狼の騎士
「まさか! ぼくは一兵士としてべレンズに行くことをずっと待ち望んでたんだよ! 絶対に功績を挙げて、貴族になってやるんだ!」
さっきの淡白な態度はどこへやら、前のめりになるほど一変して活気に溢れ始めたゼルに、デュレイはぽかんと口を開けて完全に動きを止めていた。手にしたフォークから野菜がこぼれ落ちたのにも気づいていないようである。
「……いやびっくりした。きみってばものすごくやる気満々じゃないか。そう積極的なら、貴族ならみんな欲しがるんじゃないかな」
「でも試験で振り分けられるんだろ」
「試験ったって要は剣の技術さ。その勢いで挑めば、大貴族の目に止まるのも夢じゃないぜ」
まるで自分が当事者であるかのように、デュレイの声は半ば上ずっている。
「そんなもんかなあ」
ゼルは照れくさくなってごまかそうとしたつもりだったが、デュレイには全く通用しなかった。
「きっとそうなるさ! 後々戦争が激しくなった時、困らない程度にがんばればいい、なんてくらいにしか考えてなかったおれが馬鹿らしく見えるよ。がんばれよ、ゼル! 応援してるぜ!」
そう言って、デュレイはお祝いだとばかりにメインの肉を一切れ、ゼルの皿に移した。ゼルは慌てて戻そうとしたが、いいから食べてくれと押し切られてしまった。
「リクレアでも、きみみたいなでっかい夢を語るやつはいなかった。なんだか久々にすっとした気分になったんだよ、遠慮するな!」
――ここで無理やり断わったら、デュレイのことだ、さっきみたいにしょんぼりしてしまうだろうな。そう思い、ゼルは礼を言って肉に手をつけた。それを見たデュレイは満足そうに笑って、椅子にもたれながら水の入ったコップに手をかけた。
「大貴族に引き抜かれたら、さぞいい生活ができるんだろうな」
「おいおい、もう引き抜かれたあとの話かい?」
「大貴族と言えば、エルジーノ卿にジェンタス卿、あとは……そうだな、ゲルベンス卿や……」
嬉しそうに天井を見上げ、貴族の名を連ねるデュレイが、ふとゼルに目を戻した。ゼルはなぜか、難解な言葉を連ねられた子どものように、目を見張っている。
「どうしたんだい? ゼル」
「いや、ずいぶん詳しいんだなと思って」
「え!? 詳しい、って……有名な貴族だよ?」
「そうなの?」
「お、おいゼル、きみ貴族になりたいって言ってたけど、貴族のこと全然知らないのかい?」
今度はデュレイが前のめりになる番だった。
「貴族については勉強したよ、もちろん。ただその名前を知らないだけさ」
「きみのおじさんは教えてくれなかったのか?」
「そんなとこかな。叔父さんが言うには、人づての先入観や、個人の見方が混ざったことを聞くよりも、自分が接して感じたことを信じろって。だから叔父さんはどんな貴族がいるか、ってことについては何も言ってくれたことはなかった。名前ぐらいはいいって言ってくれたんだけど、それはぼくが断わったんだ。名前も知らないで行ったほうが、おもしろいかもしれないと思って」
さも当然のごとく言われ、デュレイは感心したように唸り席に落ち着いた。
「そうか、噂に惑わされないようにしたのか。確かに貴族の噂はよく流れるけど、どんな尾ひれがついてるかわからないもんな」
「やっぱりあるんだ、噂とか」
「大貴族ともなると、悪いものは滅多にないけどね」
なんたって貴族階級のお手本だもんな、と呟いて、デュレイは水を一息に飲み干した。ゼルも、自分の皿に残っていた野菜を口に放り込む。続けてそっと皿に寝かせられた食器が、上品な金音を立てた。
「そうそうデュレイ、寝る場所のことなんだけど」
「うん」
「やっぱりぼくがこっちで寝るよ」
ゼルの指した指を追ったデュレイの目に、使用人が運んできた簡易型の寝具が映った。そしてゼルは彼の口が動いて言葉を遮って、理由を続けた。
「だってきみ、窮屈そうじゃないか」
確かに、ゼルのように小柄な体型なら十分だが、大の大人や、将来偉丈夫になるのは必至であろうデュレイには、いささかこじんまりとしすぎていた。もちろん何もないよりはいいのだが、せっかく普通の寝台があるのだから、ゆったりと寝てほしい。ゼルはさっと席を立つと、自分の荷物を小さな寝台の上にどさりと落とした。
「こっちのほうがぼくにぴったりだよ。あまり大きいベッドは慣れてないんだ」
荷物に続いて、ゼル自身もそこに陣取った。かと言って、ゼルの家のものと同じ大きさというわけでもなかった。
「ゼル……。ごめん、気を遣わせてしまって。でも、実はぼくもちょっとせまそうだなって思ってたんだ」
「ははっ、ほらな」
「それじゃゼル、代わりと言っちゃなんだけど、きみが先に風呂に入りなよ。食器を片付けてもらうついでに、お湯も頼んでくるから」
デュレイは、ゼルが椅子が倒れるのではないかと思うほど、勢いをつけて立ち上がっていた。慌てたように椅子の背を支え、はにかんだ笑みをゼルに向ける。ゼルもそれに笑顔を返したが、デュレイは照れからか、その青い目を泳がせて、駆け足で部屋を後にした。