ファントム・サイバー
返事は返ってこなかった。
こいつのこと嫌な奴だと思ったこともあったけど……だけど……。
ナギの身体に浮かび上がったプログラム言語が崩壊していく。
「ナギ!!」
僕の胸の中でナギの身体がメタリックの光に包まれた。
そして、僕は目を見開いた。
僕の胸に抱かれている女の子の姿……これがナギ?
そんなっ、ナギが女の子だったなんて……。
僕と同じツインテールの女の子。同じ、僕と同じ……。
知っている。
僕はこの子のことを知っている。
なぜか思い出せない。
なんで?
知っているのに……なんで思い出せないんだ。
頭が痛い。
走馬灯のように脳に流れ込んでくる断片的な映像。
薔薇の香。
恋人の死。
偽りの記憶。
改ざんされた記憶によって創られた偽りの恋人の名。
ナギ……ナギ……そうナギだ。
この子の名前はナギサだ!
僕の本当の名前は?
メアが僕の名を静かに呼んだ。
「我が君、ファントム・メア」
?レイ?の記憶はそこでぷっつりと切れた。
《5》
ナギサを床に寝かせボクはゆっくりと立ち上がった。
目の前にいる巨大な機械人の瞳に、今のボクの姿が映し出される。
漆黒のローブを身に纏い、白い仮面を被るボクの姿。
床に寝ているナギサが目を覚ましてボクに手を伸ばした。
「……リョウ……リョウ、リョウなんでしょう!」
ボクは聞き流した。彼はもういない。
奇怪な咆哮をあげて機械人がボクに襲い掛かって来た。
即座にローブの中からボクは二丁拳銃を抜いた。
銃弾の雨が機械人の躰を貫く。
ローブを靡かせながらボクは飛翔し、機械人の頭部に掴みかかると、そのままこいつの首をへし折って頭をもいだ。
首を失った箇所から火花が噴出し、それでも機械人はボクに向かって巨大な手を伸ばして来た。
「ボクに勝てるとでも思っているのか?」
伸ばされた巨大な手を掴みへし折り、そのままもいだ腕を振り回して機械人の胴体にぶつけた。
後方に大きく飛んだ機械人が機器類にぶつかり、爆発に巻き込まれて煙の中に消えた。
煙幕の中に浮かび上がる巨大なシルエット。
「しつこい奴だ」
ボクは呟きながら煙の中に飛び込んだ。
目の前に迫った機械人の巨大な躰。その胴体にボクは力を込めて掌底を喰らわせた。
「ハッ!」
再び後方に飛ばされた機械人は壁にぶつかり、手足が吹き吹き飛んで床に転がった。
ボクの足元まで金属片は飛んできていた。これでもう機械人が再び動くことはないだろう。
粉々になった機械人に近づき、その破片の中から少女の腕を掴んで立たせた。
ボクの白い仮面を見つめるナイ。
「ファントム……メア!」
「久しぶりだねナイ」
「どうして……やっぱり復活して……」
「そのあたりの事情は復活したばかりでボクも把握できていない」
ボクの背後で駆け寄る足音が聴こえた。
「目を覚ましてリョウ!」
ふらつきながら駆け寄ってくるのはナギサだった。その前に立ちはだかるメアの姿。
「ファントム・メア様が復活した今、もう貴女はもう用済みよ」
メアの手から放たれた見えない波動によって、小柄なナギサの躰はいとも簡単に吹き飛んだ。
この状況を見ていた大狼君が声をあげる。
「これはいったいどういうことだ!」
「さあ、ボクにもよくわからない。メア、説明してくれないかな、なぜボクが復活したのか?」
全員の視線がメアに集中した。
「全ては憎きファントム・ローズによって、ファントム・メア様が滅ぼされたことにはじまります」
そこまでの記憶はボクにもある。
ホームワールドとホームワールドの間にできた〈ハザマ〉。そこでボクとローズは一騎打ちをした。どちらもあれが最期の戦いだと思っていただろう。
そして、ボクは滅ぼされた……筈だった。
「そうだ、ボクは確かに滅びた筈だ。では、今ここにいるボクは何者だ?」
「我が君、ファントム・メア様でございます」
メアは断言した。
ボク自身も疑う余地はない。だが、微かに記憶が残っている。
――レイ。ゼロ……から今に至るまでの課程。
少しずつ状況が把握できてきた。
ボクは掴んでいたナイの腕を引っ張り、そのままメアに投げつけた。
ナイが声を張り上げる。
「全てはメアが仕組んだことだったの!」
メアの腕を振り切り、ナイは壁際まで逃げた。
「ウチとメアが〈ハザマ〉に駆けつけたときには、もうすでにアナタは断片化して消えかけていた。その断片をメアは掻き集めて、ブレスレッドに加工したの」
ブレスレッド……これか。
ボクは腕に嵌められていたブレスレッドを皆に見せ付けた。
「これだな?」
すでにブレスレッドは色褪せ役目を終えているようだった。
ボクはメアに問う。
「それからどうした?」
「ホームネットワークからはすでに、ファントム・メア様の元なった者は完全に消滅しておりました。そこで私は新たな器をドリームワールドに見出したのです。ホームネットワークから発せられる想いが、ドリームワールドであの者を創り上げた」
「それがレイか……」
「その者は他人が創り上げた思念でしかありませんわ。ですので、本当に器になるか賭けでございました」
レイ――それは人々の想いが生み出した幻影。
もしかしたら、レイはボクではなく春日リョウになっていた可能性もあるのか。
薔薇の香が一瞬にしてこの部屋に立ち込めた。
ボクの視線の先には一人の道化師が立っていた。その姿の奥に何者が潜んでいるのか、ボクにはすぐわかった。
「鳴海マナ……いや、ファントム・ローズだな」
「そうだ。私の名はファントム・ローズ」
道化師の姿が一瞬にして仮面の使者に変わった。
白い仮面。しかし、ボクが想えば、それは別の顔へと変わる。ボクはローズの真の姿を見ることができる数少ない存在。
ローズの白い仮面は哀しそうな表情をしていた。
「私は賭けに負けたのだ。私は君が春日リョウに戻ることを心から願っていた。しかし、君は再びファントム・メアとして目覚めてしまった」
レイの前に度々姿を現した謎の道化師。レイはその者がファンム・ローズだと最後まで気付かなかった。もし、ファントム・ローズだと知れれば、リョウではなく、このボクの記憶を刺激してしまっていただろう。
最後にボクの記憶を呼び覚ましたのは、そこに立っているナギサの存在。彼女は諸刃の剣だったに違いない。ボクを呼び覚ますか、それともリョウを呼び覚ますか。
リョウとナギサは恋人関係にあった。しかしそれはホームネットワークが整合性を取るために、記憶を改ざんしてナギサに刷り込んだ事象に過ぎない。ボクの恋人は死んだのではなく、存在そのものが世界に否定されてしてしまった。そのため記憶の改ざんは行なわれた。
ボクにとってナギサは真実の恋人ではなかった。しかし、ボクを呼び覚ますために必用だったのは、他者からの想い。強い想いが必用だった。
今のボクはファントム・メアであるが、その根本はローズに滅ぼされる前のモノとは異なる。
なぜならば、あのファントム・メアはあくまで春日リョウであった。しかし、今のボクは最初から幻影なのだ。ボクが存在するためには、前よりも強い想いが必用なのだ。
作品名:ファントム・サイバー 作家名:秋月あきら(秋月瑛)