ほしくずと糸紡ぐまち1
こう言うと嫉妬されるかもしれませんけど、まるで孫が3人出来たみたい。
でも、あの人の事だから、「老人ホームいらずだ」なんて茶化すのかもしれないわね…。
***
きりり、きしり。
屋上に出る扉は、少しだけ重く、軋みながら開く。
旧・阪井手芸店だったこの建物は2階建てのコンクリート造りで、1階の工房兼カフェと2階の住居部分、
そして草木生い茂る屋上からなる。
「さあて、今日は何か生ってるかしら。」
そう言ってかの婦人は、傍らに籐製の籠を携えて風の吹きつける屋上にあがった。
下階の換気扇から排気が上がってくる一区画を除き、
そこは食用・非食用を問わず様々な植物の鉢が並んでいる。
浅海のおすそ分けはもちろんの事、近所からのいただきものの観葉植物やハーブ、
食材の切りくずから再生させた野菜もいくつか並んでいる。
それらは賄い飯の材料になることもあれば、お客さんへのサービスにとプレゼントされることもあった。
「苺はもう終わっちゃったものねぇ…あら、トマトがおいしそう。」
足取りも軽やかに緑の山をかき分け、屋上の端で真っ赤に輝くトマトに手を伸ばすと、
下界からあいさつをする青年の顔が見えた。
「どうもー、美津子さん。ご機嫌いかがですかー?」
「あら、サクちゃん。元気よぉー。」
青年は、濃紺の制服をうっとおしいと言わんばかりにまくり上げた着こなしをしている。
上空のマダムの姿を見つけると、自転車に跨ったままで帽子を振った。
「せっかくだし、お昼ごはんお出ししましょうか?」
「いえ、自分は勤務中ですから。…それより、あいつちゃんと学校行ってますか?」
心配性の彼を気遣うでもなく、美津子は少女のような笑みを浮かべた。
「大丈夫よぉ、今日は陶芸の授業なんだって張り切って出てったもの。」
「そうですか。そりゃ、よかった…」
トマトの枝葉は相変わらず太陽の光を受けてひりひりと輝いている。
婦人は籠から鋏を取り出し、ひときわ大きな葉の下に隠れた赤い実をそっと収穫した。
「サクちゃんにこんなに心配してもらえて、あの子は幸せ者ねぇ。」
会話の最中も、ぱちん、ぱちんと鋏の音が聞こえてくる。
収穫は完熟したトマトに及ばず、まだ小振りの茄子やパプリカにも及んでいた。
「はは…、ただの腐れ縁ですよ。
それより、女所帯で困った事があったら、いつでも言ってくださいね。」
黄色いパプリカを持ったまま、美津子は嬉しそうに屋上から下を覗き込んだ。
「まあ、助かるわ。それなら勝手口の玄関の電球を取り替えてもらえないかしら。」
「いいですよ。替えの電球はありますか?」
「たしか、昨日浅海ちゃんが買っておいてくれたはずだから聞いてみて。
お仕事中に、本当にありがとうねぇ。」
「どうせ暇ですから。巡回もお手伝いも、仕事のうちですよ。」
一見するとやせ我慢にも聞こえる彼の返事は、照りつける夏の空よりもさわやかな笑顔だった。
美津子はその笑顔を見送ってから、籠の中の野菜たちを見つめた。
大小さまざまなトマト、早生の茄子、パプリカ。
「早いものねぇ…。」
婦人はそうつぶやくと、日射病予防にかぶっていたモダンな帽子をくいと直し、
再び鉢植えの林をかき分けていった。
***
「吸血マントぉ?」
大学からの帰り際、葵はとある依頼を受けていた。
「そうそう、今度の学祭にうちのサークルでおそろいの着ようってことになったんだけど、
100均のじゃ何かカッコつかないってボーカルがうるさくってさー。
葵、バイトでいろいろ作ってるんでしょ?図面的なものひいてくんない?
よくテレビとかで吸血鬼が着てるあれ。あんなんでいいんだけど素人じゃ手のつけようがなくって…」
きらきらと、今日も相変わらず彼女の両耳からは爽やかなブルーが垂れ下がっている。
葵はぼんやりと事情を聞きながら、
彼女が耳につけているのは果たしてイヤリングなのかピアスなのかと考えていた。
彼女は初年度からなににつけて葵と授業が重なることが多く、
月に一、二度ほしくずに顔を出してくれる貴重なお得意様でもあった。
「ああ、吸血するマントじゃなくて吸血鬼のマントね。布製品はあんま得意じゃないんだよなあ…」
「そこをなんとか!ほらぁ、葵じゃなくてもあのおばあちゃんとかでもいいからさぁ。」
50年近く編み物ひとすじの美津子さんにハイカラなマントの図面をひいてもらう…
漠然とイメージする分にはとても面白い光景だった。
「マントだったら浅海ちゃんにひいてもらうよ。
てか、縫うのはいいの?学祭までならあと1ヶ月半じゃん。」
「いやあ、うちはバンドとスタッフ合わせても10人くらいだし、
どうせマントならまっすぐ縫って終わりでしょ?大丈夫大丈夫。」
ああ、裁縫の苦手な人ほどそう言うんだよなぁ…と、葵はため息をついた。
だが夏場は新学期用の鞄や巾着、体操着袋の注文がひと段落する時期でもあり、
夏掛けのストールなどもつい先日目処がついたばかりで、仕事を受けるにはいい機会と言える。
「分かった、話だけはしてみるよ。
大丈夫そうだったらメールするから、その時に打ち合わせとか考えよっか。」
そう言って鞄から凍らせた麦茶の入ったペットボトルを出し、飲む前にがしがしと振った。
タオルに包まれたそれは、水滴を帯びて夏の陽の下にきらりと光った。
作品名:ほしくずと糸紡ぐまち1 作家名:樹屑 佳織