ほしくずと糸紡ぐまち1
「ほんとに助かるわ、葵ちゃんの椅子、素敵だものね。」
「あはは…」
このように、照れくさいことを堂々というのもマダムたるゆえんだったりする。
正直、笑うしか対処のしようがないんだよなぁ。無茶苦茶嬉しいし。
「葵ー、お会計お願い。」
「あ、はーい!」
「じゃ、あたしは2階に上がってるわね。また後で。」
「うん、それじゃ!」
マダムはかくしゃくとした足取りで、2階へと上がっていった。
マダム、シェフ、私、そしてもう一人。
「ほしくず」のオリジナルメンバーにして現在の従業員は4人だけ。
増えることもあるだろうし、減ることもあるだろうけど、
なんだかんだで今の状況が一番楽なのかもしれない。
美津子さんは依頼品や商品の作成ばっかりやりたがるだろうし、
浅海ちゃんは人嫌いだから接客なんかできないだろうし…。
「葵、人もすいてきたしそろそろご飯食べちゃいな。」
「あ、はーい。」
接客やら片付けやらが終わって、時計を見るともう賄いを食べて学校に行く時間になっていた。
エプロンとバンダナをロッカーにしまい、櫛で軽く頭を整えてからカウンターの特等席に座った。
手櫛で寝癖を抑えながら、やっぱり髪を切ったのは正解だったなと思った。前は座るまでに倍の時間が必要だったもんなぁ。
「今日は肉と卵の2択」
「両方!ちょっとずつでいいからさ。なんかお腹減っちゃった。」
「はいはい。じゃ、前菜のミックスジュースね。」
そういってシェフが出したのは生野菜や果物をミキサーにかけたジュースである。
仕事を始めると食べるのをよく忘れる私は、賄いや差し入れでしょっちゅうこれを飲まされる。
レシピは林檎ベースで人参が少し、後は秘密だそうだ。
まずくはないんだけど、飲むのが強制という事は絶対私の嫌いなセロリやゴーヤやピーマンなんかが混入されているに違いない。
「早くしないとおかずなしにしちゃうよ~?」
「くうっ…」
カウンターの裏からはさっきとはまた違ったいい匂いがしてくる。
…ええい!
覚悟を決めて鼻をつまみ、黄身がかった橙色の液体を飲みほした。
「はい、よくできました。」
浅海ちゃんはにっこり笑ってコップを回収した。いつもはそんなふうに笑わないくせに、ホント意地悪だよなぁ…。
「さてと、じゃ、メインディッシュでございます、お姫様。」
「うむ、御苦労であった。」
人生楽あれば苦あり。賄いはいつ見ても、たとえ何のメニューでもおいしそうだ。
「卵はランチメニューの余りからキャベツの巣篭もりと、具だくさんトマトスープ。肉は今夜のお勧め、豚の角煮。」
「おお~。角煮って、美津子さん?浅海ちゃん?」
「あたしですよ。病院行く前に焚いておいたのに、気づいてなかったの?」
その声で、浅海ちゃんが賄い飯を三人分並べてた意味が分かった。美津子さんが着替えて下に降りてきたのだ。
「美津子さんは肉?卵?」
「角煮は朝に味見をしたから別のものが食べたいわね。コンソメの代わりに熱いお茶と、浅漬けもあるとなおよしだわね。」
「じゃ、スープの代わりにお茶と浅漬けですね。」
こういう時の浅海ちゃんは、シェフという渾名がホントによく似合う。
まるでずっと前から知っていたかのように、軽やかに美津子さんの席に浅漬けとお茶がついた賄い飯が配ぜんされた。
これでこそ、渾名付け師冥利につきるというものだ。
キャベツの巣篭もりはそのままでも中の半熟卵を破いて食べてもおいしい。
トマトスープは透き通った玉ねぎやスープを吸ってパンパンに膨れたグリンピースやひよこ豆が舞い踊っていて、もちろんおいしい。
浅海ちゃんの角煮はちょっと甘めで、美津子さんのはなぜかさっぱりしている。
よって今日の角煮はまさに夏にぴったりというわけ。
「ごちそうさま!」
「はい、じゃ、さっさといってらっしゃいな。今日は彫刻?デッサン?」
「えっとね~、たしか美術史と自由選択。」
私はロッカーから引っ張り出しておいたカバンを椅子の下から引き出して、背負うように持ちあげた。
浅海ちゃんに詰めておいてもらった冷たい麦茶のボトルを受け取ると、登校の準備は万全だ。
「へぇ、自由選択?」
「うん。専攻以外の科目も受けましょうってやつ。今日は陶芸やるんだ。」
「そう、いいわねぇ。」
「へへ~。」
正直陶芸はあんまり興味がないけど、最近人気の授業らしいので楽しみではある。
あ~あ、必修じゃなかったら絶対サボってやすりがけ仕上げたいのに…。
「ほら、もうすぐ二時半になるでしょ。行ってらっしゃい。」
「え、うそ。やば、行ってきます!」
こうなるともうのんびりしてられない。
私は裏の勝手口から自転車を引っ張り出すと、午後二時すぎの夏の真っ盛りの中を飛び出した。
***
ごきげんよう。私、美津子と申します。
3番目に生まれたからみつこ。簡単でございましょ?
この店は二年前まで阪井手芸店と申しまして、私の義母の代から切り盛りしていたのですけれども、
暫らく私ひとりであんまり寂しかったものですから、
お友達だった浅海ちゃんや由佳ちゃん、葵ちゃんと一緒に喫茶店をやることにしたんです。
手芸の方はどうしたのかって?ええ、作るほうできちんと続けておりますよ。
「今日のランチはどうだったかしら?」
「まずまずですね。カレーがだいぶ好調なので、しばらくはこのままでいこうかと思ってますよ。」
「最初のうちは辛い辛いって評判良くなかったものねぇ…」
「そ、それは由佳が甘党だからですよ!」
あらあら可愛いこと。
可哀想だし、そういうことにしておいてあげようかしら?
「そ、そういえば新作のストール!夏らしくて素敵ですね!」
「まあ、うれしい。同じ鉤編みではあるけど、レースなんて慣れてないから不安だったのよ。」
葵ちゃんたら、商品棚の一番目立つ所においてくれたのね。
いつもは2日経ってようやく浅海ちゃんが気付く順番なのに…
朝一番に仕上げた甲斐があったというものだわ。
「本当ですか?すごいなぁ…。」
「他にもいくつかあるから、あとで由佳ちゃんにお写真、撮ってもらわなくちゃね。」
「そうですね。今日の夜番は由佳と私なんで、頼んでおきますよ。」
由佳ちゃんはバックだとかも作られるんですけれど、お写真を撮るのもお上手なんです。
だから、商品棚のカタログの中身はほとんど由佳ちゃんがカメラマンなんですよ。とってもお上手でしょ?
「そうだ、帰りに小アジをたくさん買ってきたの。冷蔵庫に入れてあるから、明日のランチは和風にしていただけないかしら?」
「ありがとうございます。じゃ、南蛮漬けなんかいかがです?」
「それはいいアイディアね。浅海ちゃんのお料理、何でもおいしいから楽しみだわぁ。」
「はははっ、さ、皿、洗っちゃいますね。」
ふふ、浅海ちゃんたら、洗いものに集中してるふりしてるみたいだけど、耳が真っ赤。
「それじゃ、私もごちそうさま。洗いもの、お願いしていいかしら?」
「あ、はい!」
「それじゃお願いね。そうそう、今日は火元と戸締りお願いね。」
「分かりました!」
夜番でない時は、いつも1階の火元と戸締りをお願いするんですの。
最初は自分でやっていたんですけど、彼女たちがやっておくからって言ってくれて。
作品名:ほしくずと糸紡ぐまち1 作家名:樹屑 佳織