天気予報はあたらない
「終わったー。」
大学の校舎から一歩外に踏み出すと、夕方になっていた。比較的簡単に終わるとばかり思っていた身に、この長時間の拘束は体力的にも精神的にもきつく、疲れだけがどっと増して押し寄せてきた。
「話、長かったわぁ。」
それが、初めての大学を体験してみての感想だった。文面上にしたらたかだか一時間くらいで終わりそうな内容だったのだ。誓約書を出して、推薦内定者の心得を聞いて、入学までの日程の確認、その他事務的なこと、以上のはずだった。はじめ案内を見た瞬間には、この項目の少なさに学校の一コマくらいの授業時間で終わるだろうとたかをくくっていたのだ。
だが、ふたを開けてみれば理事長のお話だとか、学長のお話だとか、とにかく『長』の付く人のお話のオンパレードで、それぞれが言いたいことを語るもんだから、着席時間ばかりが延々と伸び続けていたのだ。更に、最近に近隣の大学で学生の不祥事があったらしく、そのようなことがないようにと、何度も繰り返し指導を受けたのだ。気がつけば休憩をはさんで四時間を超えていた。
「はぁ……。」
ひとつ大きくため息をはくと同時に、校門をくぐると目の前の学生街は昼間の健全な活気から、夜の大人の活気に変わっており、ひしめく安居酒屋が学生を客引きしていた。
――ケータ、酒弱そうだな。
酔って千鳥足になる啓太を介抱している自分の姿が目に浮かぶ。この場にいない人との未来のあれこれを想像するなんて変態としか思えないのだがここに来てから、ずっとそうだった。頭の中では、ここの店の定食が美味そうだから啓太と一緒に来ようだとか、そんなことばっかり考えてしまっている。
――彼女差し置いて、何やってるんだろ、おれは。
そう思えど、この状態を変える気なんてさらさらなく、むしろそうなることを想像することで自分の未来に安心することが出来た。つまりは、精神安定剤のような効用をこの妄想は持っているのだ。
じゃあ、彼女なんて作らなくてもいいのではと思うかもしれないが、彼女の存在がさらに一層それを安定させてくれる。妄想が積み重ねていくものだとしたら、彼女はその土台だ。おれに彼女がいるという事実だけで、啓太と恋愛関係になるという悲劇を未然に防いでいてくれるのだ。
別に彼女を愛していないわけじゃない。だからこれは裏切りでも何でもない。普通に、一般の恋愛を楽しんでいるだけだ。今まで、女の子と付き合ったことだってあるし、別にこれが初めてではない。だだ、今までと違うのは啓太を好きだと自覚したかしていないかくらいで、それを抜いたらなんらいつもどおりなのだ。
とはいえ、初めはとても苦労したものだ。彼女といても思い出すのは啓太としたあの日のキスのことばかりで、何度も啓太の泣き顔ばかりがリピートしていた。それを自分の中で何度もうち殺すことで、自分の感情のコントロールを付け、『おれはいま、彼女とお付き合いをしているのだから、これを思い出すのは不謹慎だ。』と自己抑制してきた。結果、今ではそんなことなどなく、普通の男の子として恋愛を楽しみ、彼女にも精一杯愛情を注いでいるはずだ。
そんな彼女とはというと、説明会の間中形態の電源を切っていたことが原因で、なかなか返ってこないメールの返信にすっかり腹を立ててしまっているようだった。とりあえず、電話をしてみるがやはり出てくれず、これは、長期戦になりそうだと自己予想し、大きくため息をもらす。
――とりあえず、メールだけでも入れておくか。
これの効果があるかどうかは定かではないが、ないよりはあったほうがまだいいだろう。
そう思い、精一杯の謝罪のメールを作成し送信した瞬間に携帯のバイブが鳴り響いた。彼女からかと一瞬思ったのだが、メールを見たにしては早すぎるなと思いつつ、携帯の液晶を覗き込んでみたら、着信の主は啓太からであった。弾む気持ちを抑えて通話ボタンを押すと、いつもの落ち着き払った声が頭に直接響いてきた。
「もしもし。」
「あ、俊二。おつかれ。」
おつかれ、の言葉に自然と笑みがこぼれる。
「そっちこそ、おつかれ。今、学校終わったん。」
「ん、そう。今、対策講習終わって、帰るとこ。」
うちの学校にはこの時期になると受験対策に放課後に対策講習という名の任意の授業あるのだ。啓太はそれに参加していて、最近放課後に一緒に帰ることもめっきり減って、こうやって学校以外でしゃべることがなかったから、電話があっただけでもすごく嬉しい。
「そっか、それで。なんかあったん。」
「あ、そうそう。説明会どうだったのかなって思って。」
なんて、いいやつなんだ。他人の進学をここまで気にしてくれるなんて。やはり、おれの親友は侮れないな。本当に啓太でよかった。
「なんも、かーなーりぃー、つまんなくってさ。誓約書だして、はい、終わりました、じゃねぇんだなって。今日だけで、いろんな偉い人いっぱい出てきてさ、大学生って意外と大変なんだなって。」
「そりゃそうだよ。あ、でもこれで、大学決まったんだよね。」
「おう、そうだな。おれも春から大学生だよ。ほんと、よかっ……。」
「おめでとう。」
一呼吸おいて、話を遮るように置かれた、『おめでとう』の言葉が寺の鐘のように、ひどく脳髄を揺らす。その余韻は駅の改札を抜け騒がしい駅のホームに立っても、周りの雑音がかき消せないほど鮮明に自分のなかへと取り込まれていった。その言葉にしどろもどろになっていると、啓太が急に切り出した。
「それでさ。」
「うん。」
「今から、うち来れるか。話があってさ、今日会いたいんだけど。」
本当に急なお誘いだった。しかし、断る理由なんてなくて、むしろ、最近こうやって遊ぶことがなかったので、心は飛び跳ねて嬉しかった。話が何なのかは全然見当もつかなかったが、きっと、その声のトーンからして、おれにしか出来ないような話なのだろう。親友の悟志じゃなくて、弟の浩二でもなくて、おれにしか出来ない話。それだけで、おれの幼馴染としての優越感で支配されていく。
「別に、いいぜ。いまから行くよ。」
「あ、よかった、じゃあ待ってる。何時頃になるかな。」
「今から、電車乗るから、多分、七時前くらいには余裕でつくと思うけど。」
「ん。わかった。じゃあ、またあとで。」
そういうと、電話を切られる。その切り方は少しあっさりしすぎていて少しさみしくなったが、今日の夜にまた会えるので、別によしとしよう。
――そういえば、忘れてたな。
突然の啓太からの電話に彼女に謝罪メールを送った直後だということを忘れていた。携帯を覗き込んでその着信履歴に彼女の名前がないかと少しひやひやしたが、取り越し苦労で音沙汰は全く無く、彼女の機嫌はまだまだ直りそうになかった。こういうとき、本当は会って謝るのが一番早いのだが、連絡を取ってくれないうえ今どこにいるかわからないのでやりようがない。
「とりあえず、明日だな。」
作品名:天気予報はあたらない 作家名:雨来堂