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パワーショック・ジェネレーション

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「たとえば、コップから蒸発した特定の水をすっかり元通りにしてみせよ……と言われたら君はどうする?」
「それは……」
 和藤は視線を落とした。
 春を告げるつむじ風が二人を煽った。
 和藤の長いくせ毛が顔にからみつく。
 孫は右手でそれを解いてやった。
「あの輝きを再び味わうことはできそうにないな。少なくとも、私の二十一世紀ではね」
 孫は2000年生まれの四十五歳。彼の人生は二十一世紀の繁栄や荒廃とともにあった。
「なら、現実的な『古い機械文明』のほうに力を入れたらどうですか?」
「すでに一度究められた技術では、世界をふり向かせることなどできんよ」
「ふり向かせる、ではなく、復讐……でしょ?」
 和藤は孫に寄り添うと、あるべきものがないそのつけ根に手を触れた。
「考えたことがないといえば嘘になる。だが、私は根っからの臆病者でね」
 孫は口もとを緩めると、すっとメガネを外した。
「……」
「このまま電気のない世界が続くのならば、私はただ歳を重ねていくだけだよ」
「可哀想な人」
 和藤は孫の首筋にそっと唇を寄せた。
「まあ、このままでも一つくらい、いいことはあるか」
 孫は寂しげに微笑んだ。


 4月1日

 バクとミーヤはNEXAの敷地内にある宿舎で暮らし、タワー周辺の研究所群(旧ショッピングモール)に通い続けた。二人はまず基礎的な科学知識を得ようと所内の研究員たちを捕まえたが、彼らは担当する仕事のことで頭がいっぱいで、誰一人まともに取りあってはくれなかった。
 昼は自由をあたえられたが、夜は便所掃除の仕事が待っていた。バクとミーヤはモップを動かしながら不安な胸の内を語りあった。このままでは本当に消耗品として、死ぬまでルウ子にこき使われかねない、と。
 裏方衆の間ではダークな局内伝説がささやかれていた。焼却炉の周りの土が他とちがって白みを帯びているのは、そこに人骨の粉が混じっているからなのだという。

 その日の夕方、バクとミーヤはタワー二階のラウンジで途方に暮れていた。
 ボルトとアンペアのちがいさえよくわからない。夜の仕事は臭いしかったるい。そんな話をしていたときだった。
 柱の陰から見知らぬ女が現れ、いきなりミーヤの隣席に腰かけた。
 縁なしメガネに大人しげなボブ頭。年頃の日本人女性の顔を平均したような、どこにでもいそうな感じの女。
 バクは正面のミーヤと無言の会話を交わした。
 空席だらけだというのに、なんなんだいったい。
 女は使いすぎたパンツのゴムのように緩みきった口調で言った。
「ごめんなさいね。彼らにも厳しいノルマがありまして、必死なんですよぅ」
 女の名は松下蛍(まつしたけい)。人事部からやってきたという。見た目は普通すぎるほど普通だが、中身の歯車は若干嚙みあわせが悪そうだ。
 それにしても、まるで現場を見てきたような物言いが気になる。
 バクは言った。
「で、あんたはここへなにしに来た」
「え?」蛍はきょとんと目を丸くし、ほどなく我に返った。「ああ、そうでしたそうでした。私はこれからお二人の教育係を務めさせていただきます、松下……」
「名前はもう聞いた」
 蛍は自分の頭をコチンと小突く。
「アハ……ハ……ハハ……」
 なにもないところで転んだときのような、痛々しい繕い笑い。ずり落ちるメガネ。
 大丈夫なのか? この人。
 ミーヤは訊いた。
「あたしたちの知りたいことを教えてくれるってこと?」
「あ、はい。局長はそのくらいのハンデはやってもいいだろう、とおっしゃっていました」
「意味わかんないよ! いつから採用試験が真剣勝負にすり変わったワケ?」
「その……私のような末端では、詳しい事情はちょっと……」
 蛍は首をすくめ、眉を八の字にした。
 バクは蛍に気づかれぬよう、密かにぷっと吹き出した。
 いちいちわかりやすいリアクションを取る人だ。
 そこでふと、バクと蛍の目があった。
 蛍は澄んだ瞳をまっすぐ向けたまま、首をくいとかしげる。
 バクは直感した。少なくとも、イジメ要員とか刺客の類ではなさそうだ。それにしても……。
 バクはつうっと視線を下げていった。
 はじめて見たときから、その豊かな胸もとが気になってしかたがなかった。この飢餓の時代に、なにをどれだけ食ったらそうなるのかという疑問が半分。あとの半分は……。
「なに考えてるの?」
 ミーヤは身を乗り出し、バクの顔をじっとのぞきこんだ。
「い、いや別に」バクはミーヤの小さな胸をちら見して、すぐ蛍にふった。「これからよろしく、先生」
 

 7月14日

 バクとミーヤがNEXAに転がりこんでから四ヶ月。
 パワーショック時代に入って以来、人類が化石燃料を使う機会はずいぶんと減り、地球温暖化の人為的な元凶はその影を薄くしていった。乱れていた気象は少しずつ回復していくにちがいない。学者でなくとも誰もがそう考えていた。
 では、この異常な天気はどう説明してくれるのか。
 早朝、みぞれが降った。梅雨が明けて暑さが本格的になろうかというこの初夏にだ。みぞれはやがて小雨に変わり、朝食が終わる頃には止んでいた。

 バクの眼下には干涸らびた統京の街があった。雨が降っても水を吸いこむ余地はなく、新しい命は何一つ生えてきそうにない。
 バクの脳裏に昭乃の姿が浮かんだ。「その街をしかと見よ。電化文明のなれの果てだ」とでも言いたいのだろう。こうして上から眺めてみると、その怒りが少しだけわかるような気がした。
 ここは地上450メートル、かつて特別展望台と呼ばれていた新統京タワーの要所だ。現在は研究用の植物園となっている。朝の凍えそうな寒さとはうって変わって、室内は蒸し暑い。タワーから少し離れた区画に、大きな煙突を備えた清掃工場のような形の建物が見える。エレベーターの動力や温室の暖房はそこで生み出した蒸気でまかなっているのだろう。
 今日は日曜日。蛍の授業はない。図書館めぐりも取り止めた。バクとミーヤは久々に朝から宿舎でだらだらすごしていた。忙しい日々の中にあってこそ怠惰は満喫できるもの。ときにはこんなガス抜きも必要だ。
 二人が小さな幸せに浸っていると、面接以来沙汰なしだったルウ子から、いきなり呼び出しがかかった。今すぐタワーのてっぺんに来いと言うのだ。
 使いの者が去った後、二人でさんざん文句をたれた。だが、独裁者ルウ子の「口答えするなら人体実験よ」には逆らえない。というわけで、こうしてはるばる天空へやってきたのだが……。
「ったく……そっちから呼び出しといて遅刻かよ!」
 バクはガラス張りの窓壁を蹴った。
 強化ガラスはびくともせず、足が痺れるだけだった。
「でも、おかげでこうして……」
「うん?」
「いや、なんでもない」
 ミーヤは顔を赤らめ、かすかに身をよじって下を向く。
「……」
 バクはミーヤをじっと見つめた。
「な、なによ、人の顔じろじろ見て」
「ミーヤ。実は今まで言えなかったことが一つ、あるんだ」
「え?」
 ミーヤは潤んだ瞳でバクを見上げた。
「風呂は毎日入れよな。フケが出てる」
「バカァ!」
 乾いた打撃音が一つ、密林に響いた。
「はいカットぅ!」
 木々のすき間からにゅっとルウ子が現れた。
「て、てめぇ……」