吉祥あれかし 第二章
しかしコルグに下から詰め寄られた相手はフンと鼻を鳴らして馬耳東風を決め込んだ。
『こっちのパスコースに入って来て勝手に妨害した野郎の方が悪いんだろうが。正当防衛だ。』
その尊大な物言いに、只でさえ体を思う存分動かして気分が高揚していたコルグは怒気を漲らせて相手の胸倉を掴もうと――した、が。
そこにはコルグの自慢のバスケットボールシューズの踵を掴んで制止しようと懸命な手があった。見ると、それは息も絶え絶えなマナの腕だった。マナは依然下を向いたままだったのでコルグにはマナがどのような表情でいるのかすら推測は不可能だった。
『I’m Okay, boy…』
マナはゆっくりとそれだけ、気を吐くように言うと、俯いたまま、シューズの踵を支えにして起き上がる。コルグの眼に入って来たマナの左のこめかみは薄く腫れ上がっていた。しかし、それよりもコルグを驚かせたのはぞっとするまでのマナのヘイゼルの瞳だった。先ほどまで穏やかな凪いだ海のような色をしていた、その瞳は今や荒れ狂う嵐の中、潮をあげて咆哮する波濤を思い起こさせた。コルグが継ぐ言葉を失っていると、マナはニヤリと片方の口角を揚げた。
『これが“此処流の”initiation(入隊式)というのであれば、受けて立つだけだろ?――なぁ、Buddy?』
『お前…大丈夫なのか?』
心配そうに見つめるコルグに、マナは10センチほど背が低いコルグにそっと相手に聞こえないような耳打ちをする。
『別に一日中こんな「体教」が続く訳でもない。それよりも、お前の自慢の脚を見せてやった方が見てるギャラリーにもウケを取れるんじゃないか?』
『ん。そうだな、目立つのは好きだぞ!』
『じゃ、今度のオフェンスでは速いパスをくれ。俺がバックコート取られないタイミングで。お前ならできるよ、な?』
そう低い声で念押しすると、コルグは了解とばかりにウィンクを返して、もう一人のケンというアジア系の黒髪のチームメイトを引き連れ、エンドラインに向かう。先ほどのマナへの肘打ちがファウルと認められ、自分達のボールになったのだ。
コルグから某かの耳打ちをされたケンは、軽く頷いて審判の合図とほぼ同時にボールをコルグに渡す。それと殆ど時を違わずしてマナは定位置から颯爽と自らのチームのゴールに駆け出した。些か唐突に見られたその動きに一瞬、マークマンが躊躇った、その瞬間をマナは見逃さなかった。
『Go ahead! Big boy!!!』
自らに受けるディフェンスの網の中からマナはジェイドにそう叫んだ。バスケットボールプレイヤーとしての、何かを咄嗟に感じ取ったジェイドはマークマンを交わしながらジグザグに駆けて行くマナの背中を必死で追いかける。その間にボールを持ったコルグは素早いドリブルでハーフラインを越えた。ストリートで培ったリズミカルな彼のボールハンドリングには天性を感じさせる。
マナはフリースローレーンの辺り、丁度スリーポイントラインの上で動きを止め、『パス!』とコルグに向かって叫んだ。慌てた相手チームのメンバーが三人、急いでマナのもとにマークに駆け付けた時、マナはにっこり笑ってゴールの方を指差した。
『Let you give’em a SHOWTIME!!』
そう言うや否や、コルグは殆どフリーになったジェイドに向け、少々無茶とも言えるロビングパスを投げ出した。何とか追いついたジェイドはそのパスを受け取り、そのままゴールに叩き込んだ。所謂『アーリーウープ』という大技である。マナはコルグとジェイドのボーラーとしての資質を瞬時に見分けたからこそ、自分が囮になって二人に「花道」を作ってやったのである。
ダンクが決まった瞬間、それまで固唾を呑んでゲーム及びマナの行方を追っていた体育クラスの生徒達は一斉に歓喜の咆哮をあげた。一気に場の空気の流れはマナ達のチームに傾いた。マナはジェイドと軽くハイタッチをしてから、『Thanks』と右手の拳で軽くジェイドの左胸を小突いた。
そして、自分の守備位置に守り、姿勢を低く保ってマークする相手を軽く挑発した。
『Team Sportsを個人攻撃に使うと痛い目を見るぞ。判ったろ?』
あのようなものを見せつけられては、『荒くれ』を自称する自分たちの沽券にも関わる。嫌でもマナだけでなく、他のオンコートの人間にも気を遣わなければならなくなった。そんな一瞬の気の迷いを抜け目ないコルグが見逃す筈はない。ケアレスな相手チームのパスをカットするや、猛然と速攻をかける。ドリブルしている自分の視線の先にいるのは、マナだった。コルグは半ば嬉しそうに、マナに向かって吠えながらパスを放った。
『SHOWTIME!!』
パスを受け取ったマナの手前にいるのは一人、マナよりも体格も身長もある、混血の少年だった。ゴールを目の前にしてマナはまるで立ちはだかる太陽に挑みかかるイカロスのような飛翔を試みる。ブロックされるのは目に見えていたが、マナの持ったボールはブロックに回った相手の腕を確認するや、一度ボールを下に回し、甘んじて肩に激しいボディコンタクトを受けてから、殆どファウルの笛が鳴るのと同時にボールを振り上げて叫んだ。
『マイガッ!!』
マナの放り投げたボールはゴールの周りを逡巡するようにクルクルと回り、やがて重力に逆らうこと無く、網の中に吸い込まれていった。マナがエンドラインを越えて体育館の横壁に体当たりをしたのはほぼ同時だった。
『Basket Counts! One throw!!』
審判を務める生徒がこう高らかに叫ぶと、また見学していた生徒達は悲鳴のような叫び声と雄叫びをあげ、床を踏み鳴らした。それは、プレイヤーに対する、最高の敬意と興奮を意味している。
体側から横壁に激突したマナは、暫くはその場に蹲っていたが、ジェイドが無理矢理両手を引っ張って体を起こし、『今のはSHOWTIMEだな』と耳打ちされると、マナははにかんだ様に破顔して言った。
『俺はチームメイトに恵まれただけさ』
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結局、ゲームは流れを制したマナのチームが勝ち、授業が終わるや、瞬時にしてヒーローとなったマナの周りに人だかりが出来た。しかし、マナは頬は紅潮してはいるものの、余り顔色は良くない。無茶なボディコンタクトを受け、そのまま無理をしてコートに出ていたツケが、どうやら今ジワリジワリと体内を締め付けているかのように息苦しさとなって現れたらしい。
複数のクラスメイトに囲まれ、マナは医務室に向かい、ベッドに寝かせられ、こめかみや腕、横腹など、強かに撃ちつけられた後に応急処置のシップや消毒液、包帯などを貼り付けられた後、「脳震盪を起こした危険性があるため」念のために次の授業は欠席する旨を伝え、ふう、と一回息をついた後、暫く休養を取った。
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どれ位浅い眠りを貪っていただろうか、医務室のカーテンがシャッと開けられ、そこに現れたのは朝からマナを密かに見守っていた、あの男だった。
『Gimme a Break, Your Grace(いい加減にして下さい、若様)』
作品名:吉祥あれかし 第二章 作家名:山倉嵯峨