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惑星の記憶

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 ルージュがヴァレンティスを発ったのは二ヶ月後のことだった。卒業後、彼はアストリアの王立アカデミーへ入学することになっていた。アストリアの魔法院へコンパスを持ち込み、調査を依頼したあと、伯父の経営する宿屋の一間を借り、下宿させてもらうという計画をしたためていた。
 ヴァレンティスからアストリアまで、ちょっとした旅である。
 こうして少年の旅は始まった。衣類や食料は出来るだけ軽装にして、革靴を新調し、初夏の温かな日差しと風に見合うゆったりとした服を着て、その上から、クラフト老人の店で購入したペンダントを下げた。十字をかたどっているが、4つとも長さが同じなので、磔のそれではない。白金の鎖に、本体は煙水晶。十字の交点に、八角形の宝珠が嵌め込まれている。
 少年の立っている場所。地図に当てはめると、北大陸西端の港町ヴァレンティスから北東に広がる平野。交易路がヴァレンティスから伸びて、平野を横切り、森に至る。彼がいるのは、ちょうどそのリラの森への入口、開拓村ドールズであった。
 森を切開いた一郭に、20~30程の家屋が点在している。人の背丈ほどの柵で、牛や鶏を囲っていた。あちこちに水路がめぐり、水車を回す音がゆっくりと時を刻んでいる。
「もう行くのか?こんな朝っぱらから」
 荷物を持って2階から降りてきたルージュを、宿屋の主人が呼び止めた。
「うん、アストリアまで。森を抜けるのは日中がいいからね」
 その何気ない言葉に、主人は異常に過敏になって言った。
「何だと、森に入るのか?だったらちょっと待て」
「なにか問題でも?」
 少年は少しおじけづいた。大人に大声を出されるのが、どうも苦手なのだ。
「いや、先日森に入ったやつが大怪我をして帰ってきてな。見たこともない獣に襲われたんだと。お前みたいなひょろっとしたやつが森に行くとなりゃ、見過ごすわけにはいかん」
「そうだったんですか。でもここで引き返すわけにも……」
「どうしてもってんなら、酒場に行ってみろ。傭兵みたいなことを請け負っているやつもいるはずさ」
「わかりました。じゃあ、これ宿代」
「気をつけていけよ」

『なんだか大変なことになったなぁ』
 少年は酒場の扉を押して入り、カウンターに座って店主に声をかけた。
「いらっしゃい。旅人かい?」
「ええ。森が物騒だそうで、同行してくれる人を探しに」
「そうか、それならここへ来て正解だな。――おい、仕事だ。護衛を探してるらしいんだが」
 野太い店主の声が響き渡ると、店内の喧騒が静まった。
「俺が行こう」
 名乗りを上げたのは中肉中背の茶髪の青年だった。長い剣を背負っている。
「ラルフか。おまえならしっかりやれるだろう」
「あ、じゃあ今からでいいですか?」
「ああ、報酬は終わってからでいいよ。名前…教えてくれるかな? ってか敬語とかよしてくれ」
「僕はルージュ。昨日、ヴァレンティスを出たんだ。16歳だよ」
「ルージュか。俺はラルフ。ラルフ=シュリオックだ。ふーん、2歳年下なんだ」
「じゃあ、決まりだな。紹介料として2人共何か飲んでいってくれ」
 マスターが口を挟んだ。
「あ、いいって。俺が2人分払うって。かわいいしな」
「――え?」
「またいつでも呼んでくれ。君だったら特別に半額で、いや只でもいい」
「僕は男だってば!」
 ルージュは顔を紅潮させた。
「え!?あ、いやすまん。てっきり女の子かと」
「まぁ、よく言われるんだけどね。本気で間違われることは滅多にないけど」
「じゃあ、酒おごるの無しな」
 皮肉っぽくラルフが言った。
「いや、さっきの態度に対して払ってもらう」
 ルージュも意外とその辺はクールに返す。
「ハハハ、お前ら面白れぇ。気に入ったぞ」
 テーブルの方から笑い声が響いてくる。

 村の奥の方へ進むと、そのまま森の中へ通じていた。最初は靴の轍が道しるべになっていたが、一面、樹の幹にまで苔が覆うような深い森に入るにつれ、それも消えてしまった。
『これは獣が出なくても同伴者が要るなぁ』
 ラルフにはまだ轍が見えるのではないかと思えるほど、彼は迷わずに先導する。彼はこのあたりから一切口を開かなくなった。周囲の気配に神経を集中させているためだ。ルージュの方も、できるだけ自分で身を守ろうと、心に決めていた。
 それからかなり歩いた。時間もだいぶ経っているだろうが、緑の天井のせいで光が拡散し、太陽がどこにあるのかもよく分からない。すると、木漏れ日を受けてひときわ地面が光り輝いている場所があるのに気づいた。ルージュがそれを見つけたのと同時に、
「よし、中間地点だ。見ろ、"レーミの泉"だ」
とラルフが安堵の声を上げた。
 泉に近付いてゆくと、限りなく透明な丸いガラス玉をちりばめたような音色が、森のざわめきと共鳴していた。
「何? この音」
「これが、リラの森たる由縁だ」
 水際まで近付いてみると、水面には優雅に堅琴(リラ)を弾く妖精の姿が映し出されていた。淡いピンク色の羽毛を身にまとい、少年とも少女ともとれない顔に、羽と同じ色の髪をもっている。背中には、虹色の透きとおった翅が生えていた。
『よく来られました。人間のあなた方には感じとれますか? 世界を包むこの釈然としない違和感を』
「この森に、見かけない獣が現れるようになったというのは本当か?」
 ラルフが率直に訊いた。
『定かではありませんが、恐れるべきはその獣ではなく、それをこの地へ呼んだ者――』
「誰かが連れてきたってか? 誰なんだ、そいつは?」
『残念ながらそこまでは分かりませんが、樹や草たちはそう言っておりますよ』
「……そうか、ありがとよ」
『森は泉を生み、泉は森を育む。森の枯れる時、泉もまた涸れるのです――』
 妖精はそう言うと、ゆっくりと水面から姿を消した。泉は水底まで見えるようになった。
「そりゃあ、そうだろうな。おいルージュ、水を飲もう。喉が渇いた」
「妖精って初めて見たよ。言葉通じるんだねぇ」
 両手で水をすくい、二人して飲み続けた。

 二人を標的と見定めたその獣は、自身の気配を悟らせる気など毛頭なかった。それは人の背丈の倍近い体長をもつ狼だった。茂みの中から碧い双眸が、殺気を帯びた輝きを放っている。瞳孔が収縮し、ルージュ達に像を結んだその瞬間――
「!」
 殆ど音も立てずに、狼はラルフの方に飛びかかってゆく。だがラルフは間一髪で、最初の牙の一撃はかろうじて逃れた。この一瞬の反応がわずかでも遅れていたなら、二人共死んでいただろう。
 二人は体制を立て直し、自分達を突然に攻撃した者を直視した。すらりとした無駄のない体型。白銀に輝く美しい毛並は、刃物のようだった。
 二人とも咄嗟に、反撃の体制に入る。ラルフは鞘から大剣を抜き、ルージュは胸元のペンダントを握りしめた。
「おい、ルージュ!」
 ここで始めて声を上げた。落ち着きをとり戻した証拠でもある。
「俺が引きつけている間に逃げろ! 早く!」
 ラルフは狼の視線を自分に集中させることに成功している。狼が少しでも目を逸らせば、いつでも心臓を刺突できる間合いに常に入っているのだ。
作品名:惑星の記憶 作家名:風代