りんみや 陸風1
「いや、俺を巻き込んで、ここまで跳びやがった。それで、とりあえず横にしたんだ。クソガキが、おまえは病気だというから、どうしたもんかと思案してたところだ。」
「りっちゃんはびょーきなの。早く、治して、たっちゃん。」
そう言いながら、子供はベッドにあがりこんで、また私の首に手を回している。保護しているつもりらしい。同じ顔なのに、決定的に違うものがあった。それは生気に溢れている顔だ。ぼんやりと子供の顔を眺めていて、悲しみがこみあげてきた。ユキはもういないのだと自覚する度に心が揺れる。それまでは認めなかったから悲しいなどと思わなかった。ああ、と子供はトントンと私の背中を叩く。泣かないで・・・みあがいるから、泣かないで・・・と慰めてくれる。多賀も私の様子にしばらく沈黙した。彼も私が悲しんでいることはわかっている。
「こらこら、多賀くん。そこで一緒になって悲しんでいてどうすんだ。・・・ヘリが迎えにくるから、城戸くんを病院に運んでくれ。そいつは身体が壊れてる。治してやってくれないか?」
ゆっくりとリィーンが入ってきた。はい、と短く返事して、多賀は部屋を出た。それを見送って、リィーンはニカニカと笑っている。
「覚悟しておけ、絶対に入院だ。・・・・ったく、どうして、おまえさんは同じ事をするのかなあ・・・嫌になるぐらい似てるなあ。」
「はあ? リィーン、どういうことですか。」
「いや、まあ・・・後で教えてやるよ。みあ、城戸くんを病院に連れて行くが、おまえも付き添うつもりか?」
「うん、りっちゃんのそばにいたい。」
「わかった。・・・それなら、おまえは着替えて飯食ってからこい。どうせ、この男は入院だ。慌てなくてもいい。・・・真理子にそのことを告げておいで。」
はい、と返事して子供はベッドから飛び降りた。今度は足で移動するらしく、走っている。バタンと扉の閉じる音がした。それから、リィーンは自分の手を持ち上げて、彼の手とパチンと合わせた。
「あいつは、この屋敷の会話が全部拾えるんだ。病院に行ってから、話はするよ。おまえさんが聞きたいことはわかってるから・・・今は大人しく眠っていることだ。」
すっと目の前に手をかざされると、意識がコトリと落ちた。それから、病院で気が付くまで、久しぶりにぐっすりと眠ってしまった。あの打合せた手の意味はなんだったんだろう・・・そんなことをぼんやりと思いながら・・・・
パチンと何かの拍子に意識が戻った。がばりと起き上がると、また勝手に場所は変わっている。それに、自分が検査用の病院服に着替えさせられているので、一瞬絶句した。
「おはよう・・・面倒だから、意識は閉じて検査してもらった。さあ、先生、起こしましたよ、説明してやってください。」
リィーンが背後に声をかける。そこにはユキの主治医だった小椋が苦笑しながら立っている。
「ご自分がよくご存じでしょう。あなたが説明してさしあげればよろしいのではありませんか? 林太郎さん。」
「いや、すいませんねぇ・・・二度も同じ事を・・・なあ、城戸くん、人間は酒とたばこで生きていけると思う?」
なんだか展開のついていけない状態だ。へっ?と聞き返した。その様子にリィーンは爆笑している。
「林太郎さん、そんな悪戯をしていないで、ちゃんと説明してあげてください。・・・これは、あなたとまったく同じ要因で倒れているんだから、あなたのほうが骨身に染みて理解したでしょ?」
はいはい、とリィーンは了承した。三年前に俺も倒れて入院したんだよ、と話始めた。私のほうが若くて体力があったから、ここまで持ちこたえていたのだろうと言う。なんのことを言われているのか、わからない。
「リィーン、私はどこか悪いんですか?」
「ああ、ものすごく最悪に悪い。このまま同じ生活を続けたら、城戸くんは俺より先にみやのところに行けるくらいに悪い。・・・この五年の食生活と生活態度が伺えるねぇ・・・適当に酒飲んで、たばこ吸って、めしなんか仕事絡みぐらいでしか口にしないような生活してただろう? それも仕事に没頭してさ。そういう生活だったろ?」
言い当てられて、私ははあ、と頷いた。確かに仕事で忙しくしていたし、独り身なので食事など適当なことになりがちだった。だが、以前から変わらないはずだ。ずっと、そんな生活をしていた。
「うん、そうなんだ。城戸くんは気付いていないだろうけど、おまえさんはみやの為に、それまでは休暇を取っていたのに、その分も働いていなかったかい?」
「ああ、確かに・・・・ユキに逢うことがなくなったので・・・でも、ユキと逢うまでも同じ生活をしていましたから、別段、問題はありません。」
ここで、またリィーンは爆笑して会話が中断する。仕方ないとばかりに、小椋が口を挟んだ。
「本当に、林太郎さんは人が悪い。城戸さん、あなた、過労死一歩手前の身体ですよ。自覚していないかもしれませんが、このまま今の生活を続けられるなら、一年ばかりで急性肝炎か心筋梗塞で死にますよ。心臓も内蔵も徹底的に苛められていて、今にも音を上げそうな状態です。二週間は入院です。」
はっきりと小椋が口にしたので、えっ? という口をして固まってしまった。自覚どころか、そんなに悪いなら兆候があるはずだ。それさえも私は気付いていなかったということになる。
「いや、そんなことは・・・それなら、何かしら身体が疲れるとかあるはずです。そんなものは一切ありませんでした。先生、そんな大げさな・・・」
その言葉に、今度は小椋も笑いを我慢できずに肩を揺らした。水野の人は、みな、鈍感なんですかねぇ、とリィーンに尋ねている。
「・・・ああ、俺と城戸くんは、とても鈍感なんです。すいませんねぇ、同じ事を聞かせて・・・あのなあ、今の問答は三年前に俺がやったのと同じだ。俺も自分で全然わからなくって、瑠璃さんに無理遣りに病院に閉じ込められたんだ。・・・先生、もういいですよ。後は俺が説教しておきます。」
「はい、そうしてください。これでは私のお腹が保ちませんからねぇ。笑いすぎて皮が破れそうで・・」
そう言いながらも小椋は、まだおかしいらしく肩を小刻みに揺らしながら部屋を出て行った。さあて、本題に入ろうか・・・と、リィーンは真顔に戻った。
「城戸くんが聞きたいことを、今から見せてあげよう。そうすれば、きみはどれくらい自分が弱っているのか自覚できるはずだ。眼を閉じて・・・今から見えるものは、俺が知っているみやの最後だ。俺以外は誰も知らない。」
眼を閉じると、途端に目の前に映像が広がった。その視線はリィーンからのものらしく、ユキの顔が正面に映し出されている。透けるほどに白い肌で、冷たい瞳だ。いつものユキではない。そして、その口が紡ぐ言葉はまるで機械のように冷たく感情の篭もらないものだった。事務的にリィーンに情況を説明して、最後に別れの言葉を告げて、リィーンの目の前から敢然と消え去った。あっ、と叫んで目を開けた。