科学少女プリティミュー
金属の扉が横にスライドし、開いた扉の先に立っていたのは猫だった。
「アインが待ってるにゃ」
「はぁ?」
猫がしゃべってる。
きっと高性能ネコ型ロボットに違いない!
ミユはしゃがみ込み、猫のヒゲを摘んで左右に引っ張った。
「かわいいー。よくできてるロボット」
「にゃーっ、痛いにゃー、やめるにゃーっ!」
「ロボットなのに痛いの?」
「おいらは生身だにゃ!」
「はっ?」
自分を生身だと思い込んでるロボット?
妄想!
幻想!
幻聴?
「ワトソン君、ボクの眼鏡を知らないかい?」
その声は廊下の奥から聴こえてきた。
猫のワトソンはミユに背を向け、首だけを動かして振り返った。
「アインが呼んでるにゃ、あんたも一緒に来るにゃ」
「う、うん」
ワトソンの足取りは速く、ミユは大股で後を追う。
金属の壁が左右を囲み、歩くたびに足音が大きく響き渡る。
「ワトソン君ってば、早くボクの眼鏡探してよ」
また廊下の奥から声がした。
廊下を抜けて部屋にたどり着くと、白い物体が床で平泳ぎをしていた。
「ボクの眼鏡が迷子だよ」
白衣を着た少年が床を這っている。どうやら眼鏡を探しているらしいが、眼鏡ならそこにあるジャン!
思わずミユはツッコミを入れてしまった。
「頭の上に乗ってる眼鏡じゃないの?」
眼を丸くした少年が顔を上げる。
「えっ? ホントだ、こんなところに眼鏡があるなんて計算外だったね」
頭に乗っていた眼鏡を掛け直し、少年は立ち上がってミユに歩み寄った。
「キミ、ボクの眼鏡を探し当てるなんて只者じゃないね。ボクの名前はアイン・シュタインベルグ」
握手を求めてきたアインの手を握ったミユ。白い手袋の下にあるアインの手が金属ように硬い。義手なのだろうか?
と、そのとき!
腕が伸びた、縮んだ、取れた!?
「うわっ!」
ミユは取れたアインの手を掴んだまま後ろに尻餅をついてしまった。白いパンティがチラリン!
尻餅を付いたミユを満足そうに笑ってアインが見下ろしている。
「本物の手はこっちだよ」
取れたはずの手はちゃんとついていた。軽く手を振って見せている。
すぐ横で小さなため息を聴こえた。
「アインはイタズラ好きなんだにゃ」
それは尻餅をついたミユの傍らにいたワトソンだった。
からかわれたことを知ったミユは怒ってマジックハンドを投げ捨てた。
マジックハンドがクルクル回転しながら宙を飛ぶ。それを見たアインが叫んだ。
「危ない!」
なにが!?
「ボクのフィギュアがっ!」
えっ?
アインがマジックハンドをダイビングキャッチ!
「危なかったぁ」
冷や汗を額から流すアインの真後ろには、フィギュアが飾られた棚が置いてあった。そのフィギュアの数は一〇〇体を越えている。
美少女モノのフィギュアに混じって、グロテスクなモンスターのフィギュアも多い。
ミユがボソッと呟く。
「……オタク」
「ボクが思うに、その言いようには偏見が感じられるよ」
すでにソファーで寛いでいたアインが人差し指を振った。
「キミが生まれるずいぶん前にね、日本には秋葉原というオタクの聖地があったんだよ。東京が死都になってしまってからは、秋葉原の文化はホウジュ区のお隣のシュウヨウ区に流れ込んできたわけさ。シュウヨウ区のオタク市場が年間何億あるか知ってるかい?」
「ごめん、歴史も経済も得意じゃない」
「キミ、学校の勉強もできないだろ。でもね、科学はちゃんと勉強しなきゃダメだよ。科学は男のロマンだからね!」
そこにワトソンのツッコミが炸裂。
「この子メスだにゃ」
「…………」
アイン沈黙。
フリーズした頭脳を高速回転させアイン復活。
「つまりボクの言いたかったことは、科学は男女を問わずロマンなんだよ。そうさ、科学は宇宙と書いてソラと読むんだよ、わかるかい? それはいいとして、キミ、ボクになんの用だい?」
切り替え早っ!
すっかりアインの独断場で目的を忘れるとこだった。
「バイトの広告を見て来たんだけど、月収一〇〇万って本当?」
ミユが尋ねるとアインはソファーから飛び降り、笑顔でミユの両肩に力強く手を乗せた。
「キミが一番最初に来たからキミを採用するよ。ボクはなんでも一番が好きなんだ」
「採用? 本当に? 一〇〇万円?」
「もちろん月収一〇〇万円さ」
「よしっ、あたしの名前はミユです」
「名前は名乗らなくていいよ。ボクさ、人の名前を覚えるのが苦手でね。二次元キャラなら覚えられるんだけど」
すんなり採用になってしまった。けれど、ミユは一〇〇万円に釣られてやって来たので、バイトの内容をまだ知らなかったのだ。
「それであたしはなにをすればいいの?」
「ボクの助手に決まってるじゃないか。あとホームズの餌やりも頼むよ」
「助手に餌やり……ホームズ?」
「そこにいるだろ」
そこ、そこ、そこ?
フィギュアの棚?
フラスコに挿された蒼い薔薇?
アインの指さしているのはフラスコの中で泳いでいる赤い金魚だった。フラスコの口より金魚のほうが大きい。小さいうちから中で育てられたのだろうか?
フラスコの金魚をぼんやり見つめるミユの腕が掴まれた。違う、ブレスレットをはめられた。
「なにこれ?」
ブレスレットをミユにはめたアインは爽やかに笑っていた。
「ブレスレット型起爆装置に決まってるじゃないか。ボクに逆らったりするとドーンだよ」
「はっ?」
「さてと、巨大珍獣カメラを捕獲に行くよ」
「はっ?」
「ボクの作った合成生物が逃げ出しちゃってさ。大暴れなんかされたらボクが帝都警察に捕まっちゃうだろ。その前に捕獲に行かなきゃいけないんだよ」
「ちょっと待って!」
「待てない」
即答だった。
ミユは思わず言葉につまってしまった。自分の置かれた状況が把握できない。
ブレスレット型起爆装置?
逆らったらドーン?
つまり爆発?
すなわち爆死!?
「あたしこのバイトやめる!」
「だーめ」
イタズラにアインは唇の前で人差し指を立て、笑いながら白衣を翻して背を向けた。そして、思い出したように急に振り返った。
「そうだ、ワトソン君。ボクの探してたあの限定フィギュアがいつもの店で緊急入荷したらしい。キミの命をかけて入手してきてくれたまえ。じゃ、バイト君、カメラの捕獲に行くよ」
逆らったらドーン。
ホントかウソかわからないけれど、ミユは逆らうことができなかった。
――そして。
「きゃーっ!」
ミユは自分の叫び声で目を覚ました。
ここはどこ、私はだーれ?
「あたしはミユ……だけど、ここは?」
冷たい手術台の上に寝かされていたミユ。
上体を起こして横を振り向くと、そこには眼鏡少年のアインが立っていた。
「やあ、おはよう」
「お、おはよう……じゃなくてここどこ?」
「手術室だよ」
それにしては手術には無関係そうな、ボルトやらトンカチやら配線コードとか、そんなもんが台の上に置いてある。
巨大珍獣カメラの捕獲に行ったところまで、ミユの記憶は途切れずに続いていた。しかし、カメラに破れかぶれで突っ込んだあたりから、記憶が断片的になってしまっている。
生まれてはじめてミユは空を飛んだ。
そして、堕ちた。
それで、死んだ?
作品名:科学少女プリティミュー 作家名:秋月あきら(秋月瑛)