スターチャンネル2034
時計を見る。グリニッジ標準時では今は昼の二時頃だ。母国は真夏の夜だろう。けれど、そのどれも実感が持てない。ここで時刻が意味を持つのは、生活習慣の維持とテレビ番組の配信ぐらいのものだ。季節に至っては、それこそ番組内容ぐらいにしか影響がない。
テレビなどの画面の向き以外に上下感覚のない、地球ではありえない部屋の中でごろごろとしていると、ポーン、と通知音が鳴った。部屋の端に取り付けられた小型モニタに、エルの顔が映し出される。その向こうの景色は、この部屋の前の廊下だ。部屋の前にいるのだろう。
「ジェイ、今いいか」
「ああ、どうぞ」
言うと、扉がスライドし、エルが入ってきた。現在機長であるエルは、すべての部屋への立ち入り権限を持っている。それがわかっているので、俺は部屋に鍵をかけていない。
エルはシャツに緩めのズボンというラフな格好で入ってきた。きっと大した用ではないのだろう。尤も、宇宙飛行についての知識をほとんど持たない俺に、重要な用はさほどないのだが。
「お前国籍、日本とアメリカの二重だったよな。SCの文化申告日本で出してたか?」
「ああ」
エルはにやりと笑った。それで大体の用を把握する。
「テレビ貸して欲しいのか」
「話が早いね。今から三十分、いいか?」
俺は頷いた。エルは嬉しそうにチャンネルを選ぶ。ひとりで観るにはやや大きいモニタに映し出されたのは、二次元の美少女の姿だ。
エルが周囲にひた隠しにしていた趣味がアニメオタクだ。俺の母国では珍しくもないのだが、エルの母国ではアニメや漫画の地位は相当に低く、子どもですらあまり見せてもらえず、ましてや宇宙飛行士というエリート中のエリートの趣味としてはとても認められるものではないらしい。エルは俺が日本育ちだとわかると、日本のアニメや漫画が好きなのだと嬉しそうに教えてくれた。俺が持ち込んだ漫画を貸してやったこともある。
「うちの文化申告だと、アニメが入らないからさ。だけど俺の経歴なんて全部把握されてるから嘘つくわけにもいかないし」
そう言ってにやにやするエルの耳には、すぐに俺の言葉は届かなくなった。番組が終わるまで三十分。例によってニュース性はないので、俺が認証しているテレビでは問題なく観ることができた。
「ひょっとしてエルのテレビだと、AVとかも入らないのか?」
日本製のアニメを堪能し、礼を言って引き上げようとするエルにそう尋ねると、苦笑いして「見れないようにしたって、手に入れるルートはなくもないのにねえ」と言う。なかなか面倒な文化の中で育ったようだった。このまま良好な関係を維持したまま地球に戻ったら、アニメのBDを代わりに買って、奴の家に送ってやる役を引き受けてもいいなと思う。
チャンネルを回す。ニュース番組が目に入った。とはいえ、検閲後に送信し直しているため、本放送からは数日分の遅れがある。国際情勢や政治に関するニュースはほとんど排除されていて、残るのは事件事故の報道であったり、プロ野球の結果であったり、芸能ゴシップだったり、どこそこで台風が発生したというものだったりする。俺の地元のチームは開幕の出遅れを挽回できないまま、AクラスとBクラスの狭間をうろうろしているようだ。これも、数日前の時点での順位ではある。仮に即時に知ることができたとして、地球に直ぐに戻ることはできないのだし、こちらから通信をしてもタイムラグが相当あるので、あまり意味はないのだが。
ぼんやり眺めている芸能ニュースでは、昨日の時点で美人モデルとの浮気を激写されていた俳優が、今日になって妻との別居を認めていた。芸能人の離婚率の高さは、五年やそこら眠っていた程度では変わらないらしい。が、その俳優も美人モデルも、俺は知らなかった。
更に空いた時間を、実験用の機材のチェックに費やす。今のところ、故障やトラブル、不備は見られない。地球と違う環境でどれだけまともに動いてくれるかはわからないけれど、こればかりはやってみないことにはわからない。一応、無重力状態でのシミュレーションはしてみたし、推定される鉱物との相性は確かめた、が、何しろまだ誰もやっていない調査なのだ。何が起きてもおかしくはない。
自分宛の通信が入っていないかも確かめた。今回の研究は、博士課程のときにお世話になった地質学の研究者と組んでいる。状況の変化や追加実験の要望などがあれば連絡をくれることになっているが、今のところ、教授に昇進したという連絡しか入っていなかった。元々あまり人付き合いの多いほうではないので、個人的な通信は入っていなかった。
そんな日々が、だらだらと続いた。
調査の準備は、滞りなく進んでいる。宇宙空間での作業に備えて、宇宙での実験のマニュアルや目的地の無人探査のデータも取り寄せて読んでいる。普段は専門外だが、これについては自力でやらなければならない。それでも、暇は暇で、テレビを観ている時間は短くはなかった。俺の母国は政治や宗教的に文化の許容度が比較的広めなので、見られないチャンネルはない。あとは個人の嗜好の申告で、例えばグロテスクなシーンのある映画を初めから表示されないようにしたりすることもできるが、特にそういった指定をしてはいない。他の文化圏の番組を見るのも面白かったし、一度アニメを観に来て以降も時折エルがエルの文化設定では見られない番組を観るために遊びに来たりもしていた。
いくら宇宙飛行に直接関わりある作業でできることはひとつもないとはいえ、さすがにここまで特別なことがなにもない、とは思わなかった。地上と違うことは、運動義務と、通信のタイムラグとそれに伴ってネットサーフィンができないこと、そして、この地球上に比べて遥かに微小な重力ぐらいだ。特に最後のひとつは日常生活ではまず味わえない感覚なので、存分に楽しむことにしている。上下感覚の存在しない場所で浮遊しながら本を読んだり、ごろごろならぬふわふわしながら見るテレビはある意味格別だ。ただ、水を飲むのにいちいち専用の容器が必要なのが、やや面倒臭い。
自動航行システムがほとんどのことをやってくれるため、時間をもてあましているのはエルも同じのようだった。ただ、向こうは俺と違い、最低限人間がやらなければならないわずかな仕事が直接シップとクルーの安全に直結する内容のため、緊張感は違うが。それでも、暇な時間をアニメや漫画で潰すべく、エルはかなり頻繁に俺の部屋へとやってくる。別に俺はオタクではないが、母国ではさほど珍しい存在でもないし、エルはオタクであることを隠さずにいられることが嬉しいようだった。
ポーン、と、呼び出しチャイムが鳴った。俺は顔を小さなモニタへと向ける。わかってはいたけれど、エルだった。
「ジェイ、今いいか」
またテレビか、と思ってその顔を見て、いつもと様子が違うことに気が付いた。あまり画質の良くない映像越しにもわかる。顔が青褪めていた。目が、ぴくぴくと奇妙に動く。俺は体勢を起こした。開けていいか、とも入るよ、とも言われる前に、ボタンを押してドアを開いた。
「何かあったのか」
返事はない。いつもいかにも頭の回転と物事の判断の速そうな歯切れの良い受け答えをするエルには珍しいことだった。
作品名:スターチャンネル2034 作家名:なつきすい