りんみや 陸風3
「嫌でも私のためにはなることなんだ。それはわかるだろ? 治療してもらわなかったら、私は病気が治らない・・・もしかしたら、死んでしまうのかもしれない。だから、私の考えたことが全て正しいことではないんだ。何が私のためになるのかタガーのほうがわかっている。」
「・・・・でも・・・」
「美愛が私を守ってくれるのは嬉しいけど、こんなやり方は間違いだ。少し考えてみなさい。」
城戸が立ち上がって多賀の肩を叩く。行こうと合図して部屋を出ようと歩を進めた。その足に子供が纏い付いた。
「考える・・・考えるから・・・りっちゃんと一緒に寝る。」
「駄目だ。おまえはタガーに謝りもしていないだろ? わかっていない証拠だ。」
冷たく言い放って、城戸は子供の手を振りほどいた。スタスタと出て行ってしまう。
「・・・美愛・・・俺がリッキーにちゃんと言っておいてやるから・・・少し待っていろ。いいな。」
多賀のほうが心配気に子供の顔を覗き込んでから出て行った。五歳の子供に分別を教えるというのは難しい。城戸には子育ての経験はないのだから無理もない。
「おい、小猿・・・これからは能力を使う時は城戸くんに尋ねてからにしろ。それから、城戸くんの前で多賀くんに謝ってこい。」
「それで、りっちゃんは美愛を嫌わないでいてくれる?」
「ああ、今のところはな。さっさと行け。」
りんが城戸の言葉をフォローして子供を送り出した。子供は城戸に嫌われたと不安になっている。慌てたり混乱すると子供は意識が集中できないから城戸の心が見えなくなる。もともと表情に変化の乏しい城戸に冷たくされては子供には嫌われたとしか映らない。叱っているのだとは思わない。
「たっちゃん、ごめんなさい。」
後から追い付いてきた子供は城戸の部屋で深く頭を下げた。まず、謝る。それから、怖ず怖ずと城戸に近付く。
「もういいよ、美愛。俺が叩こうとしたのが悪いんだ。気にしてないから・・・ほら、仲直りしたぞ、リッキー。」
多賀は美愛の頭を撫でている。それでも城戸は黙ったまま、寝台に横になる。声をかけられなくて子供も黙っている。いつもなら寝台に座り込むのに、それさえもできない。
「タガー、さっさと始めろ。・・・美愛、向こうに行ってなさい。」
「・・いや・・・りっちゃんと居たい・・・」
「駄目だ。」
冷たい反応に子供はとうとう泣きだした。多賀は気遣わし気に城戸を見ている。それに応えるように城戸は子供を自分の膝に抱き上げた。
「泣いたって駄目だ。おまえは悪いことをしたんだ。」
城戸の言葉に多賀のほうが頭を抱えた。それはきつすぎる。ますます子供は泣く。治療どころではない。
「・・・いや・・・りっちゃんと寝る・・・嫌わないで・・・嫌わないで・・りっちゃん・・・」
切れ切れに子供が言う。それでも、きっと自分のしたことの重大さには気付いていないんだろうなあ、と城戸はため息を吐いた。ゆきのように好き放題させるわけにはいかない。いつか、この子供は大空にはばたくのだ。不用意に能力を使う危険は教え込まなければならない。自分が嫌われて避けられることになってでも子供に一般社会への適用性は身につけさせなければと城戸は思う。ゆきとは違う。ゆきは眠るために生きていた。美愛は飛び立つために成長する。
「嫌わない。・・・でも、罰は受けるべきだ。」
「おい、何もそこまですることはない。子供に厳しすぎるぞ。」
「駄目だ、タガー。最初が肝心なんだ。甘やかしていては美愛が将来、困ることになる。・・・美愛、私はおまえを育てる。だから厳しいし時には叱る。それが嫌なら、ここには来るな。クッキーに私を返すといい。」
ひどく怯えた顔で子供が見上げる。ゆきに頼まれたこと、りっちゃんの傍に居ること、それは美愛にとってはゆきとの約束だ。相手は静かに自分を見ている。暖かくて落ち着く波動の城戸がいなくなる。ゆきが教えてくれたこと。りっちゃんは暖かくてとても気持ちがいい。それに縋っていれば、自分がいなくても大丈夫だということ。それは小さな美愛にもわかった。父親というものの存在を、りっちゃんは最初から持っていて、ゆきと自分に与えてくれるのだ。それは手放してはいけない。
「・・・返さない・・・」
それだけがはっきりと城戸と多賀の耳に届いた。うん、と城戸は子供を抱き締めた。続いた言葉は誰にも聞こえなかった。
・・・・ りっちゃんは私の傍にいなきゃ駄目なの・・・ゆきが、ゆきが・・・美愛にくれたの・・・ゆきの代わりに・・・りっちゃんは私の傍にいるの・・・
「・・・わかった。それじゃあ、罰は受けなさい。今日は一日、マリーのところで大人しくしていること。行きなさい。」
「いやっっ、りっちゃんのとこから離れるのは嫌。」
聞き分けたくない美愛はぎゅっと城戸の首に手を巻き付ける。城戸とて負けてはいない。無理遣りに、その腕を引き剥がして扉の外へと放り出して鍵をかける。外から扉を叩く音がして泣き声が響いても城戸は動じない。多賀の神経のほうが障る。
「おまえ、そこまでしなくてもさ。」
「タガーはだいたい甘やかしすぎだ。だから嘗められてる。」
「あんな小さな子供に、いきなり聞き分けろっていうほうが無理だ。」
「だからといって、なあなあで済ましていたら進歩しない。いいから、始めてくれ。」
さっさと城戸は寝台に寝転んだ。もはや取り成しても受け付けてくれる状態ではない。諦めて多賀も点滴の準備をする。少し考えて、いつもと違う薬剤を追加した。うとうとと城戸は眠り始める。それを確認して鍵を外した。外では泣きながら子供が座っている。
「静かにしてろ。リッキーと一緒に昼寝させてやるからな。」
いつもより多めに催眠剤を加えた。目が覚めるまで時間がかかる。
「美愛、リッキーはおまえのことを嫌ったりしない。おまえのことを考えているから叱っているんだ。それだけは絶対に大丈夫だ。」
ゆっくりと寝台に子供を下ろす。静かに子供が寝転ぶと、それまで仰向けになっていた城戸がくるりと向きを変えて子供を包み込む。無意識に城戸はいつものように子供を腕に抱いて頭を撫でている。グスグスと泣いている子供に、城戸は眉間に皺を寄せて、「ゆき、泣くな。」と囁いた。それから、ゆっくりと背中をさすって宥めている。催眠薬が効いているから、城戸の意識はほとんどない状態だ。それでも子供が泣けば、無意識にそこまでできるのには多賀も感心する。それぐらい城戸は歳幸を大切にしていた証拠で、同じように子供にも接しようとしている。それは普通に親代わりするという程度のことではない。本当に親として自覚しなければできないことだ。
「おまえはすごいよ。」
ぽつりと呟いて多賀は部屋を出る。自分とは覚悟の度合いが段違いなことに気付かされて、多賀は自分を恥じる。大切に育てるということは甘やかすことではない。
城戸が目を覚ますと腕にすっぽりと子供が納まっていた。随分と泣いたらしく目が腫れている。言い付けを守らなかったことは叱るべきなのだが、気持ち良さそうに眠っているから、そのままにした。
「悪い、ガキを寝かせたのは俺だ。」
背後から多賀の小さな声がした。そんなことだろうとは城戸だってわかっている。