狼の騎士
ゼルに続いて隣に並んだエリオも含め、フェルティアードは目だけを動かし、新兵を一瞥した。その表情は固い、という程度では済まなかった。不機嫌そうにつり上げられた眉に、鉄扉の如く引き結ばれた唇。歓迎などとは程遠い態度である。
彼の口髭は刈り揃えられていたが、顎鬚のほうは、髪に隠れた耳の辺りまで顔を縁取っているように見えた。年の頃は四十半ばだろうか。一見して粗野とも取れなくない風貌は、すっと伸びた背と、何事も隠し通せなさそうな目で、打ち消されているようであった。
「わたしのところへ寄越されるとは、きみ達も不運だな」
第一声がそれだった。試験場の貴族に似た、低く落ち着いた声だったが、街中でこんな声が聞こえたら、ついその主を見つけたくなりそうな、不思議と惹きつけられる響きがある。しかし今の言葉には、かすかに嘲りの色が見えた。
「わたしは他の者ほど暇ではない。よって、きみ達に直接何らかの指導を行うことはまず不可能だ。そこは了承して頂こう」
開口一番の台詞にわずかな怒りがちらついたが、二言目の内容には納得した。二年間の師とはいえ、何から何まで一人の貴族に教わるわけではない。ここが特異なだけで、普通ならこの倍では済まない数の兵を、貴族は受け持っているのだ。剣の指導や軍の基本は、その貴族の騎士、あるいは幹部兵が行うことがほとんどである。
「心得ております」
発言したのは、先頭近くにいたため、列の端に並んだ青年だった。ゼルが少しだけ身を乗り出して見ると、短い黒髪の下に、きっと締まった表情があった。凛とした声色は、大貴族という身分に対して遜色のないものだったろう。
「お喋りなやつだな」
しかしながら、彼はそれをにべもなく一蹴した。その唇が、わずかに形を変える。
――このフェルティアードという貴族も笑うのか。意外だったが、もちろんこちらまで笑いを誘われるような、明るく優しい笑みではない。紛れもなく、侮蔑を含んだ嘲笑であった。
返された青年は羞恥からか、赤くした顔を隠すように伏せた。そんな彼を気にした風もなしに、フェルティアードは机の前に回り込んできた。暗い青色の外套が斜光のせいで明るく見え、それを留める金色の金具には、深すぎる森を彷彿とさせる深緑の宝石が灯っていた。
「意気込みを語る自己紹介は結構。名前だけ順に言ってもらおう」
机を滑った手が、一枚の薄い紙を取った。光に透けて反転した文面には、短い文字列が箇条書きになっている。どうやら、彼に渡されていた新兵の名簿らしかった。
「アールズ・ケイ・ル・ベレンズです」
「ラジッド・セアス・ル・ベレンズです」
二人目が、先ほどの気の毒な青年だった。彼らに続いた兵も、ほとんどがベレンズ出身の人間だ。やっぱりこれだけ巨大な街だからか、と聞いているうち、あっという間にゼルの番になった。
「ジュオール・ゼレセアン・ル・ウェールです」
名乗る度に一人一人の顔を見ていた目が、ゼルの前で細められた。あの威圧のある視線が、今度は自分だけに向けられている。
「ウェール? 聞かん地名だな」
「ここから南の方にあります、小さい村です」
そうか、と呟いて次を促した大貴族に、ゼルは安堵の息をついた。いつの間にこんなに空気を溜めていたのか、自分でも驚いてしまう。エリオの口が閉じると、フェルティアードは薄紙を戻し、言った。
「早速だが、これより国王陛下に謁見する。今期兵の代表として、陛下と国に対し尽力することを誓うものだ。ベレンズの者なら知っているな」
頷けなかったのは、ゼルとエリオを含む、地方から来たわずかな人数の新兵だけだった。ゼルなどは瞬きすらできていない。そんな彼に、フェルティアードが気付かないわけがなかった。
「どうした、ル・ウェール。陛下にお目通りするのが不服かね」
とうとう自分にまで、あの不気味な微笑をされてしまった。背筋だけでなく、舌まで凍らされるようだ。明らかに問いかけの口調に、ゼルはなんとか答えを絞り出した。
「いえ、とんでもないです」
もう少し丁寧なほうがよかったか。しかし早く返答しなければ、という焦りから早口になっていた言葉は、すでに口から出ていった後だった。
それにしても、まさか国王に面会することになるとは思わなかった。兵全員が国王に会うことは、数の多さからして難しいため、一人の貴族の指導下にある新兵が代議するのはわかる。それが大貴族なのも、腑に落ちないところなどない。そんな立場にいるというのが、ゼルにとっては自分にそぐわない気がして仕方がなかった。
「ならば、くれぐれも陛下の御前でそのような醜態を晒すな」
当たり前だ。ゼルは口にこそしなかったが、顔つきはやや険しくなっていた。突然国王に会う、なんて言われたから驚いただけで、事前に説明されるなら心の準備はできる。
「もちろん、そんな真似は致しません」
黙っていようとしたのに、一瞬だったがゼルを支配した感情は、いらぬことまで口走らせていた。しまった、と我に返ったと同時に、複数の視線が自分に集中したのを感じる。ここでまた顔に出したら、さらに何か言われてしまう。それだけは避けようと、ゼルはぐっと口をつぐんだ。
きつく睨んでくると予想した大貴族に、意外にも虚を突かれたような表情が見えた。が、ゼルはおそらく見間違いだろう、と己に言い聞かせた。今度はどこか、からかいまで入り込んだ笑みが現れたのだ。
「よかろう。その言葉を偽る行動はしないことだな」
言い終わるやいなや、彼はゼル達が入ってきた扉へと歩き出した。エリオの脇を通り過ぎると、ついて来い、という抑揚のない声がかけられた。