ファントム・サイバー
広い部屋の奥に大狼君はいた。足が伸ばせる椅子に座って、寛ぎながらパソコンなんてやってる。
「また君か……」
長い前髪をかき上げながら、大狼君はあたしたちに顔を向けた。
大狼君の片腕が破壊されてる。怪我じゃなくて、破壊って言い方をしたのは、傷口から電気コードみたいのが伸びてるから、大狼君の身体は生身じゃないっぽい。この世界で生身って言い方はおかしいケド。
部屋のどこかから少女の声がした。
「早くここから出して頂戴」
ナイの妹だ。水槽の中に閉じ込められてるみたいに、ガラス管の向こうに揺らめいている。映りの悪いテレビの中に閉じ込められてるって言うほうがわかりやすいかも。
「ワザと捕まってみたのだけれど、どうやらナイはすでにここにはいないそうよ」
声も少しノイズが入ってるみたい。
あの少女を助ける前に、まずは大狼君の相手をしなきゃいけない。
「腕はどうした?」
あたしが尋ねると、大狼君の口元が少し笑った。
「些細なバグがあってね、腕を破壊された」
暴動を起こしたザキマにやられたのかも。
腕を破壊され、あたしたちがここに乗り込んだっていうのに、なんだか大狼君の態度は余裕って感じ。どこからかドロップなんて出して口に入れてるし。
ドロップを噛み砕く音が聴こえたケド、それを掻き消すようにこの部屋に大勢の足音が入ってきた。
戦闘員によって出口が塞がれちゃった。もう逃げ場はない。
「逃げ場はないぞ、どうする?」
大狼君に釘を刺された。言われなくてもわかってるって。
あたしは二振りの刀を抜いてレイに声をかける。
「戦闘員は任せた、オレは大狼君を仕留める」
あたしは疾風のごとく駆け、大狼君に斬りかかった。
大狼君は手の平をあたしに向けた。それで刀を受ける気なの!?
「ファイアウォール!」
呪文のように大狼君が叫ぶと、彼の前にガラスのような?壁?が現れた。壊すしかない!
刃が?壁?に当たると同時にあたしは大きく後方に飛ばされていた。
大狼君がグローブを嵌めた指を鳴らした。
「さて、ゲームをはじめよう」
まるで見えないキーボードを操るように大狼君の指が動く。
急にあたしの身体がむず痒くなった。なぜか風邪を引いたみたいに熱っぽい。
ヤバイ、ハッキングされてる!
大狼君の動きを止めるため、あたしは一振りの刀を鞘に納め、残る一振りに全神経を集中させた。
刀を地面と平行に構え、切っ先を?壁?に向けて突進した。
切っ先が?壁?に突き刺さる瞬間、鞘の底に手を添えて力いっぱい押した。
「稲妻衝き!」
刀が大きく撓った。垂直に刀を衝いたつもりだったのに、まだまだあたしの業が未熟だったために、力が外に流れちゃったんだ。
ダメッ……刀が……。
ついに刀は音を立てて折れ、断片が回転しながらあたしの頬を掠めた。
「私のファイアウォールは何人たりとも敗れんよ」
大狼君はあたしを見下し、そして動かしていた指を止め、言葉を続けた。
「君のハッキングは不可能だった。やはり君はこの世界の住人ではないな、でなければハッキング不能の説明ができん」
他人に自分の心を覗かれるなんて、裸を見られるより恥ずかしい。あたしのことをハッキングできないことは知っていた。ケド、もしかして大狼君なら……っていう不安があったの。
ハッキングできないなら恐れることはない。あとはこの?壁?を壊せさえすれば……。
あたしは折れた刀を鞘に納め、もう一振りの刀を抜いた。
「次は必ずこの?壁?を壊す」
「不可能だ。それより話をしないかね?」
あたしにとって大狼君を倒すだけが目的じゃない。
「なんのだ?」
「?世界?について、ワールドネットワークについて、多元世界のシステムについて、君の知っていることを教えてくれないかね、お嬢さん?」
「……っ!?」
バレてる?
あたしが女の子だってなんでバレてるの?
サイバースコープの下で大狼君の唇がニヤリとした。
「君の本体にはハッキングできなかったが、外装のプログラムにはアクセス可能だった」
「黙れ!」
あたしは無我夢中で刀を?壁?に叩き付けた。何度も何度も斬りかかっても、やっぱり?壁?は傷一つ付かない。
今は誰にもあたしが女の子だって知られたくない。
あたしはレイに目線を配った。戦闘員たちに追いかけられていて、あたしたちの話が聞こえている様子はない。ナイの姉もレイを見ている。
切っ先を床に向けてあたしは手を休めた。
「お前はただの破壊者じゃないのか?」
「私はハッカーだよ。それが講じてこの世界の真理を追究したくなった。調べれば調べるほどこの世界は興味深い……私はこの世界が電影だと知っている」
「もしかして、お前は異世界の住人なのか?」
「そうらしい。ただし、私はこの世界のメモリーしかない。君はどうなんだね、自分の世界のメモリーを持っているのかね?」
「……答えたくない」
あたしは自分の世界の記憶を持っている。あたしは望んでこの世界に来た。大切な人たちの情報を見つけるため、失った人の情報を見つけるため。
大狼君は少し前に出て、?壁?の間近――あたしの目と鼻の先に立った。
「やはり君は私の知らぬ多くの情報を持っている可能性が高い。必ず手に入れてみせる、君のメモリーを」
「ハッキングできないのにどうやって手に入れる?」
あたしは挑発的な態度で言ったあたしを大狼君は嘲笑う。
「方法はいくらでもある。それにはまず君の自由を奪わねばな……ッ!?」
言葉は途中で途絶えた。
部屋の中で大爆発が起きた。火薬の臭い……爆弾?
爆発に気を取られてる間に大狼君の姿が消えていた。焦ったあたしは辺りを見回す。
背後から感じる気配。
あたしは抜刀して背後を薙いだ。
振り向いた先に大狼君はいた。あたしの刀は確実に大狼君の胴を割っていた。やっちゃった、訊きたいこといっぱいあるのに……大狼君は跡形もなく消えてしまった。
ケド――。
「……クッ!」
あたしの背中に強烈な痛みが走り、バランスを崩して床に手をついてしまった。
すぐにうつ伏せから仰向けに体制を変えて、刀を謎の敵に向けた。
あたしの視線の先に立っていたのは大狼君だった。そんなまさか、だって身体を真っ二つにして、なんで?
「なぜ消滅していない!」
「君が倒したのはダミープログラムだ」
それを知ったあたしは大狼君に再び刃を向けた。
あたしの突きをいとも簡単に躱す大狼君。でも、逃がしはしない!
すぐに刀を薙いで、斬って、振って、もぉ掠りもしない!
あったま来たから折れた刀を投げつけてやったケド、やっぱり簡単に躱されちゃった。
完全に踊らされてる。このままじゃボロが出ちゃう。あたしはナギ、クールでカッコイイ美形の剣士、華麗に舞って美しく斬る。
よし、大丈夫!
あたしは気を落ち着かせて再び大狼君に斬りかかる……つもりだったんだけどぉ。
また大爆発が起きて辺りに煙が立ち込めてしまった。視界を奪われてなにも見えない。
「さあ、少し遊んであげようかしら、クスクス」
煙の中から声がした。大狼君じゃなし、レイでもないし、あたしの独り言もでもない。
あの少女が不敵な笑みを浮かべていた。まるで月のような微笑。
作品名:ファントム・サイバー 作家名:秋月あきら(秋月瑛)