りんみや 陸風4
我侭一杯の子供も相当に罰が堪えたのか、それ以来、能力は使わなくなった。ちゃんと自分の足で移動する。城戸のパジャマの裾を持って子供は楽しそうに散歩している。時折、だっこして木の梢に座らせてやったり、そのままおぶって城戸が連れていることもある。見た目には仲睦まじい親子のようで、屋敷のものも目を細めて眺めている。
蓮池近くの芝生に座って、のんびりと休憩する。そこはゆきが一番好きだった場所で、弱って寝付いていても必ず、城戸に連れて行ってくれとせがんだ。
「ゆきは、ここで蓮の花を見るのが好きだった。水辺の風景というのが珍しくて、きれいだって、いつも言ってたよ。」
「りっちゃんは好き?」
「さあ、どうだろう。あまり考えたことはないな。美愛は好きかい?」
「うーん、きれいだけど・・・」
城戸の記憶に残っている父親は、蓮の花を眺めて儚く微笑んでいる。さびしい風景だ。たぶん、自分で動けなくて連れてきてもらわなければならなかった。彼女のように走り回って池を一周することなんて考えもできなかっただろう。
「・・・きれいだけど、ちょっとさみしい・・・」
「そう、それなら場所を移動しようか?」
「ううん、いいの。りっちゃん、ちょっと座ってて。美愛、池を一周する。」
立ち上がりかけた城戸を止めて、子供はパタパタと走りだした。りっちゃんは疲れているので休まないといけない。ここまで自分をだっこしてくれたせいで疲れているのだ。本人には自覚できないことだが、子供にはわかる。だから、座っていてもらうことにした。池を半周したところで池越しに佐伯の祖父母が城戸の傍に居た。
「ああ、賢くなったもんだ。走って戻ってくるぞ、芙由子。」
子供が急いで走って戻ってくる姿に佐伯は目を細めた。それまでなら確実に池を飛び越えていたはずだ。
「ほんとうに、城戸さんにはみやちゃん共々、お世話をおかけします。」
「いえ、とんでもない。お孫さんが近くに居るのに、少しもそちらに戻らせていないので・・・恐縮しています。申し訳ありません。なるべく、そちらに戻るようにと言ってはいるんですが・・・なかなか聞き分けてくれなくて・・・」
芙由子が頭を下げているのに、城戸は慌てて自分も頭を下げた。一緒に住んでいるはずの祖父母から引き剥がしているのだ。申し訳ない、と城戸は思う。毎日ことあるごとに、保護者のところへ帰れ、と命じるのに、それは聞き分けてくれない。
「それこそ、とんでもありません。」
「そうだよ、城戸さん。あんたには申し訳ないと俺らのほうが謝るほうだ。みーちゃんの時も随分と迷惑かけてるのに、その子供のことでも世話させることになって・・・まあ、ゆっくり養生して、あれの相手をしてくれよ。俺らも年くっちまって相手するのが大変だったんだ。」
佐伯達も初老の年令で、五歳の孫の相手はできかねていた。それに息子は病気がちで大人しかったから元気な孫とは大違いだった。病床に臥していることの多かった息子には精神的に心配させられたが、孫は体力的に付き合うのが辛い。
「はあ、そうさせてもらいます。」
「働き詰めでゆっくりしてなかったんだろ? 林太郎さんも大概にボケてるけれど、城戸さんも同じくらいボケてるよ。あんたたちは一点に集中しすぎだ。ちったあ、他にも関心を持ちなさい。」
佐伯たちですら、五年して現われた城戸にびっくりした。あまりに顔色が悪くて痩せていた。それは三年前の林太郎と同じで、本人にだけわからないという状態だった。それがどういうことなのか、佐伯夫婦にも理解できた。認められなかったということだ。自分たちには娘と孫がいて、息子が突然に死んだことを悲しみこそすれ、浸っていることはできなかった。愛情の深さの問題ではなく、城戸には他に何もなかった所為だ。
「・・・そうですか? それほど集中するタイプではないんですが・・・タガーにも浦上さんにも同じこと説教されました。今度からは気をつけます。」
「ああ、今度は一筋縄にはいかないよ。あれは泣きもしやがらねぇ、頑固な孫だ。あんたもせいぜい体力つけないと保たないぜ。」
佐伯のぼやきに城戸と芙由子は静かに笑った。息子は叱られれば泣くなり落ち込むなりしていたが、孫は叱っても抵抗するし逆に反論する。我侭いっぱいにさせていたのも問題だが、本質的に孫は強い。
「そりゃ、半分はみやちゃんだけど、半分はまりちゃんの血なんだもの。無理もないですよ、おとうさん。」
「でもな、芙由子・・・女の子は男親に似るっていうじゃないか。あれはまるっきりまりちゃんのコピーだ。」
「でも、顔立ちはゆきのコピーですよ、佐伯さん。最初に見たときは、あまりに似ていたから驚きました。」
「うん、そうなんだ。だから、余計に始末が悪くってなあ。・・・みーちゃんの顔で憎まれ口叩かれてみなよ、俺はそれだけでショックだ。」
同じ顔で反応が違う。それはそれで堪える。そんな会話の最中に孫が戻ってきた。ぽーんと城戸の背中に飛び付いた。五歳児とはいえ、それはかなりの衝撃だ。いきなりやられては城戸だって前につんのめる。
「まあ、みあちゃん・・城戸さんはお体が悪いのよ。そんな乱暴なことしては駄目よ。」
「ああ、慣れましたから。大丈夫です、芙由子さん。・・・美愛、私は屋敷で治療の時間だから、おまえは佐伯さんたちと一緒にいなさい。」
これが日常茶飯事だから城戸も慣れた。もはや注意する気も起きない。自分の首筋に巻き付いている腕を叩いて、佐伯たちのほうに、その身体を押し出した。それなのに、小さな身体はくるりと向きを変えて自分の胸に飛び込んできた。
「いやっ、りっちゃんとお昼寝するの。」
「どうせ、昼寝するんなら傍に居なくてもいいだろう? 二時間くらいは部屋からは出ないよ。勝手にいなくなったりしないから・・・」
「駄目、りっちゃんとがいいのっっ。後でりっちゃんと一緒に佐伯のおうちに遊びに行くからいいのっ。」
そんなこと予定していないけど・・・と城戸はおかしくて吹き出した。佐伯たちにも口から出任せであることはわかっている。こちらも笑いだしている。
「いいって、城戸さん。後で遊びに来てくれよ。とにかく、あんたの傍がいいらしいんだからさ。・・・みあちゃんも、それならおじいちゃんのところへ来るんだよな?」
「うん、りっちゃんが一緒なら行く。おじいちゃん、ゼリー作って。」
「ああ、いいよ。じゃあ、昼寝してからおいで。・・・じゃあ、戻るとしようか?」
佐伯も料理長の仕事はすでに下りている。一応、週に何度かは仕事をしているが、後は新しい料理人に任せてある。だから比較的、時間に余裕があって孫のために何やかんやと作ってやるのが楽しみになっている。
「あっ、たっちゃんが探してるよ、りっちゃん。急ぐから飛んでもいい?」
突然に子供が城戸に伝える。屋敷の全域で動く人間のことはほぼ掌握できているらしく、多賀が探し始めるとこういって教えてくれる。
「いや、叱られることにするさ。どこにいるんだ?」
「離れだよ。」
「それなら、すぐだ。後から佐伯さんたちとおいで。すいません、先に行きます。」
あっと芙由子が止めようと口を開く前に城戸は駆け出した。療養している人は走らないほうがいいはずだ。
蓮池近くの芝生に座って、のんびりと休憩する。そこはゆきが一番好きだった場所で、弱って寝付いていても必ず、城戸に連れて行ってくれとせがんだ。
「ゆきは、ここで蓮の花を見るのが好きだった。水辺の風景というのが珍しくて、きれいだって、いつも言ってたよ。」
「りっちゃんは好き?」
「さあ、どうだろう。あまり考えたことはないな。美愛は好きかい?」
「うーん、きれいだけど・・・」
城戸の記憶に残っている父親は、蓮の花を眺めて儚く微笑んでいる。さびしい風景だ。たぶん、自分で動けなくて連れてきてもらわなければならなかった。彼女のように走り回って池を一周することなんて考えもできなかっただろう。
「・・・きれいだけど、ちょっとさみしい・・・」
「そう、それなら場所を移動しようか?」
「ううん、いいの。りっちゃん、ちょっと座ってて。美愛、池を一周する。」
立ち上がりかけた城戸を止めて、子供はパタパタと走りだした。りっちゃんは疲れているので休まないといけない。ここまで自分をだっこしてくれたせいで疲れているのだ。本人には自覚できないことだが、子供にはわかる。だから、座っていてもらうことにした。池を半周したところで池越しに佐伯の祖父母が城戸の傍に居た。
「ああ、賢くなったもんだ。走って戻ってくるぞ、芙由子。」
子供が急いで走って戻ってくる姿に佐伯は目を細めた。それまでなら確実に池を飛び越えていたはずだ。
「ほんとうに、城戸さんにはみやちゃん共々、お世話をおかけします。」
「いえ、とんでもない。お孫さんが近くに居るのに、少しもそちらに戻らせていないので・・・恐縮しています。申し訳ありません。なるべく、そちらに戻るようにと言ってはいるんですが・・・なかなか聞き分けてくれなくて・・・」
芙由子が頭を下げているのに、城戸は慌てて自分も頭を下げた。一緒に住んでいるはずの祖父母から引き剥がしているのだ。申し訳ない、と城戸は思う。毎日ことあるごとに、保護者のところへ帰れ、と命じるのに、それは聞き分けてくれない。
「それこそ、とんでもありません。」
「そうだよ、城戸さん。あんたには申し訳ないと俺らのほうが謝るほうだ。みーちゃんの時も随分と迷惑かけてるのに、その子供のことでも世話させることになって・・・まあ、ゆっくり養生して、あれの相手をしてくれよ。俺らも年くっちまって相手するのが大変だったんだ。」
佐伯達も初老の年令で、五歳の孫の相手はできかねていた。それに息子は病気がちで大人しかったから元気な孫とは大違いだった。病床に臥していることの多かった息子には精神的に心配させられたが、孫は体力的に付き合うのが辛い。
「はあ、そうさせてもらいます。」
「働き詰めでゆっくりしてなかったんだろ? 林太郎さんも大概にボケてるけれど、城戸さんも同じくらいボケてるよ。あんたたちは一点に集中しすぎだ。ちったあ、他にも関心を持ちなさい。」
佐伯たちですら、五年して現われた城戸にびっくりした。あまりに顔色が悪くて痩せていた。それは三年前の林太郎と同じで、本人にだけわからないという状態だった。それがどういうことなのか、佐伯夫婦にも理解できた。認められなかったということだ。自分たちには娘と孫がいて、息子が突然に死んだことを悲しみこそすれ、浸っていることはできなかった。愛情の深さの問題ではなく、城戸には他に何もなかった所為だ。
「・・・そうですか? それほど集中するタイプではないんですが・・・タガーにも浦上さんにも同じこと説教されました。今度からは気をつけます。」
「ああ、今度は一筋縄にはいかないよ。あれは泣きもしやがらねぇ、頑固な孫だ。あんたもせいぜい体力つけないと保たないぜ。」
佐伯のぼやきに城戸と芙由子は静かに笑った。息子は叱られれば泣くなり落ち込むなりしていたが、孫は叱っても抵抗するし逆に反論する。我侭いっぱいにさせていたのも問題だが、本質的に孫は強い。
「そりゃ、半分はみやちゃんだけど、半分はまりちゃんの血なんだもの。無理もないですよ、おとうさん。」
「でもな、芙由子・・・女の子は男親に似るっていうじゃないか。あれはまるっきりまりちゃんのコピーだ。」
「でも、顔立ちはゆきのコピーですよ、佐伯さん。最初に見たときは、あまりに似ていたから驚きました。」
「うん、そうなんだ。だから、余計に始末が悪くってなあ。・・・みーちゃんの顔で憎まれ口叩かれてみなよ、俺はそれだけでショックだ。」
同じ顔で反応が違う。それはそれで堪える。そんな会話の最中に孫が戻ってきた。ぽーんと城戸の背中に飛び付いた。五歳児とはいえ、それはかなりの衝撃だ。いきなりやられては城戸だって前につんのめる。
「まあ、みあちゃん・・城戸さんはお体が悪いのよ。そんな乱暴なことしては駄目よ。」
「ああ、慣れましたから。大丈夫です、芙由子さん。・・・美愛、私は屋敷で治療の時間だから、おまえは佐伯さんたちと一緒にいなさい。」
これが日常茶飯事だから城戸も慣れた。もはや注意する気も起きない。自分の首筋に巻き付いている腕を叩いて、佐伯たちのほうに、その身体を押し出した。それなのに、小さな身体はくるりと向きを変えて自分の胸に飛び込んできた。
「いやっ、りっちゃんとお昼寝するの。」
「どうせ、昼寝するんなら傍に居なくてもいいだろう? 二時間くらいは部屋からは出ないよ。勝手にいなくなったりしないから・・・」
「駄目、りっちゃんとがいいのっっ。後でりっちゃんと一緒に佐伯のおうちに遊びに行くからいいのっ。」
そんなこと予定していないけど・・・と城戸はおかしくて吹き出した。佐伯たちにも口から出任せであることはわかっている。こちらも笑いだしている。
「いいって、城戸さん。後で遊びに来てくれよ。とにかく、あんたの傍がいいらしいんだからさ。・・・みあちゃんも、それならおじいちゃんのところへ来るんだよな?」
「うん、りっちゃんが一緒なら行く。おじいちゃん、ゼリー作って。」
「ああ、いいよ。じゃあ、昼寝してからおいで。・・・じゃあ、戻るとしようか?」
佐伯も料理長の仕事はすでに下りている。一応、週に何度かは仕事をしているが、後は新しい料理人に任せてある。だから比較的、時間に余裕があって孫のために何やかんやと作ってやるのが楽しみになっている。
「あっ、たっちゃんが探してるよ、りっちゃん。急ぐから飛んでもいい?」
突然に子供が城戸に伝える。屋敷の全域で動く人間のことはほぼ掌握できているらしく、多賀が探し始めるとこういって教えてくれる。
「いや、叱られることにするさ。どこにいるんだ?」
「離れだよ。」
「それなら、すぐだ。後から佐伯さんたちとおいで。すいません、先に行きます。」
あっと芙由子が止めようと口を開く前に城戸は駆け出した。療養している人は走らないほうがいいはずだ。