狼の騎士
「実はもう一つ、フェルティアード卿の人に頼みたいことがあってね。これは至急なんだ。神殿のある神官が、フェルティアード卿に話があるらしくて。ぼくなんかより、あの方のところの人ならすぐ呼んでこられると思ってさ」
エリオは答えあぐねているようだった。それもそうだ。ミックの発言は、指導されているならば、隊長である貴族の居場所はわかるだろう、という前提のもとにあった。自室でなくとも、それ以外によく行く場所を知っていると。
他の貴族はそうかもしれないが、あのフェルティアードには通用しなかった。直接の指導は、各貴族が所持する幹部兵が行っていたものの、フェルティアード本人に用ができることも度々あった。だが、顔合わせの時に言っていたように暇ではない、というのは事実だったらしく、彼が自室にいたことなど一度たりともなかったのだ。すれ違う騎士や貴族、果ては侍女や給仕係にまで行方を聞いたほどである。ミックが行こうとゼル達が行こうと、そう大差はないだろう。
そう思っていても、ゼルは口に出すことはなかった。言ったところで、彼の腰が引けるのはわかりきっている。この日を迎えるまでのあいだ、ゼルは同期の者達が――同じフェルティアードの指導下の者でさえも、彼を恐れていることを嫌というほど感じていた。
兵に対し厳しいのは、どの貴族も同じだ。しかし、勉学や稽古が終われば、労いの言葉をかけてくれる。フェルティアードは会うことが極端に少ないばかりか、会ったと思っても終始あの固い表情だし、口を開けば作法や礼儀の注意、忠告しか出てこない。指摘してくれるのはありがたいが、神経を逆撫でするような言い草に、ゼルは小さな怒りと共に、疑心も抱いていた。本当にこの貴族は、ジルデリオンという位にふさわしい人間なのか、と。
一介の地方民が、そんなことを考えるのはおこがましいのかもしれない。だが逆に、一介の地方民にまでそう考えさせるあの態度は何なのだろう、とも思うのだ。
「ウィッセル君の用事は、今すぐじゃなくてもいいんだ。多分その呼んでるって方も、今は昼食の時間だろうからね。ただ、フェルティアード卿のほうはそうもいかないみたいで」
エリオがここで王宮に出向き、フェルティアードに会った後に彼自身の用を果たすのが理想だろう。フェルティアードがすぐに見つかればの話だが。そうなり得ることがまず不可能なのは、エリオにも簡単に予想できたに違いない。でなければ、答えに詰まったりするものか。
「うん……。わかった、ぼくが」
「エリオ、フェルティアード卿の用事はぼくが行くよ」
今まで黙っていた青年が声を大にして言うので、ミックはその小柄な男に目を移した。
「きみも、もしかしてフェルティアード卿の?」
「うん。だからエリオ、きみはゆっくり食べてろよ」
そう告げたゼルは、すでに席を立っていた。エリオはすがりつくようにゼルの腕をつかみ、
「おいおい、きみに教えたくてここに来たのに、本人がいなくなっちゃ意味がないじゃないか」
「だってエリオ……フェルティアード卿がすぐにつかまると思うか?」
ゼルはそっと声量を落とした。
「あの方を探すのに王宮を走り回ってたら、きみの用事に支障が出るじゃないか。ああ、一応ぼくの分のお金は置いてくよ」
「ゼル、そうじゃなくって……」
細かい値段までは覚えていないが、十分お釣りがくる分の金をテーブルに置くと、エリオは呆れたようにゼルを見上げてきた。話があるのにうまく表現する言葉が見つからなかったようで、結局エリオはため息をつくだけに留まった。
「じゃあ、フェルティアード卿の件は、きみにお願いしていいのかな?」
「ああ、ぼくが行く。デュレイ、ぼくの分食べていいからな」
「馬鹿だな、そんなに食えないよ」
「嘘つけ、余裕だろ」
ぽんと彼の肩に手を乗せて、ゼルはせめてもの腹の足しにと、パンを口に放り込んだ。