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吉祥あれかし 第二章

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 呆れたように溜息をつくその男は、体つきこそマナよりも腕っ節は強そうに見えたが、身長はジェイドほどではない。両手にはマナがロッカーに置いておいたバッグや普段着などを抱え込んでいる。

 諦念した様に目を開けたマナは、無言のまま差し出される普段着を着るために、勢い良く体育着を脱いだ。瑞々しいマナの良く日焼けした小麦色の体には、手当てされた怪我の他にも何個もの痣が出来ていた。

『Tinianと一緒だと思って勢いよく暴れて貰っては困ります。相手は波でも鮫でも毒虫でもなく、人間なんですから』

 判ってるさ、とボソリと嘯いた後、マナは傍らにあったタオルで体をさっと拭いてから普段着を着始めた。タンクトップ、長袖の暗色系ストライプの綿シャツを羽織る度、首から提げたピンクゴールドのチェーンが揺れる。下のパンツを着け終わった後、マナはチラリと時計に目を遣り、既に昼を過ぎていることを知った。

『念のため、病院で脳波の検査を受けますから今日は早退と責任者にも伝えておきましたので、早く』

 準備を急かす男に、マナは視線を合わせずに立ち上がり、ボソリと呟いた。

『…Kiko』

『何です?』

 これ以上の我儘は許さない、と言った口調で「Kiko」と呼ばれた、少し癖のある髪の男は横柄に返事をする。そのぶっきらぼうな受け答えにマナはクスッと笑いながら漸く視線を合わせた。

『済まないな。どうも俺という存在そのものが気に入らない連中が何名か、此処には存在するらしくて、手荒い歓迎を受けた』

『それだけ尖ってれば虐めたくなる人間も出て来て当然です』

 暗に非は相手だけでなく、マナ自身にもあると示したキコは、相変わらず直立のまま、シューズに足を入れるマナの様子を見守った。

 とんとん、と踵を落ち着けてから、マナはキコが開けたドアを抜け、出口の方向に向かって歩いて行く。そこから1メートルと違わぬ距離を、キコは後からついて行った。そう大きくない校舎のため、医務室のある棟を出ればすぐに守衛所と門が見えた。目の前には湿り気を含んだ雲を漲らせた空と、それを覆わんばかりの六本木の高層ビルが立ちはだかっている。

 守衛に軽く早退の挨拶をしてから、暫く歩いた先の駐車場にはごくありふれた日本の乗用車が横づけされていた。マナは空とビルをざっと見渡しながら、まるでそれを目の敵にするかのような視線を投げ掛けた。

『…流石はMa’amが尻尾を巻いて退散した国だけのことはあるな…』

『…は?』

 キコが軽く訊き返すと、マナはまるで彼岸を見つめるような瞳で振り返った。

『此処は“恨”を持った奴らで充満している。生きている奴も、そうでない奴も…』

 そう言うと、マナは自ら後部座席のドアを開け、首をシートに凭せ掛けた。
 キコはマナが目を閉じたのを確認してから、助手席に荷物を置き、運転席に座り、車を回し始めた。

 坂の多い学校付近の道から、空に摩天楼が大きく覆い被さっている街の風景から、まるで逃れるかのように車は下り坂を這い出ていった。車窓に揺れる午後の薄曇りの風景にぼんやりと照らしだされながら、マナは寝言とも、意識がある言葉とも付かぬ独白を漏らした。

『日の出づる処の国は、日が没するのも早いもんだろ…?』
作品名:吉祥あれかし 第二章 作家名:山倉嵯峨