りんみや 陸風1
「・・・みやが自分で幕を引いたんだ。今頃はマッハッタン島の地下で眠っているだろうよ。・・・俺達全員を騙くらかして、自分は突然に亡くなったと思わせた。もう、ベッドに縛り付けられて全員に泣かれるのは嫌だったから・・・わざわざ、手のこんだことをしたのさ。たぶん、きみもみやが死んで一年後からの記憶しかないはずだ。そこまでの記憶は暗示で変えられてある。だから、きみは納得できなかったんだ。」
今のが最後? あまりにも呆気なく味気ない幕引きだ。誰かの手を求めることも、優しい別れの言葉もない。無機質なまでの最後に、知らずに涙が零れていた。そして、自分の身体が鉛のように重く感じられた。動くことも億劫になるほどにどんよりとした身体だ。横になったほうがいい、とリィーンは勧めてくれる。
「みやは俺にも暗示をかけた。でも、俺はその記憶を消すか残すかの選択はできるようにしてくれてあった。だから、残した・・・そうでないと、真実が消えてしまうからね。・・・日本に戻って一年ほどは、フラフラと日本を車で回っていたんだ。本当はみやがいなくなったら、瑠璃さんのとこから姿を消すつもりだったけど・・・さすがに、瑠璃さんだけ残すわけにもいかなくて・・・行き先はわかるようにしておいた。」
何も考えられなくて、何もしたくなくて、ただ車を走らせて疲れたら停車して・・・と、放浪していた。こうなることは随分前からわかっていたし、自分でも諦めていたはずだったのに、どうしても元に戻れない。クレジットカードから調べるらしく瑠璃はリィーンの宿泊先を訪ねていた。何度目かに、瑠璃は突然にリィーンの腕を掴んで拉致して病院に連れてきた。そして、いきなり入院させられて、毎日、傍で瑠璃に泣かれた。
「ひとりにするなって、瑠璃さんが泣くから・・・とにかく元に戻ることにした。彼女が言うには、逢うたびにげっそりと痩せて、口数が減っていったんだってさ。俺は、そんなつもりはなかったんだがなあ・・・」
一年ほどは、瑠璃がずっと傍に付きっきりの状態で、なんとか元の状態に戻った。ちょうど、孫娘が歩いたり話したりしはじめた頃に、リィーンも落ち着いた。
「つまり、きみは俺が経験したことを、同じく体験しているわけだ。けれど、きみには取り縋って泣いてくれる人間がいない・・・・こうなるから、俺はみやと距離を置けと忠告したんだ。・・・すまない・・・うちの鳥頭のために・・・」
リィーンは深々と頭を下げた。同じ波動の人間だから、先を走っているリィーンには私のことが理解できている。初めて逢って、なんの打算もなく心から懐いてくれたユキを手放せなくなったのは私がそうしたいと決めたからだ。
「いえ、謝るのはこちらのほうです。申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました。・・・明日にでもニューヨークに戻ります。・・・ユキの保護者としての十年は本当に楽しかった。後悔なんてありません。しばらく、休養して、また落ち着いたら参ります。」
私が逆に頭を下げると、「駄目」と即答された。顔を上げると、ニカニカとリィーンは笑っている。
「静養するなら、うちですればいい。・・・・城戸くん、以前に俺が距離を置けと命じたら、じいさまからメッセージが届いたことがあっただろう? きみが、篭入りを決心した時に・・・・」
「 そういえば・・・そんなことがありましたね。・・・キャスがメッセンジャーだったものですね。」
「ああ、じいさまは俺が出した命令が殊の外気に入らなかったらしくてな。勝手なことをするな、アフターケアは考えている、という憤慨した内容だった。あの、アフターケアの意味が今日、やっとわかった。」
不思議そうに自分を見ている城戸に、りんは暖かく微笑んだ。孫娘は、この男の傍に居たいと自分に頼んだ。たぶん、そういうことだ。
「・・・・アフターケアというのは、美愛のことだろう。今度は五歳の美愛をきみが拾う番だ。逆に俺がアシスタントになる。・・・ちょくちょく、顔を見せて、あれを育ててくれないか? そうすれば、元通りの状態だ。」
「それは、リィーンが・・・・」
そう一緒に住んでいるりんが担当するほうがいいはずだ。相手はいやいや・・・と片手をひらひらと振る。俺は駄目なんだと言う。
「俺は元来、視力が悪いらしいんだ。だから、倒れてからしばらくは、よく見えなくて難儀した。今はまだいいが、年老いていけば能力も低下して視力は失うだろう。そうなったら、孫の相手はできない。きみは俺より十歳も年下だ。体力的には、きみのほうがいいし、それに俺は一回、五歳からあのバカを子育てしたから十分だ。あんなもの二度やるもんじゃないよ。」
城戸の精神を元の状態に戻すには、手っ取りばやくて最善の方法だ。鳥頭と同じ顔の同じ遺伝子を持った孫を与えれば、城戸は安定する。そこまで思い詰めさせたのは、惟柾と自分の責任だ。この男を支えるものが別に出来たとしても、彼は孫は手放せないだろう。
「きみをそんなふうにしてしまったのは、じいさまと俺だ。みやはじいさまに従っただけだ。・・・あれは恨まないでやってくれ。」
「恨むなんて・・・そんなものはありません。むしろ、ユキには感謝しています。ユキがいてくれたから、私は人間の感情を取り戻したようなものです。」
味気なく生活するためだけに働いていた城戸に、保護するものがある暖かい生活を与えてくれたのはユキの存在だ。それまではスタッフすら相手にしていなかったのに、ユキが来てからは友人として話すことも覚えた。誰かと食事する楽しさも、のんびりと休養する意味も、泣いて取り縋る子供を宥めることも・・・何もかもユキがもたらしてくれた。それを否定すれば、城戸はもはや感情のないものになってしまう。だが、本来なら結婚して自分の子どもに向けるべき感情を、先にみやに与えてしまったから、城戸はそれだけで満足して先に進めなくなったのも事実だ。大切にしすぎて、生きる気力を失ったのだ。
「・・・だから、しばらくは、うちで静養して美愛の相手をしているといい。あれはねずみ花火みたいで騒々しくておもしろい。・・・すぐに、悲しいことは薄れてしまうよ。」
とにかく意識を別に向けさせることが先決だ。幸いにも、孫娘はその父親と同じように城戸を慕っている様子だった。りんに向けられているものよりも深く感じられた。
「・・・それは・・・バトンタッチしろ、ということですか? 」
先程の打合せた手の意味はそういうことだった。確かに同じ顔で、傍に居てくれるなら心が安らぐだろう。うん、とリィーンは大きく頭を動かした。それはなんでも虫が良すぎる。父親がいなくなったから、今度は娘を代用にしろというのは非道い話だ。断ろうと城戸が口を開くのを、りんは手で止めた。
「まあ、いいじゃないか。・・・しばらくはのんびりと休養しておいで・・・答えは、それからでいい。さて、治療を開始してもらうとしようか・・・」
「いや、それよりもリィーン、連絡させてください。いきなり入院といわれても・・・こちらにも予定が・・・一度、戻って手配しないことには・・・」