狼の騎士
「でかいなんてもんじゃないよ。目が眩みそうだ……」
「大げさだなあ、ゼルは」
門を見上げながら、ゼルはデュレイに続いて城壁の中へ足を踏み入れた。べレンズに入ってから、わずかにデュレイが先導するような形になっていたのである。
「あれ、そういえば、今のとこには門番とかは?」
「門番が置かれるのは、戦争になった時ぐらいさ。あそこで人の出入りを制限するほど、べレンズは厳しくない。王宮の門にならいつでもいるよ」
城下町は、さらに込み合ったつくりになっていた。建物は横に伸び、高さも二階建てで済むものは見当たらない。一つの巨大な家にたくさんの人が住んでいるのは、宿に住み込んでるみたいだ、とゼルは思った。
外観の装飾に目を引かれるものもめずらしくなかった。太い通りの他にも細道がいくつも枝分かれしていたが、道は例外なく平らに舗装されていた。
「さて、ぼくらが泊まれる宿は……っと」
デュレイが懐から取り出した手紙を確認している時、ゼルは一つの建物に釘付けになっていた。
「よし、ここをまっすぐで……。王宮に近いんだな」
「デュレイ、あれは神殿ってやつかい?」
「うん? ああ、そうだよ」
肩を指先で叩かれ振り向いたデュレイは、それを見てすぐ肯定した。王宮には届かないにしろ、大きい部類に入るその建物は、広さもさることながら、天を突くような高さを持っていた。宮殿よりも豪華さはなかったが、それは単に、建造物がどれだけ光を跳ね返しているかどうかの点に限った場合の話である。
建物自体が彫刻であるような装飾の細密さ、光を内部に取り入れるための色のついたガラス窓などは、“尖塔を伴った質素な建物”と感じたゼルを、実はそんなことはないと考え直させるものだった。そしてなにより、この敷地の入り口には扉を持たない門があったのだが、動物や植物を形象したその荘厳さは、まるで異界との境目だった。
「キトルセン大神殿。国で一番大きな神殿さ。初代キトルセンが建立したものだからかなり古いけど、どうだいこのたたずまい。ぼくも数度来てるけど、いつも見とれてしまってるよ。エンデル神も、きっと満足されているだろうな」
ゼルはデュレイのその言葉に、受け流すように相づちを打っただけだった。そのつもりはなかったのだが、冷たく当たったようにとられただろうか。ゼルはふっと心配になり、デュレイの顔を覗き見たが、彼は気に障った風もなく、「さ、行こうか」と笑顔でゼルの歩みを促した。
十分ほど歩いたところで、デュレイは一軒の宿の前で足を止めた。一階の屋根に近い所に札が掛かっており、そこには『白鳥亭』と書かれていた。
「確か、ぼくらが王宮に召集されるまで宿泊できる、宿屋の一覧にあったとこだね」
「そうだよ。ちょっと馬を頼む。部屋が空いてるかどうか聞いてくるよ」
手綱を取り、宿に入っていくデュレイの背を見届けてから、ゼルは改めて街並みを見回した。時折通り過ぎる馬車は、やはり身分の高い人が乗っているのだろうか。相変わらず高さのある家屋のあいだから、そう遠くない場所にある神殿の先端が、半ば黒く染まって覗いていた。
「ゼル、お待たせ!」
ぼんやりと黒影を見ていたゼルは、跳ねるような友の声で即座に振り向いた。
「部屋が取れたよ。確認のために国王からの手紙を見せてくれって」
デュレイに続いて現れた男の手には、さっきまでデュレイが何度も目を落としていた便箋が握られていた。ゼルは裏手から回ってきた使用人に手綱を任せ、荷物をあさって手紙を取り出した。
「どうぞ」
男は渡された手紙にさっと目を通した。しばし凝視していたのは、末尾にあった国王の署名だろう。幾分か険しくなっていた目つきが緩んだかと思うと、男は顔をあげうなずいた。
「相違ございません。どうぞ、ごゆっくりくつろいで下さい。お手紙はお返し致します」
丁寧な手つきで返された手紙を、二人は軽く会釈して受け取った。男が開け放した扉を、デュレイが通る。ゼルは名残惜しげに尖塔を振り返り、友の後を追った。