天気予報はあたらない
『悟志責めても何もなんないじゃん、ごめんね。全然、悟志は悪くないよ。』
再び、自己完結。その様子に腹が立つことも通り越して、啓太の精神状況ばかりが気にかかる。
『悪いのは、ぜーんぶ、俺。』
「いきなり、今度はなんだよ。」
『ごめんね、巻き込んで。俺は、もういいから。』
「けーちゃんっ。何、考えて……。」
『悟志、』
言い知れない何かに駆られた俺が差し込んだ言葉を遮るように、啓太が言葉を一言放つ。
『ばいばい。』
「けーちゃ……。」
プー、プー、プー……
電話の奥から聞こえてくる通話が終わった音を知らせる音が、心の痛いところをズンズン突き上げる。その痛みから解放されたくて、何度もリダイヤルするが、一向に出る気配はなく、携帯電話の発信者履歴に啓太の名前と番号ばかりが積もっていく。
痛みは徐々に焦りに変わり、冷静さも失われていく。何かしなくてはいけないのだが、何もできない自分にイライラし悲しんで、自分自身をむしばんでいく。これを抑える特効薬の安心は手に入れるには、啓太の身の安全を確認することだけだった。
――俺、なんもできねぇな。
そう思えど、ただの一般高校生がどうすることもできない。超能力があればとか、財力があればとか、権力があればとか、そんなことを思い浮かべても、今すぐ手に入るものでもない。それでも、そんなものが自分にあったとして、啓太を見つけた時に抱きしめて力のある言葉をかけられる力がないのではどうしようもないのだ。
俺は、無力だ。
そう思えば思うほど、自分のすべきことがどんどんかすれて消えていく。一瞬何かしようと考えていた段階で、とりあえず外に出ようと立ち上がった足も、今では力なく折れてそのまま携帯を握りしめたまま床に座り込む。
テレビから流れてくるバラエティ番組の笑い声がうるさい。なんか。自分とは関係のない世界で笑っているのに、自分のことを笑っているように聞こえて仕方ない。
「うるっせぇ。」
乱暴にテレビの主電源を切る。テレビは光を一瞬にして失い、真っ黒なブラウン管が光に反射して自分の顔を映す。
――これは、笑われても仕方ないじゃん。
笑われたくなさに消したテレビのはずなのに、そこに映った自分の姿に、情けなさが滲み出ていた。こんなみっともない姿、笑われても仕方がないのだ。テレビから漏れる笑い声の対象は、テレビの中で起こっているバラエティ的展開ではなくて、確実に自分だったのだ。
「もう、どうすれっていうんだよ。」
独り言は、誰にも届かない。
改めて無力を感じるとともに、啓太のはたして何をしているのだろうか。泣いているのか、笑っているのか、絶望しているのか、生きているのか。不吉な答えは、自分の中で、膨らむだけ膨らんで、自分の脳髄を侵し始める。こんな状況でポジティブに考えられる奴なんて居るのだろうか。
今の俺と啓太は、まるでスクランブル交差点の対角線上に居るようだ。気づいているのはこちらだけで、向こうは自分の姿になんて気づいていない。必死に目を合わせて、気づいてもらおうとじっと見つめるが、二人の間に入り込む車がお互いの姿を隠し、視線をかき消す。あちら側に居るのはわかっているのに、何も伝わらない。
目の前の信号が青になってしまえば縦横無尽に押し寄せる他人の波に自分の進むべき方向がかき消されてしまい、目的地を見失ってしまう。交差点の真ん中に立っても誰もその手を引いてくれず、ただ一人すれ違いを繰り返しさまようだけ。
――なんで、俺ばっかり、こんな思いすんだよ……。そんなに悪いことしたのかよ、俺はさ。もう、わかんない。
体をすさまじいスピードで、自分でもよくわからない、いろんなものが混ざりに混ざった感情が覆い尽くす。ただ、一つわかることが言えば、明るいものではないのははっきりとしていて、例えてみれば、どす黒い真っ暗な闇の中に居るような感じがしていた。
光が差す気配がないこの場は、徐々に悲しみという名の寒気が徐々に体の中へ吹き込み、ネガティブな感情ばかりが増幅されていく。
こんな感情を呼び起こしてしまう、全ての根底は、全てあの日からだ。
俺をこの地に送り込んだあの一件は、自分でも日々の生活で自然に気づくほど、相当大きい絶望とこの世界からの疎外感を植え付けていた。
慣れない複雑で巨大な地下街で迷子になっても、スクランブル交差点で行きたい方向に行けなくても、ラッシュの電車内で降りたい駅で降りられなくても、いつでも伸ばした手は誰にも触れられることはない。誰かに引き寄せてほしいと願うその手は、無情にもあの日から常に空を掴んでいた。
そんなことを何度も繰り返して、都会の人の流れの速さに慣れてしまううちに、自分ひとりで何とかできるようになった。
地下街で迷子になることもなければ、スクランブル交差点だって対岸に渡れる。ラッシュにも対応することができるようになった。
でも、手を引かれずとも自分ひとりでなんでもできるようになったはずなのに、いつでもその手は何かを期待しているように、とても敏感に空間を感じ取る。誰からも愛をもって触れられずに、この手を引いてくれる人なんて、一生現われることはないのだと気づいていたとしてもだ。
そんな俺に、はたして今の啓太の手は掴めるのだろうか。今、この場所を飛び出して探しに行って見つけたとして、必死に逃げようとする啓太の手は、決してこんな卑しい手にはおさまらないだろう。
つまり、今の俺には啓太は一生救えないのだ。
――あーあ、リアルにわかると、辛いなぁ……。
そんな絶望とともに動けずに座っていると、握りしめていた携帯が大きく鳴動した。
「けーちゃんだっ。」
ディスプレイには、もうかかってこないと思っていた啓太の名前が表示されていた。慌てて通話ボタンを押すと、必死に名前を呼ぶ。
「けーちゃんっ、いま、どこ。」
『悟志さん。オレ、浩二だけど。』
啓太の電話のはずなのに、突然、啓太の弟の浩二が出てキョトンとしてしまう。一度、携帯を耳から離しディスプレイを見るが、確かに啓太の番号で、浩二からではない。
もちろん、浩二のアドレスも知っており、浩二の携帯からかけているのであれば、ディスプレイには浩二の名前が表示されるはずである。それがないのだから、今、確かに啓太の電話に浩二が出ているのだ。
「なんで、こーちゃんが……。」
『兄貴、捕まえたから。』
「えっ。」
不意に聞かされた啓太の無事の報告に、胸をなでおろす。野太いぶっきらぼうな声で浩二が続ける。
『何回も、不在着信あったし、心配してると思って。』
「けーちゃんは……。」
『兄貴は、大丈夫。ここにいるよ。』
逃げ出した啓太の手は、俺の心配をよそに浩二がしっかりと握ったのだろう。啓太には俺がいなくてもその手を掴んでくれる人がいるのだということに、安堵もしたが、同時に少し嫉妬した。
「そっか。」
作品名:天気予報はあたらない 作家名:雨来堂