、なんか言ってた?」
「い、いや……」
バクは思わず目を逸らした。
「そう……」
ルウ子は目を伏せ、背中の張りを緩めた。
半身裸をさらしていても、相変わらず気にする様子はない。
慣れなのか、バクもそこに違和感を感じなくなっていた。
「悪い夢でも見たのか?」
「心配しなくていいわ。朝の日課だから」
ルウ子は汗で首筋にからみついた巻き毛をもとにもどしていった。
「日課!? あんたは、あんなものを毎日……」
「あんなものって?」
「いや、なんでもない」
飢餓地獄を生きのびるためとはいえ、ルウ子は容赦なく人を殺していった。今はきっとその報いを受けているのだろう。それを日課だと言う。彼女は自分のせいで死んでいった者すべての魂を背負って生きていくつもりなのだ。
ルウ子はベッドを出ると、カゴに用意してあったバスタオルでせっせと汗を拭いていった。
バクはそんなルウ子を横目で見ながら肩を落としていた。
ルウ子がなにもかも引き受ける太陽なら、俺はたった一人さえ満足に照らせない欠けた月。器がちがいすぎる。
バクは地下にいた頃、地上人の命を二つ奪った。それが今でも肩に重くのしかかっている。
ルウ子がいつものブレザー姿になると、バクは部屋にミーヤを呼んだ。二人には今朝の夢のことは伏せ、不思議なケータイの話だけをした。
ルウ子は閉じたケータイを掌に乗せ、二人に見せた。
「実は何度もなくしてるのよ、これ。でも、知らない間に手もとにもどってるの。栄養不足で頭がイカレたのかと思ってたけど、そうじゃなかったみたいね」
ルウ子が寝ている間にあった淡い光は今はない。
ミーヤは言った。
「このケータイになにか秘密がありそうですね」
「だとすれば……」
ルウ子はケータイを開くと電源キーを長押しした。なにも起きない。
すべてのキーを一通り押した。うんともすんともいわない。
ぜんぶいっぺんに押した。沈黙を保ったまま。
「ちぇ」
ルウ子は諦めたのか、乱暴にケータイを閉じた。
バクは一つ提案した。
「試しに誰かにかけてみたらどうだ?」
「電源が入らなきゃ意味ないわ」
「そうかな? 歴史の流れはもうマトモじゃないんだ。意味がないってことにもう意味がないかもしれない」
ルウ子は指先を顎にあてて考えこんだ。
「屁には屁を。非常識には非常識をってことかしら」
ルウ子はぷりっと尻を突き出す。
「……」
バクはあえてツッコまなかった。
「ま、ダメもとでやってみるわ」
ルウ子はケータイを開くと、誰かの電話番号を押しはじめた。
頭の三桁までは順調なのだが、その先で手が止まる。何度かやり直したがやはり止まってしまう。
ルウ子は首をかしげる。
「はて?」
「どうかしたのか?」
「忘れちゃった」
ルウ子は苦笑した。
二十九年間のブランクはあまりに長すぎた。無機的な数字の記憶などとうの昔に風化してしまい、今や彼女は実家の番号さえ思い出せない。
それがよほど悔しかったのか、ルウ子はヤケを起こした。
唯一思い出せる番号、自分自身(傍点)にかけたのだ。仮に今、通信できる状態だったとしても、ケータイが『電話』である以上、それはまったくの無駄な行為といえた。
「バカね」
ルウ子はふっと息をつき、ケータイを閉じようとその背に手をかけた。
そのとき。
それまでなにも映っていなかった画面に、いきなり猫の画像が現れた。
「な!?」「あっ!」
バクとミーヤは同時に声をあげた。
「あ……入っちゃった」
ルウ子は呆けていた。鍵も扉もない無敵の金庫を、馴染みのまじない一つで偶然開けてしまった泥棒のごとく。
猫はロシアンブルー似の雑種だった。ソファに寝そべったまま気怠そうにこちらを見ている。
「うわ、生意気そうなコ」
ミーヤはちらとルウ子を見る。
「誰かに似てないか?」
バクはちらとルウ子を見る。
ルウ子はそれにかまわず、今になってようやく驚きと動揺を露わにした。
「い、いったいなにがどうなってんの?」
「ああ、とうとう封印を解いてしまったか」
どこかで子供のような声がした。響きの悪い不自然な音質。
「誰だ!」
バクは辺りを見まわした。
寝室に他人(ひと)の気配はない。
「……」
ルウ子はケータイを握りしめ、画面を凝視したままフリーズしている。
「どうした?」
「し、しゃべった……動いた……アルが……」
「アルって?」
「うちで……飼ってた……猫」
「ま、驚くのも無理はないよね」
画面の中でアルは大あくびをした。
あまりの不条理さにショックを受けたのか、ルウ子はそれからしばらく言葉を失ったままだった。
科学常識にまだ疎いバクが、代わりにアルに迫った。
「どこに隠れている。早く正体を見せろ」
「ここにいるって」
アルは前肢で自分の顔を二度指した。
「なかなかよくできた連続写真だな」
「人形アニメじゃないってば!」
アルは自分の素性を相手に理解させるためだけに、二時間以上も費やした。
アルは『テスラン』という電気の精たちの代表だった。実際にはアルの姿を借りた『何者か』なのだが、人の言葉では表せない名だというので、以後もアルと呼ぶことになった。
電気の伝わりを陰から仲立ちする。彼らにできることはそれだけだった。音でいえば空気や水にあたるものだ。彼らは人知れず神々からあたえられた役目を日々果たしていた。
作品名:パワーショック・ジェネレーション 作家名:あずまや