りんみや 陸風4
「あれは駄目だなあ、芙由子。病人っていう自覚はないんだろうよ。本当に林太郎さんと瓜二つだ。」
「懐かしいですねぇ、若い頃のパパさんみたい・・・三年前の時は、大人しくなさってましたねぇ。」
「そりゃ、あの人だって年だ。城戸さんのようなわけにはいかねぇーや。」
若かりし頃のりんは城戸と同じように病人である自覚が足りなくて、浦上に監禁されていた。仕事が立て込んで、などと理由をつけて外出しようとするから余計に浦上は激怒していたものだ。それで肺炎を併発して入院させられた。そんな過去の話を芙由子は思い出したのだ。その頃のりんより城戸は少し年上ではあるが、それでも似たようなものだ。
「さあ、みあちゃん、送ってあげましよう。城戸さんのお部屋までおじいちゃんとおばあちゃんと手を繋いでくれる?」
「うん、急ごう。たっちゃんに怒られてるの。止めなくちゃ。」
「多賀さんも大変だ。・・・なあ、芙由子、浦上さんは多賀さんに上手な付き合い方を教えてやったかなあ?・・・あの人は上手に付き合ってる第一人者だ。」
「さあ、どうでしょうねぇ。」
ふたりは笑いながら歩き出す。子供がせっつくから急ぎ足ではあるのだが、気分的にはのんびりしたものだ。
「・・・・おまえは心底バカだ。」
離れに走り込んできた城戸に、大きなため息をひとつ吐いた多賀は静かに言い放った。へーへーと肩で息をして自分の前に立っている男は、実は病人で完治していないし療養している身だったりする。自覚のない病人は厄介だと浦上が苦笑交じりに体験を語ってくれたが、確かに厄介だ。
「ごめん、ごめん・・・探してくれてただろ? 急いで戻って来たんだ。」
と、病人は謝っているのだが、そもそも急いで戻るのに走っていること自体が大間違いである。そのうち病人は、あれあれと呟きながら片膝をついた。貧血を起こしたのだ。
「リッキー、横になれ。」
肩を貸して離れのソファに横にした。当人はなぜ目が回っているのかすらわからない。
「私も年なんだなあ・・・あれぐらいで立ち眩みするなんて、情けない。」
「おっおまえなあ・・・立ち眩みって、それは貧血というものだ。いいか? おまえは病人で療養途中の弱ってる人だろ? そういう人間が全力で走るのは間違いだ。」
「・・いや、待たせるのも悪いだろうと思って。」
本当に何気なく城戸はそう言ったのだが、多賀の堪忍袋が切れる音が聞こえるような怒声が轟いた。
「こっの大馬鹿ものっっ。やっぱり、おまえは監禁だっっ。どこの世界に医者待たせるのが悪いって弱った病人が走ってくるんだ? 大人しく一歩ずつ歩いてこいっっ。だいたいなあ、おまえが自分がどれくらい弱ってるか自覚がなさすぎるぞっっ。内蔵はボロボロ、心臓は肥大してる、肺は半分動いてないっっ、血液の比重なんて軽くて宇宙まで浮いちまいそうなくらいだっっ。そんなやつは重病人で本来なら入院してなきゃいけないんだっっ。」
「そんな大袈裟なあ・・・もう治まったよ。悪かったって謝ってるじゃないか。」
自覚のない病人はふらふらと起き上がった。目眩は粗方治まった。どうということもない、という態度で立ち上がる。自分の部屋に戻る為に歩き出した。顔色は真っ青なのに、それでも気丈なもので普通に歩くから、質が悪いこと、この上もない。そこに佐伯たちがやってきた。美愛が城戸にまとわりついた。
「りっちゃん、歩かないほうがいいよ。」
「でも、ここで立っているわけにもいかないだろ? 」
「お願い、美愛の能力・・・使わせて。りっちゃんを部屋に送るだけ、美愛はちゃんと歩くから・・・・」
「ありがとう、美愛。でも使ってはいけない。すぐ、そこだから自分で歩ける。」
さすがに子供を抱き上げてやるのはできなくて、城戸は佐伯夫婦に会釈して屋敷に入っていった。後から多賀が憤慨しながらも追い駆ける。浦上の有り難い忠告に従うことが一番だと多賀は考えた。
「りんさんもそうだけど・・・城戸くんも同じだからね。納得させることなんてできないから、有無を言わさずに付き合わせるが基本だよ、多賀くん。」
確かにそういうことだ。自覚できないのだから説明しても理解してもらえないのだ。それなら理解など最初から求めてはいけない。独断と偏見と言われようとも治療に専念することだ。
「なあ、タガー・・・いい加減に治療はお開きにしてくれないか? そろそろ、やらなきゃいけないことが溜まってきたんだ。一度、イギリスのオフィスにも顔を出したいから、投薬に切り替えて貰えないかな。」
のんびりと城戸が文句など宣っている。病人のたわごとなど受け付けられるはずがない。ふん、と鼻息であしらって点滴の準備をする。
「連絡して葛のオフィスから人を派遣してもらえ。治療は継続するぞ。」
「そんなことできないよ。私はスタッフから外れてるし、あっちは私個人のオフィスなんだ。葛に頼める代物じゃないんだ。」
「心配するな、誰もおまえがスタッフから外れたなんて思ってない。クッキーだって、そんなつもりで事業から外したんじゃない。俺から連絡しといてやる。」
「タガー、それは無理だ。」
「いいから、ぐちゃぐちゃ文句言ってないで寝てろ。てめぇーは今のところは俺の管理なんだ。おい、美愛、このバカが勝手に動き回らないように見張ってろ、いいな。」
「うん、たっちゃん、委せて・・・はい、りっちゃんはおネムだよ。いい子だから、ネンネしようね。」
子供に頭を撫でられては、城戸も抗議できない。諦めて目を閉じた。すぐに薬効で眠ってしまう。ついでに子供も静かになる。やれやれと多賀は頭を掻きながら部屋を出る。自分の友人が、これほどにリィーンと似た性質の生きものだったとは驚きだ。今まで気付かなかったのは、そういう場面に出くわすことがなかっただけだ。
数日後に、葛から連絡が入った。本気でやったのか、と城戸は多賀を睨んだが、相手は無視している。さっさと出ろとばかりに受話器を押しつけた。
「やあ、少しは元気になったのか? 」
「うん、もう元気にしてるんだけど、タガーが厳しいんだ。それより、葛・・・悪かったな? タガーがわけのわからないことを頼んだんだろう?・・・それは、プライベートなほうだ。気にしないで忘れてくれ。」
「ああ、私も連絡しないといけないと思ってたんだ。イギリスのオフィスは、そのまま貰い受けたよ。それと、ニューヨークのアパートメントも引き払った。荷物はトランクルームに預けてある。・・・後は、リッキーの闇ルートの解明中だが、それも近日中には判明して、うちの管理に組み入れることになってる。・・・きみの部門は、DGが協力してくれて、なんとか解体して再編成できた。何も向背の憂いはないから、安心して子供の教育に専念してくれ。」
突然に葛が言い出したことに城戸のほうがあんぐりと口を開けた。何からなにまで手配してくれたらしい。それも、自分のコネクションまでご丁寧に解明させているらしい。城戸の持っていた情報ルートは一部が華僑の闇ルートも含まれている。そこのところで難航している様子だが、それもなんとかできそうだという。