天気予報はあたらない
多摩川にかかる橋は目前に迫っていた。夜も深くなってきて、道を走る車も少なくなり、静寂が包み始める。次第にお互いの声が聞き取りやすくなり会話も弾み始めた。
それまではお互いの高校のことや、ハマってるバンドの話など、新学期のクラス替えの時に出会った初対面の人たちとする基本情報トークだったが、少しずつお互いのプライベートに迫っていた。
「うわっ、シュン、えろいわ。」
雄平はかなり純らしい。彼女もいたことなければ、告白すらしたことがないらしい。スポーツマンで推薦がかかるくらいだから、告白くらいされただろうと言ってみたのだが、部活が厳しくてそれどころじゃなかったんだとうまくはぐらかされた。
「じゃあなんなんだよ、その剃り込み。」
女を意識してそうな髪型にふれる。単なるスポーツ刈りじゃなくて、そこにラインが入ってる時点で自分をかっこよく見せたい証拠じゃないかと思っていたのだ。
「あぁ、これか。」
雄平はその渦中のラインを指さす。そして、ため息を一つつくと、諦めた目で話す。
「単なる、おっさんの悪ふざけなんだって、これ。」
「おっさんって。」
唐突に出た、意味のわからないワードにつっこみをいれる。
「今日、推薦のやつあるからって、いつも行ってる床屋いったらさ、そこのおっさんがノリでいれやがってさ。」
また大きいため息。遠い目をしてる。
「東京でなめられないように、だってさ。俺、そんなつもりじゃないんだけどな。」
多分、セリフの部分はそのおっさんというひとの口真似をしたのだろう。おっさんと言う割には、若干チャラいしゃべり方だなと思う。
きっと茶目っ気があるんだろう。
まぁ、それ以上に、いまどき、東京に行くだけでなめられないようにってどんなイメージなんだろ。
「なんかさ、気合入りすぎじゃん。俺、そこまで派手なタイプじゃないからさ。」
「いいじゃんか、似合ってるよ。」
「え、そっかな。」
褒められると急に顔がぱっと明るくなる。喜怒哀楽がはっきりしてるやつはめんどくさくなくて付き合いやすい。
その雰囲気づくりに、ますます自分が自然体でいられるような気がした。
「あ、見えた。」
目的の橋へ登る坂の下に来た瞬間に雄平が走り出す。あまりにも唐突だったので出遅れたが、追いかけて橋の手前でその背中を捕まえる。登りきると対岸の神奈川の街の明かりが見えたが、東京ほどギラギラとしておらず穏やかな空気が流れているようだった。
「よし、いくぞ。」
そういうと雄平は橋を渡り始める。こんなことにドキドキしても仕方がないが、その張り詰めた表情に自然に無言になり後ろからついていく。
本当のことを言えば県境はここでは川の真ん中にあるのだが、そこまで厳密に言うのは野暮なので、雄平の判断にまかせようと思う。
夜の川はすごく神秘的だ。橋の上から下をのぞけば漆黒の水面が月に照らされあやしく光り吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。水面に自分の影がうつると、川の流れですぐに歪む。まるで自分の歪んだ心のよう。
「あのさ。」
橋の中盤くらいで雄平がそう言い立ち止まる。突然だったのでその背中にぶつかり鼻を強打してしまった。
「もう、なんだよさっきから。急に走ったり立ち止まったり。」
少しのイライラを言葉に変えてぶつける。語気の強さの変化に気がついたのだろう、とてもその背中に弱々しいさを感じる。この黙っていた数分間に一体何を考えていたのか、すごく気になってしまう。
「なんだよ、ユーヘイ。」
「あ、やっぱなんでもないや。シュン、ごめんな、行くべ。」
おれの問いかけをスルーするようにして、再び歩き出そうとする。その腕をがっしりとつかむ。
「謝んなよ。」
ごめんという言葉がひどく胸に突き刺さる。きっと今日のことを思い出してしまうからなのだろう。
謝りの言葉を聞く度に、啓太の泣き顔を思い出してしまう。
こんなにも自分は厄介な性格だったのか。過去に起こったことを引きずって、今、目の前にあるものに訳もわからず重ねて、イライラして悲しんで。嫌われる要素ばかりでひどく嫌になる。
雄平は何を思っているんだろう。その手を柔らかく逆の手でほどくと振り返らずに言う。
「県境、とりあえず行くべ。」
雄平は歩き始める。対岸はもうそこまで迫っていて対岸の町の名前が書かれた案内板が目の中に入る。その前でゆっくり立ち止ると、飛び越えるようにして橋を渡りきった。
「シュン。」
感慨深げな顔で振り返り、そっとおれの名前を呼ぶ。
「どう、県境越えは。」
「普通だったな。」
「そりゃそうだって、なんもねぇもん。」
苦笑いがこぼれる。あんなに大騒ぎしていたのに、感想が普通とはいかがなものか。
むしろこちらの方が普段意識しないものを意識させられてちょっと感動しているくらいだというのに。
「これが大昔だったらもっと感動したんだろうけどな。」
そういうと雄平は橋の欄干に腰をかける。顔には明らかに疲れが浮かび上がっていた。
「そうだな。」
そう言い、隣に腰掛ける。やっと下がり始めた気温とともに夜風が涼しい。
「簡単すぎて、拍子抜け。」
「なんだよ、それ。」
「もっと緊張感とかあんのかと思ってさ。」
「ねぇよ、こんなところに。」
いまどき徒歩じゃなくても、車だって電車だって自転車だって、東京に居れば県境なんて物は何の気なしに越えられるものなのだ。こんなものに特別な価値を置くなんて甚だ間違っているし、そんな感覚などもともとおれは持ち合わせていなかった。。
「だってさ、ライン超えるのって覚悟いるじゃん。バンジーの一歩目とか、バスケのサイドラインぎりぎりのプレーとか、大学の推薦で一人で東京来るのとかさ。」
最後のはわからないが、確かにそうだと思う。ついでに加えておけば、恋愛の一線を越えるのも相当の覚悟だ。この線を越えてしまえばの元の関係に戻れないかもしれない。今まで平衡を保っていたものが崩れることほど恐怖はないだろう。
じゃあ、啓太はどれだけの覚悟をしたというのだ。
あんなに震えて、あんなに泣いて、あんなに必死になって。そんな覚悟におれはただ二人の幼馴染という関係性を守ることに必死だった。
自分のために。自分のためだけに。
「けど、今日のはこんな簡単で。なんか、んー、何言いたいかわからなくなってきた。」
そう言うと立ち上がる。雄平が次にどうするのか見守っていると、おもむろに川の近くにある公園にある自動販売機を見つめていた。
「なんか、喉渇いた。お前、何かいるか。」
「なに、おごってくれんの。」
「ばーか。あ、でも、まぁいっか、礼だ、礼。」
意地悪な笑顔を浮かべると、ズボンのポケットから財布をとりだす。
「十秒以内に言えよ。じゅ……。」
「アクエリ。」
「即答かよっ。」
そう言うと、駆け足で自販機まで駆け寄っていく。その後ろ姿を見送りながら、雄平の言うラインについてまた考えていた。
作品名:天気予報はあたらない 作家名:雨来堂