狼の騎士
「最初はいけるかなって思ったんだけど、やっぱり無理だったね。相手に失礼がないようにだけは心がけたけど、どうなるのかな」
「きみが精一杯頑張ったなら、経験豊富な人達だ、きっとわかってくれてるよ」
デュレイが入ってきてから、三人ほど新たな入室者があった後、なんの前兆もなしに談笑の波がすっと引いた。ゼルは扉を見たが、案内の貴族が現れた様子もない。ゼルの疑問を解いたのは、その静まり返った場所に広がった、あることを知らせる声だった。
「諸君、試験の結果が出揃った。この隣の部屋へ移動し、自分の所属を確認したのち、速やかに退出するように」
同時に、青年達の靴が床を鳴らし始めた。別の部屋に通じる扉があり、皆そちらへ移動しているのだ。ゼルは人垣のせいで、気付くことができなかった。
別室へと吸い込まれる行列に混じり、三人がその部屋に入った頃には、最初のほうに入室したらしい者達が、廊下に出る出入り口から出て行くところだった。
隣室には、壁を埋め尽くさんばかりに貼られた巨大な紙があり、頭文字の順に名前がずらりと書き連ねられていた。その名前の先頭には、様々な色の紙が貼り付けられている。そのほとんどには、色紙の下部に名前が追記されていた。
「おれの名前は……ああ、あった。ローデル卿だ」
その身長のおかげか、真っ先に自分の所属を見つけたのはデュレイだった。ゼルも必死に名を探すが、爪先立ちしても、眼前で絶えずたくさんの頭が動くので、すぐに見つけられない。
「大丈夫かい? ゼル。ぼくも探すよ」
「ごめん、わざわざ。……あっ、見つけたよ、デュレイ」
「本当かい。で、何色だった?」
紙の下にある名は、どうやら貴族のものらしかった。色だけで判別できないのは、それが位ごとに貴族に与えられる宝石の色だからだ。一つの色、つまり一つの階位に一人しか貴族がいない、というのはまずありえない。
ゼルは、自分の名前とその頭に貼られた紙の色しか確認できず、名前まで読み解くことはできなかった。しかし、デュレイに色だけでも伝えれば、どの位の貴族かわかるだろう。もちろん、階位の高低で一喜一憂することはしないが。
「色は緑だったよ」
「わかった、緑だな。……えっ、何だって!?」
友の所属を見つけて教えてやるいという、小さな使命のようなものを感じていたのか、デュレイの目は食い入るように壁の紙をなめていた。その彼が突然叫んでゼルを振り返ったのだ。
「な、何って何が?」
当然ゼルも驚いた。エリオも、何事かと名前の一覧から視線を外している。
「ゼル、本当に緑だったのか?」
「う、うん。ほら、あそこだよ」
あるはずのない色と見間違いでもしたのだろうか。それにしてもデュレイの驚き具合、というよりも焦り具合は普通ではなかった。自分も不安になって、名前があった辺りを指差しながら、もう一度目を凝らす。
前後に並んだ別の名前と、取り違えてしまったか。人の波に埋もれていても、今度はすぐ名前を見つけられた。頭文字の前には、やはり緑の紙があった。
「本当だ……。確かに緑の紙だな」
「どうしたんだ? そんな嫌そうな顔して。その緑色の貴族は、何か問題のある方なのか?」
驚愕を通り越し、青ざめてさえいる友人を見上げる。王宮のことなら一通り知っている彼が、こんな様子を見せるのだ。ゼルが不安にならないわけがなかった。
しかしゼルの問いかけに、デュレイはそんな負の空気を拭い去るように、
「まさか! 緑と言ったら、貴族の中でも最高位の方にしか与えられないジルデリオンの色だよ」
「じゃ、つまり大貴族?」
「大貴族中の大貴族さ。今じゃたった一人の、あの色を許された方だ」
「じゃあなんでその……怖がってるんだ?」
自分が“緑の大貴族”のところに行かされるわけではないのに、デュレイはさも己のことのように反応しているように見えた。そしてにじみ出てくる感情は、純粋な驚きから小さな嫌悪になり、今では恐怖とも取れるものになっていた。
「最初に言っておくけど、決して悪い方じゃないよ」
やや言葉に詰まりながら、デュレイは口を開いた。
「と言っても、もちろんぼくは会ったことなんかないけどね。ただ、すごく厳しいって聞いてるんだ」
デュレイは首を紙に向ける。ゼルもそれに続いた。
「ほら、緑の紙が貼られてる人を数えてみなよ。あの方のところに配属される人は、いつも少ないんだ」
色だけなら、ゼルもざっと見ることができた。そう言われれば、黄色や白、紫がある中で緑色はよく映えていたが、その数は少ない。デュレイが話を再開させていなかったら、全部で何人いたか把握できるほどだった。
「噂じゃ人間不信だからだ、なんて言われてるけど、実際のところは本当かどうかわからないよ」
「なんだ、悪い噂もあるんじゃないか」
「大貴族にとっちゃ、その程度ならあってないようなものさ。何せ相応の力がなきゃ、その位まで上がることなんかできないんだし」
確かにそうだな、と納得したゼルの肩を、エリオの声が叩いた。
「ゼル、きみはどこになったんだい?」
「えっと、緑の……。ところでその方はなんて言うんだい、デュレイ?」
デュレイが言おうとした言葉は、エリオに引き取られた。
「フェルティアード卿か! ぼくもそうなんだよ。長い付き合いになりそうだね、ゼル」
差し出された手を握り返しながら、ゼルはその大貴族の名を反芻した。フェルティアード。最高位の者にしか許されない、ジルデリオンを持つという貴族。
ベレンズの民からしたら、名も知られぬような村から来た自分が、そんな貴族の下へ置かれるというのはなんだか畏れ多いような気がした。だからと言って、辞退したいとも思わないし、まず許可が下らないだろう。
(しかし、ちょっとまずいこと聞いちゃったかな……)
相手がどんな人間なのかは自分で判断したい、と心に決めていたせいもあって、デュレイから聞いた大貴族の人となりは、ゼルの思考の芯を揺らがせていた。