スターチャンネル2034
歯のかちりという音が聞こえる。その音に、俺自身もぞくりとした感覚がした。嫌な予感、などという言葉では片付かなかった。
「……んだよ」
「え、なんだって」
聞き取れない。いつものエルとはまるで違う、くぐもった声だった。
「死んだよ」
もう一度、先ほどは聞こえなかった言葉を繰り返した。
「死んだ。死んでた。冷凍睡眠カプセルが、壊れたらしい。俺達以外、みんな死んだ」
切れ切れに聞こえた言葉は、だけどその意味を直ぐには把握できなくて、俺は身動きが取れなかった。正確に言うと、思ったとおりに身体が動かなかった、が正しいか。重力が極小となっているこの場所においては、ほんの僅かな力の加減や身体の動きで、地球上にいるときとは比べ物にならないぐらいの動きが生じるから。表情が恐らくは固まったまま動けないでいるのに、それとは不似合いに身体が横倒しになる。傍から見ればどれだけ間抜けな姿だろう。けれど、それを見ているはずのエルには、それを笑う余裕はかけらもなかった。
「どういう、ことだ」
なんとか搾り出したその言葉もエルと同じぐらい途切れ途切れで、唇と舌と喉が思ったように動かなかった。先ほどのエルとやはり同じように、歯が、かちりと鳴る。
「冷凍睡眠カプセルの計器が変な数値を出してたから、計器が壊れたのかと思って様子を見に行ったんだよ。計器は壊れてなかった。壊れてたのは、冷凍睡眠カプセルと、非常報知ベルだったよ。内部の温度とか、酸素とか二酸化炭素とか……要はガスと溶液の成分濃度とか、そういう生命維持の仕組が丸ごといかれていたんだ。警報も壊れてた。鳴らなかったんだ。完全に根本から壊れてたならともかく、調整トラブルぐらいだったら、その時点で警報が鳴っていれば、間に合ったかもしれなかったのに」
頭に、昔観たあの有名な古典SF映画が過った。あれは確か、矛盾する命令を与えられた制御システムが、その矛盾の解消のために乗組員の皆殺しを謀るのだったか。ただ、このシップには冷凍睡眠装置を壊せるような自律思考型のOSは搭載していないし、あの映画の舞台となった時代から半世紀が経過していても、未だそれは実用段階に至っていない。それが幸いなのかどうかはわからないが。そしてリアルタイムでネットワークに接続できず、連絡はすべてNASA経由である以上、ウイルスやハッキングの線は薄いと思われる。つまりは、おそらく純粋に故障であるのだろう。
そんなことが推測できたところで、なんの救いにもならなかった。こういう事態が起きた場合、俺たちがどうすればいいのかも、俺は知らされていなかった。受けた説明が事実であれば、冷凍睡眠装置が宇宙航行中に致命的なトラブルを起こしたことは、少なくとも五年前の時点ではなかったはずだった。
けれど、それは起きた。冷凍睡眠に入っていた俺達以外の三人のクルーは、皆、死んだ。
「どうするんだ」
それだけ尋ねると、エルは目線を下、と呼ぶべきか、ともかく奴の頭から見て足元側へと向けた。
「まず、NASAに状況を連絡して指示を待つ。連絡が来るまで、他に何か大事な機器がいかれてないか確認する。……俺ひとりではミスや見落としがあるかもしれない。ジェイも来てくれないか」
「俺が」
行ってもわからないと思う、と言おうとして、やめた。できることがあった。多分、俺のほうが動揺は小さい。
俺は、元々の冷凍睡眠スケジュールの関係で、任務中に顔を合わすのはエルだけの予定だった。俺のような宇宙飛行の専門訓練を積んでいない人間は、基本的に必要最低限の任務期間中以外は眠ることになっている。その分訓練もメディカルチェックも基準が低い。死んだ三人とは、訓練中と契約時に数回顔を合わせただけだ。だが、エルは違う。エルにとって彼らは同僚であり、パイロットとしては最年少のエルにとっては先輩であり――そう、よりによって一番経験の浅いエルと、宇宙飛行に関してはまったくの門外漢である俺達ふたりだけが、地球から遥か遠く離れた、今すぐ設定進路を変更してまっすぐ帰還しても最低五年はかかる場所に取り残されてしまったのだ。
ここで、エルが動揺からミスをすれば、それはすぐに死に直結するだろう。いくら緊急事態への対応についての訓練を重ねているはずだろうとはいえ、人間だ。死んだ人たちとの繋がりが薄い分、俺のほうが悲しみは浅い。計器やプログラムを見ることはできなくとも、エルの様子を見ることはできる。頷くと、エルは明らかにほっとした様子で、少しだけ表情を和らげた。
まず最低限生存に必要なシステムの安全を確かめた上で、エルはNASAへと事態を報告する通信を送った。動揺していても、報告レポートを入力する指の動きは速い。あっという間にレポートを書き上げると、振り向いて、内容を確認するように頼んできた。本来機密事項なのだろうが、そう言われたのでざっと目を通す。レポートには現状が読みやすく箇条書きでまとめられていて、俺でも大体現状が飲み込めた。
続いて、物凄く重要ではあるが、即座には生存に直結しない機器類のチェックを行った。とりあえず機体そのものには損傷や問題はなかったようだ。だが、念のためといって、普段は確認しない自動航行のプログラムの解析をしたところで、エルの指の動きが止まった。そのまま、じっと目を凝らしているように見えた。どうかしたのか、と聞こうかと思ったが、作業の性質上集中の邪魔になったら悪いと思って黙っていた。数行戻って、また読み返す。目の動きから、十行ほどのコードを、何度も何度も見返しているようだった。プログラミングはできないわけではないが、輸送用機械の航行用のものは書いたことも読んだこともないし、そもそも見たこともない言語で書かれているようでどんな命令が為されているのかは覗き込んでもわからなかった。それこそ、非専門家に書き換えられたりしないように、独自の言語を採用しているのかもしれない。
「……なぁ、ジェイ」
ふと、エルが言った。目は、モニタに釘付けのままだった。
「俺たちが地球を出発したのって、2061年だったよな」
「ああ」
「だよな」
そのまま、暫く同じところを何度も何度も見返していたようだったが、ポン、という電子音に顔を上げた。NASAからの返信のようだった。エルは画面を切り替え、受信した通知を読み始めた。
一度は、上から下まで一気に読む。それから、もう一度一行目に戻って、一文字一文字、一単語一単語を舐めるように読んでいく。顔色が、変わったように見えた。
「どうか、したのか」
思わず俺は声を掛けていた。良い報せを受け取った人間の顔には、とても見えなかったからだ。俺たちの所属する文化圏は異なるが、人間の基本的な感情や表情は、通文化的に共通であるという。驚きも、恐怖も、その基本情動に該当するものだ。だから、多分合っている。
エルは立ち上がり、駆け足気味に制御室を出た。俺もその後を追う。ついてこいとは言われなかったが、来るなとも言われなかった。エルは、何も言わなかった。周囲が良く見えていないのか見ていないのか、壁や置いてあるものにぶつかりながらも、エルは一直線に走った。たどり着いた場所は、いまやモルグと化した、冷凍睡眠装置ルームだった。
作品名:スターチャンネル2034 作家名:なつきすい