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狼の騎士

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第二章「王都の勇兵達」【3】


 あの貴族が言うのだから間違いないのだろうが、ゼルは未だに、対面する人間が試験官であると信じられないでいた。わずかでも気を抜いたら、眉をひそめたくなるのを我慢し、今一度その風貌を見回す。
 模擬とはいってもこれから闘うというのに、体はすっぽりと外套で包まれ、つばの広い帽子のおかげで、容姿はほとんど窺えない。唯一見えた顔の下半分も、布で包まれている。
 それらは、ゼル達新兵がまとう色となんら変わりはなかったが、得体の知れない者と向かい合っている気分になった。ゼルでなくとも、平凡に暮らす民から見たら、こんな帽子は見栄を張っているようにしか思えない。しかし、わずかに揺らいだ外套の裾に目をやれば、剣の先が覗いていた。
「二人とも、構え」
 いよいよだ。ぶれることなく掲げられた剣を追って、ゼルも右腕を上げた。直立不動の姿勢だった相手は、その動きと共に片足を一歩下げた。ゼルはやや遅れてそれに倣ったが、足も剣先も震えているのがわかった。さっき動いたのは幻だったのかと思ってしまうほど、対峙する彼は微動だにしない。
「始め」
 剣術試験の開始を知らせるにしては、ずいぶんとあっさりしたかけ声だった。だが、そこに気を取られてしまうわけにはいかない。目の前に強敵がいる。そのことが、ゼルの心の大半を占めていた。意識を自分の右手に、そして正面へと正す。
 すでに踏み込んできていると思っていた相手は、意外にも腕を傾けてすらいなかった。こちらの出方を待っているのか。目を凝らしても、彼の顔は完全に幅広のつばに隠されている。
 このまま様子を見ていても仕方がない。対する敵が動かなければ剣を振るえない、などと評されたくなかったし、何よりゼル自身、そうする性格ではなかった。
 相変わらず像のような試験官に、ゼルは先手を打った。すると彼はゼルの攻撃に応え、剣を交えて半歩引いた。村で稽古をした時とほぼ同じ感触。易々と流されてしまったものの、やっと反応を示したことに、ゼルは小さな手ごたえを感じていた。
 間を置いては相手に余裕を与える。そうわかっていても、ゼルは己のために一息置いた。少しでも油断すれば、自分の手から剣をからめとるなど造作もない相手のはずだ。そうなったら、試験は終了してしまう。
 試験官はというと、また同じように固まってしまっていた。今は斬り込み方でも見られているのか。それならば、とゼルは続けて剣を突き出した。先端は当然のように彼に届くことはなく、さらに彼は一歩も退かずに、ゼルの連撃をさばき切っていた。
 こちらの動きは完全に読まれているようだ。予想していたことだったが、今までの努力をあざ笑われているようで、ゼルはふつふつと怒りが沸いてくるのを感じた。どうにもやり切れない。しかし高ぶった感情のままに行動して、事がうまくいったためしなどないことは、ゼル自身がよく知っていた。それでもやはり、一歩だけでもこの相手を退かせてやりたい。ゼルは剣の感触を確かめるように柄を握り直し、見えぬ試験官の目をにらんだ。
 意図せず漏れた裂帛の息と共に、ゼルは剣を振るった。下手に攻撃を重ねず、相手の隙を見つけ、狙うように。
 じり、と相手の靴が床を這う。少しずつ押せている。試験官はなんとかその場で耐えているようだが、ゼルとの距離はかなり狭まっていた。その気になれば、顔を覗き込めそうである。ゼルがもう一押し、と得物を振った時だった。
 痺れまで伴った衝撃が、ゼルの右手を襲った。剣を奪う動きではなかったため取り落としはしなかったものの、軽くつかんでいただけなら、剣は壁に打ち付けられていただろう。
 突然の反撃はゼルの身体だけでなく、思惑にも歯止めを与えた。そうだ、自分などが押し切れる相手のわけがない。彼は少し手を休ませていただけなんだ。どうやら今度は、おれが彼の剣をさばく側らしい。でも――
 腕の痺れが薄れてくると、それを待っていたかのように相手の猛攻が始まった。今までの動きが緩慢に見えてしまう。一歩どころか、ともすれば壁まで追い詰められそうな勢いである。
 しかし、ゼルはそうならなかった。いや、そうすることを無理やり禁じたのだ。剣を恐れてひけば、その分隙を作ることになる。そこを突かれ、またひく。隙ができる。叔父に幾度となく教え込まれたことだ。自ら攻撃をしやすい点をつくるなど、ゼルにとっては最も許せないことだった。
 そうは言っても、まだまだ未熟な青年が、腕の立つ剣士に敵うはずもない。下がるまいと床を踏んだ足は、徐々に壁へと吸い寄せられようとしている。ここは下がらなければ苦しいか。驚くほど滑らかな動きで、ゼルの手から剣が絡め取られたのは、ちょうどそんなことが頭をよぎった瞬間であった。
 喉元に突きつけられた剣に薙がれた空気が悲鳴を上げたが、それは模擬剣の落下音にかき消されていた。ゼルは剣を落とされた時の格好のまま、試験官の得物で縫い止められていた。
「そこまで」
 静寂を割ったのは、あの貴族の声だ。剣が下ろされると、緊張の糸が切れたのか、どっと疲労感が押し寄せてきた。思わず膝が折れ、目を伏せてしまう。試験の空気に耐えられなかった、と見られそうだったので、ゼルは傍らに落ちた剣を拾い、立ち上がることにした。呼吸を整えながら、彼らからしたら、こんなものごまかしにもならないだろうな、と苦笑した。無論、顔には出さなかったが。
「試験は終わりだ。ここを出たら右に行って、五つ目の部屋で待っていたまえ。前の者が入っていったと思うが、わかるね?」
「はい」
 返した剣が、立てかけてあった場所に戻されるのを眺めてから、ゼルは男を見上げて答えた。彼がうなずくのを見て、ゼルは自分の剣を取り、外套をかぶると、「失礼致します」と一礼して、無駄な音を立てぬように部屋を後にした。


「おもしろい子だね」
 机へ向かう歩みを止めたのは、くぐもった声だった。大柄な貴族は、その言葉の意味を問いただす。
「何がだい? さして腕があるとは思えなかったが」
 その質問のどこが面白かったのか、小さく鼻で笑った試験官は、口元に手をやった。布に隠されていた唇からこぼれた音は、明瞭なものに変化している。
「あなたが気付かないわけはないでしょう。今の子……ゼレセアンでしたっけ? わたしの反撃にひこうとしなかった。隙を与えるまいとしていたようでしたよ」
「確かにな。あそこまでひるまないやつも珍しい」
「だからおもしろい、と言ったんですよ」
 念を押すような言い草に、貴族は口の端を吊り上げた。まるで待ちわびていたものが現れたかのように。
「つまり、あいつのところへやれと?」
「あの方もさっきの子も、お互いどう出るか見ものですね」
「まったく、他人事だな」
「おや、わたしはあなたの心中を代弁したまでですよ」
「余計なお世話だ」
 喉を鳴らして笑った貴族は、机にたどり着くと、ペンを取り名簿の上を走らせた。


「やあ、ゼル!」
 デュレイが部屋に入ってきたのは、新兵達の山からエリオを見つけ出し、話が弾み出した頃だった。試験を終えて一安心したのか、今度の室内は待合室よりも大きな声で満たされている。
「どうだった、そっちは」
 エリオにも会釈を返して、デュレイは少し遠慮がちに聞いてきた。
作品名:狼の騎士 作家名:透水