天気予報はあたらない
その場にいた中村という男がなかなか強引で、休み時間に急に俺のもとに来たか思うと、腕をつかみ集合させられ、うまいこと言われてあれよあれよという間にそこに居た全員とアドレスを交換させられていたのだ。その場に居合わせた奴らの中で一番でかかった男が木崎だったのだ。そのため、一度思い出してしまえばその印象は強烈ですぐにインプットされた。
「ごめん、すぐ思い出せなくて。」
「いいって、こっちも急に声掛けたし。」
そういうとまた笑ってくれた。こうして会話をしていると先ほどまで包まれていたおれを阻害する雑音が消え去り、街の一部になれた気がして先ほどまでの気持ち悪さは消えた。その事実にそっと胸をなでおろす。
「なんで、声掛けてくれたん。」
「おれ、地方から来ててさ、飛行機なくて今日中に家か帰れなくて。」
「そっか、北海道だっけか。」
そういえば、中村と木崎が出身地の話をしているのを遠巻きに聞いていた気がする。
「そうそう、あたり。で、今日この近くのホテル泊まってるんだけど、飲み物買いにコンビニに来たら、駅前で座ってるやつがいて、やっぱ都会だな―って思ったら、なんか見たことある顔だったからさ。」
話し方がおおらかだな、と思う。言い回しもそうだが語尾や語勢も非常に柔らかくて、自然に内容が体の中に入ってくる。
「覚えててくれて、ありがと。」
「いきなりなんだよー、変な感じだな。」
向こうが気づかなかったら、おれは百パーセント気がつかなかったであろう。それが、向こうが気づいて勇敢にも話しかけてくれたおかげで、おれは今、救われている。
そのことに対してふいにお礼が言いたくなったのだ。
「でさ、なんでこんな夜中に、こんなところにいるん。」
「別に、特になんもなくて。」
親友ともめて自暴自棄になっていたとは、さすがに言えないだろう。しかも、男同士の恋愛感情のもつれだなんて、到底、初対面の人間に言える問題じゃない。
「うわー。じゃあ、夜遊び歩いてる感じなんだ。やっぱ都会だなー。」
雄平の『都会』という言葉がなんかくすっぐったい。しかし、否定するべきことはしっかりと否定しておかなくてはならない。ここで変な印象を与えてしまうのは、これからの自分にとってよくない。
「違うよ、今日はたまたま。」
「そっか、深くはきかないでおくよ。人生いろいろあるしな。」
「そ、いろいろあるんだよ。」
今までのぐるぐるしていた気持ちが、少しづつまぎれていく。今ほど、中村に感謝しまくりだ。
あいつ、グッジョブ。こんど、会ったら褒めてやろう。
そう思っていると、雄平が再び口を開いた。
「でさ、聞きたいんだけど神奈川ってどっち方面なん。」
「どっち方面って。」
急な質問の変化に、超高速でどぎまぎする。このタイミングでこんな質問をぶっこんでくるなんて、考えもしなかった。
「そんなの聞いてどうするんだよ。」
「や、さっきコンビニ検索してて、地図見たら県境近くてさ、だから、歩いて行ってみようと思って。」
確かにこの近辺には東京都と神奈川県に境界をつける多摩川があり、県境のすぐそばだ。だからといって、県境なんて目に見えるものじゃなくて、そんなにアトラクション性のないものだ。県境なんか行ったってなんの価値も見い出せないのだから、その発言に大きなはてなマークばかりが灯る。
「県境って、そんなとこ行ったってなんもないよ。」
「う、やっぱ都会だな。」
そう言うと、雄平は肩ををすくめておどけた素振りをする。県境なんて何度も超えているのだから、そんなものに価値を見出すなんて、よっぽどの物好きだ。
そんな俺を尻目に雄平は語り続ける
「おれ、北海道だからさ、歩いて県境越えたことないのよ。修学旅行も沖縄だったしなっ。飛行機乗ってたらいつの間にか本州全スルーしててさー。だから、ちょっと憧れてんだよね。」
「そっか、考えてみたらそうだな。」
「今年のインターハイも北海道だったし。やっとのことで優勝して、いざ本州だ、って思ってたのにさ。」
「なんだよ、それ。」
必死に笑いをこらえる。抱腹絶倒のオチがあった訳じゃないのに、腹の底からふつふつと笑いが沸きあがってくる。
普段から横浜だとか浦安だとか行っていたおれにとってこんなに無意識なことが、雄平にとってこんなにも神秘的なものに早変わりする。そんなものに興味がわかないわけがない。
思わず相槌が大きくなる。
それに気を良くしたのかはわからないが、雄平も楽しそうに会話を続ける。
「そうだぜ。だから俺、まだ新幹線も乗ったことねぇの。」
そんな世界があるのかと、少し感心する。こういう風に話しているだけで、自分の世界が広がっていく感じは非常に心地いい。なによりさっきまで悩んでいた事柄について考える隙間を真新しい情報たちが埋めていく。
――おもしろい。付き合ってやるか。
こいつについていけば、こんな心も晴れて、また普段通りに戻るかもしれない。
全てが元通りじゃなくてもいいのだ。
少なくとも泣き顔から笑顔へと移行していれば、先が開けるってもんだ。当の雄平はおれの同行を望んでいないかもしれないが、無理矢理にでもついってってやろう。そう決め込んで、口を開いて誘い文句を頭の中で組み立てる。
おれは、今、雄平が必要なのだ。
「あのさ、」
雄平の話の合間を縫って一言切りだす。
「多摩川、ここまっすぐいったらいけるから。」
そっと、多摩川の方を指さす。道が曲がっていて先が見えないが、基本的には一本道で、しばらく歩けばやがて橋につくだろう。
――そんなことじゃなくて。言えよ、おれ、一緒に行きたいって。
しかし変な気恥かしさが邪魔をして、一緒に行こうという数文字を心の奥に飲み込んでしまう。
「お、ありがと。」
そういうと雄平が立ち上がる。軽く尻についた汚れを払うとこっちに向き直る。
「じゃあ、遅くなる前に行ってみっかな。じゃっ、またメールするわ。仲良くしてな。」
そう言うと踵を返して、おれの指し示した方へ歩きだす。雄平の大きな背中がみえた瞬間に思わず声が出ていた。
「木崎っ。」
突然呼び止められて驚いたようで、何とも言えない顔で振り返る。あまりにも声が弱々しすぎて自分でも驚いてしまう。
――なんて声、出してんだよ。
慌てて顔をそらす。しかし、雄平は俺の前に再びしゃがみ込むと。ずるい笑顔でおれを覗き込んで一言放った。
「何、ついてきてくれんの。」
「え。」
急に降りてきた望んでいた一言に、思わず感嘆がもれる。
「そんな顔されたら連れていかないわけにいかないじゃん。なんか、お前捨て犬みてぇなツラしてるぞ、今。」
「べっつに、ちげぇよ。」
考えていたことを見透かされたようで、途端に恥ずかしくなり必要以上に強がる。素直に、はいと言っておけばいいのに、それができない自分はなんて損な性格なのだ。
作品名:天気予報はあたらない 作家名:雨来堂