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惑星の記憶

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「じゃあ、そろそろ行こうか」
 しばらくの後、ルージュは何とか歩けるまで回復した。
「本当に大丈夫か? 意外と強いな、お前」
「さっきの泉の治癒力が働いてるから。でも、魔術はもう使えないや」
二人は再び森を進み始めた。これからはずっと平坦な場所を歩いてゆけば、森からは出られる。 もう何も起こらないことを祈りつつ、足元を蔓に引っかけないように注意しながら、坦々と時間は過ぎていった。
『ああ、やっぱり母さんの言ったとおりだ』
 母親から馬車代を素直に受け取らなかったことを後悔しても遅い。アストリアはもうすぐだ。向こうに着いたら伯父さんの家でゆっくり休ませてもらおう――
 考えながら、ルージュは歩きつづけた。
 若干、森の中に差し込む光が増えてきた。そのおかげで、しかし、太陽が赤みを帯びていることが分かった。
「少し急いだ方がよくない?」
「しっ」
 ラルフは立ち止まり、音を立てるのを制止した。ルージュもそれに習い、息を殺して周囲の音をのがすまいと耳をそば立てた。
 ざっ、ざっ、と、小枝と落葉が踏まれる音が、一定のリズムを刻んで次第に近付いてくる。先程の狼とは違い、こちらに気配を感じられることに何ら関心のないような、むしろ、もしこちらがどんな周到な準備をしていようが全く問題ない。そういう気配だった。
 二人共、ただじっと立ち尽くしていた。今すぐにでもこの場所から逃げ出したかったが、それではこちらに隙が出てしまう。相手はこちらを全く警戒していない。相手に隙があるとすれば、その一点のみ。
 枯葉がざわめき、それはついに樹々の間から姿を現した。
『人間?』
 長い銀髪の青年だった。長身で、すらりとしていながらがっしりとした体格の、黒い礼服を着込んだ美しい剣士だった。
 彼が左手に持つのは、ほぼ自分の背丈と変わらぬ長さの、左右対称な両刃の大剣。蒼白く淡い輝きをはなつ刃と、豪奢な装飾の柄が、完璧な比率を保つ尖塔のようだった。
 二人が茫然としていると、彼の方から話し掛けてきた。
「もう一匹はお前が倒したのか?」
 彼の言った意味を理解できたのは、その剣に血が滴っているためだった。
 ルージュは自分のことだと気付いて、無言のままうなずいた。
「そうか。もうこの森に危険はない。行くがよい」
 そう言い残すと、彼は再び森の中へ消えていった。

「あの人がいなかったら、俺達今頃もう一匹の狼の餌だったな」
「うん」
 あの剣士は一体何者だったのか。森に定期的に入って猛獣を退治するレンジャーが、わざわざ陽が落ちる頃にいるはずもない。亡霊だったとでもいうのか―――?
『お前が倒したのか?』
 二人いたのに、"お前達"ではなく"お前"と呼んだ。魔術を使う所を見ていたのか? それにあの大剣。蒼白く光る巨大な刃。
「おい、何ボケーッと考えてんだ?」
 ラルフが呼びかける。ルージュははっとなって、周囲に目を向ける。もうすっかり日は没し、あたりは冷たい闇に閉ざされている。
「やっと着いたぞ」
 ラルフが木々の枝葉をかき分けて、外の景色を目の当たりにする。樹木がとぎれたその向こう側は、平らにせり出した岩肌がテーブルのように広がっていた。
「崖の上だ」
 まずルージュの目に飛びこんできたのは、星空だった。しかしいつもより星の数が少ない。
「来いよ、ルージュ。よく見えるぜ」
 ラルフはもう崖の端まで行っていた。
 ルージュも呼ばれて、まだ太陽放射の残る、妙に温かい岩の上を歩いた。
「うわぁ」
 ルージュは思わず歓声をあげた。星の煌きを減らしていたもの、それは崖下に広がる一面の街の灯だった。
 ヴァレンティスが十個くらい入ってしまいそうな規模だ。その中央にひときわ大きな建造物があった。アストリア王立魔法院"レティス・パレミア"。大理石をふんだんに使用した、聖堂のように豪華で荘厳な作り。中央の尖塔は、古くから魔術の聖地たるアストリアの象徴である。街に向かって崖の左側に、下り坂の斜面が続いている。ここから崖を降りて交易路と合流すれば、アストリアは目の前だ。
「さて、今日はここで野宿になるな。今からこの崖を降りるのは危険だ」
「お昼は向こうで食べられるといいなあ」
二人は岩の広場の真ん中に腰を下ろした。

「いやぁ、喰った喰った。お前って器用なんだな、魔術以外にも料理なんか……」
 焚火を前にしながらラルフが岩肌に寝転がった。
「大したことないよ。それに魔術は苦手なんだけど……」
 ルージュは焚火の炎を木の枝で小突いたりしながら、脚をかかえて座っている。
「そりゃ謙遜になってないだろ」
 そう言ってラルフは腕を枕がわりに組んだ。
「あの時は、力の加減がつかめなくて、体力全部使っちゃったし。本当の魔術師は、少ない魔力で最大の効果を狙うから、体力を使い果たしてあの程度じゃ大したことないんだ。それに、僕の専門は法術だから」
「法術か。それで料理とかも上手いのか?」
「え? ああ、確かに錬金術の実験みたいで楽しいから料理は好きだけど」
「俺は、剣が好きでな」
ラルフが話を切り出した。
「柄を握った時のあの、神経が刃先に集中するというか、緊張感があるというか――その、理屈じゃねぇんだ。俺の場合」
「いや、確かに法術は理論的だけど、自分の好みは直感だよ」
 ルージュは立ち上がり、背伸びしながら町の灯りを眺めた。
「あ、そう言えば、お前アストリアに何の用事なんだ? 旅してるとか言ってたな……」
 当然の疑問を、ラルフは今頃になって思い出した。
「ああ、旅ってゆうか……僕、来年からアカデミーに通うから、その準備も兼ねて伯父さんの家に下宿させてもらうから。それに―――」
「何っ、アカデミーってまさか、王立アカデミーか? 嘘だろおい」
 反射的に体を起こすラルフ。
「嘘じゃないって。ちゃんとヴァレンティスの地方学術院から推薦されて……ほら、入学承諾書!」
 リュックの中から、無くしていないことの確認も兼ねて取り出してみせた。
「あー、確かに」
 ラルフは四つ折にされた紙切れを仰ぎ見た。シンプルだが、うっすらと焚火に透かされて印章が確認できる。アストリア王立魔法アカデミーによる、偽造防止の法術が施されているのだ。
「あ、それと……」
言いかけて、ルージュは口をつぐんだ。
コンパスのことを話すべきだろうか。偽物かもしれないし、第一信じてもらえるか疑わしい。しかし、ラルフがどのような反応をするのか見てみたいとも思った。
 ルージュは再度リュックの中を探る。
「これ……何だか分かる?」
「答えは?」
「いや……」
「分からん」と馬鹿正直に答えるのが嫌らしい。
「それ、はじまりの指針かもしれないんだ」
 ラルフはそれを手にとって眺める。
「始まりの? 名前言われても分かんねぇな」
 中心の水晶玉のような球は、見えない反発力に閉じ込められているらしく、くるっ、と加速のかかった回転をしてみせたり、ばね計りのように揺れ動いたりする。
「僕もあんまり詳しく知らないけど、"神話"の中に出てくる聖地は知ってるよね?」
「ああ、"翠緑の空を映す古井戸(コンラス・ウェル)"か」
作品名:惑星の記憶 作家名:風代