狼の騎士
「やっぱりか……」
ゼルはは息を吐いたが、当然のことだと思った。同じ用向きの、しかも同年代の者に出会えた嬉しさで、ついゆっくり話して来てしまったのも、こうなってしまった原因だろうなと考えていたのだ。
「あちゃあ……。ゼル、ごめんよ」
「え?」
宿の者以外から聞くとは思わなかった詫びの言葉を発したのは、他ならぬデュレイだった。
「だってほら、今日一番旅の足を引っ張ったのはぼくじゃないか。ぼくがあんなことにならなければ」
「そんな! きみのせいだなんてこれっぽっちも思っちゃいないよ」
ゼルは思わず身を乗り出していた。丸机の木目に落とされた瞳はまぶたに陰り、快活にしか映らなかった鮮やかで深い青は、今では自責の念でその光を放っているように見えた。
「今さらそんなこと言ってもしょうがないのはわかってるんだけど。いや、ほんとにごめん」
「そう落ち込むなって。でもな……」
これがあのたくましい体を持った男かと疑ってしまうほど、小さく縮んでしまったデュレイの肩を叩きながら、その言葉の後半はゼル自身にしか聞こえない声量に押し留めた。同時にデュレイが背を向けている、宿の出入り口に視線を移す。この宿に泊まれないとわかった者が、ぞろぞろと出て行くところだった。他にも宿屋はあるだろうが、おそらく今立ち去った旅人で埋まってしまうだろう。となれば、ここは急いで彼らの後を追ったほうがいいのか。いつの間にか、カウンター回りの宿泊客も一組だけになっていた。それ以外はグラスを手にくつろぐ者、まだ忙しそうに歩き回る宿屋の者ばかりである。
「とりあえず、他の宿をあたってみよう。ここにいても泊まれないんだし」
「申し訳ありません、お客様」
「いえ、とんでもないです。さ、デュレイ」
すっかりしょげてしまったデュレイが、ゼルにはやはり子どものように見えた。先に席を立つと、ゼルは子ども達を慰めた時のように、そっと肩に手を乗せた。見上げてきたデュレイの表情が、よく落ち込んで泣きそうになってばかりいたリトという子にそっくりだったので、ゼルは小さく吹き出していた。
「な、なんだい、そんなに変な顔してた?」
「ごめんごめん、違うんだ。今のきみの顔が、ぼくの村にいた子にあんまり似てたんで、つい」
そう言うゼルを見て、やっと大きな子どもの面差しが明るくなった時だった。
「失礼。旅の方とお見受けしますが」
丁寧な落ち着いた声が、そっと背後から響いた。見ると、ゼル達とよく似た服装の男が、こちらに進めていた足をちょうど止めたところだった。その後方に、カウンターに手をのせたままこちらに体を向けている男がいた。どうやら宿泊客の一組らしい。
「ええ、そうですが」
「こちらに泊まられる方ですか?」
背格好と顔つきから見ても、自分よりはるかに年長者なのは明白だった。ゼルの馬よりも、さらに彩度を落とした栗色の長髪をもつその男は、しかしまるで目上の者と話しているかのような口調だった。
「いえ、ちょうど満室になってしまったと聞いたので、別の宿を探しに行くところなんです」
「お二人ですか?」
「そうです」
「……ふむ」
ため息のように小さく、一人納得したような音を吐くと、「しばしお待ちを」と連れの男のほうに引き返していった。そして短く言葉を交わしたのち、床に靴音を響かせながら戻ってきた。
「あなたがたがよろしければ、わたしどもの部屋をお譲りしたいと思うのですが、いかがですか?」
穏やかな弧を描いた唇が発した台詞は、その意味を理解したゼルとデュレイの顔をたちまち吃驚の色に染め上げた。
「おっと、宿の方に聞くのを忘れてましたね。客が勝手に部屋を移動しては、やはり困りますか?」
「え、あ、いえそんなことはありませんが、お客様方は二部屋お取りになっているのですか?」
「ええ。しかし泊まれぬ方がいるとなれば、一部屋ずつなどと贅沢は言っていられませんから」
「あ、あの! でもぼくらは他の宿が空いていれば」
つかの間のあいだ、呆然と宿の人間と男のやりとりを見ていたゼルが、我に返ったように口をはさんだ。
「あんなに人がいたのですから、他ももう埋まっているでしょう。遠慮などいりませんよ。ああ、それとも、素性も分からぬ者からでは受け取れませんかな」
「えっ、いえ、そういうことでは」
穏健な男とは対照的に、まるで目の前にしているのが国王かなにかでもあるかのように、しどろもどろになってしまったゼルへ、男は自分の名を名乗った。
「わたしはルーテス・シーク・ノル・リエッタ。しがない貴族です」
「きっ、貴族の方でいらっしゃったんですか!?」
「あまり言いたくはないんですがね」
即座に身を正したゼルと、音すら立てて盛大に立ち上がったデュレイを見て、身の上を明かした男は寂しそうな笑みを浮かべた。
「国王陛下に仕える新兵を、野宿させるわけにもいかないでしょう。失礼、べレンズに向かわれる方で間違いありませんか?」
「ええ、その通りです、えっと……リエッタ卿。真に恐縮ですが、ご厚意に預かってよろしいでしょうか」
「もちろん。その言葉を待っていましたよ。では、案内していただけますかな」
「はい、ただいま」
満足そうに目を細めると、リエッタは立ち尽くしていた使用人に声をかけた。使用人は弾かれたように明瞭な声で答え、部屋の確認にその場を離れた。