海の桜
今思っても、どうしてそんなことが言えたのか不思議だった。けれどわたしは鞄を持って勢いよく立ち上がると、彼にそう言っていた。
「これからわたしの部屋に来ない?」
そして、わたしたちは狭いシングルベッドの上で初めて寝た。
その時作ったアルバムで、彼はインディーズながら幅広く高い評価を得た。様々な注目とともに、ライブでも大勢の客を集めるようになった。わたしは小さな商社に何とか潜り込んで、始まった社会生活の波におろおろと弄ばれていた。そんな中、彼がわたしの部屋に転がり込んできた。わたしはそれに対して何も思わなかった。それはごくごく自然なことだったからだ。すでに彼はわたしにとってあって普通のものになっていた。
彼と一緒にいると、いかに彼が音楽というものに憑かれているかがわかった。彼はもはや音楽そのものだった。家の中ではほとんどギターを手放さなかったし、常に自分で作った曲を口ずさんでいた。彼は所構わず唄い、目はいつも宙に浮かぶ音符を探し求めていた。わたしを抱いている時でさえ、彼には音楽が聴こえているようだった。わたしは次第に本当の意味で彼に愛してもらうことはできないだろうと思うようになった。けれど、それでもよかった。わたしにとって重要なのは、彼に愛してもらうことではなく、彼のそばにいることだった。
彼はその後、一枚のシングルをインディーズで出してからとあるメジャーレーベルと契約した。それほど大きなレーベルではなかったが、彼は「人が気に入った」と言っていた。それから一年とかからず、気が付くと彼は舞台の一番高いところにいた。
メジャーデビュー後、二枚目のシングルが五十万枚を売り上げ、彼の音楽は人々の耳に染み込んでいった。街で耳にすることも珍しくなくなり、スーパーではBGM用にアレンジされて流された。彼は顔でこそ平静を装っていたが、明らかに周囲の状況に戸惑いを覚えていた。ある夜、汗の滲むベッドの上で彼はぽつりと漏らした。
「たくさんの人に聴いてもらえてるっていうのは嬉しいけど、ときどき俺の曲じゃねえんじゃねえかって気がする」
「大丈夫。みんなの中で鳴ってるのは確かにあなたの曲だし、唄ってるのもあなただから」
彼の気持ちはよくわかった。彼の曲はあまりにも増えすぎていた。勝手に増やされ、各々が一人で歩き回っているような感じがした。それでも、彼はそれを悲しんでばかりいるわけではなかった。ライブではリスナーとの間に確かなつながりを感じることが出来たし、そういった経験が彼の音楽をさらに開いたものにしていった。
彼はコンスタントに楽曲を発表し続け、その度に話題になった。けれど、近くにいるわたしはその生みの苦しみを痛いほど目の当たりにしていた。机の前でギターを抱え、鉛筆を持って紙に向かったまま一日中じっとしているということもざらだった。もちろん、じっとしているというのはわたしから見た彼であって、彼の中では曲との激しい闘いが繰り広げられているはずだった。
「曲は簡単にできるんだ」と彼は言った。「ギター持って音で遊んでればいくらだって出来る。それはそんなに難しいことじゃない。問題は何を唄うかなんだ。俺が時間かかんのはいつもそこなんだよ」
そんなとき、わたしは彼の邪魔にならないよう静かにしていることしかできなかった。彼は相変わらず完成するまで歌詞を見せようとはしなかった。彼は歌詞ができるとまずバンドのメンバーに見せた。わたしが見せてもらえるのはいつもその後だった。最初の頃は嫉妬を覚えるようなこともあったけれど、それももうなくなった。確かにわたしの目の前で彼の音楽は生まれているのだから、それ以上の幸せはなかった。それに、どれだけ彼の音楽が評価されてもわたしにとって重要なのはあくまで彼自身だった。
デビューして五年が経った頃から、彼の様子が変わり始めた。彼のバンドは二枚のアルバムを出し、熱狂的な支持のもと大きなツアーを終えたところだった。彼は空っぽな状態のまま、家に引きこもっていた。そして、彼は荒れるようになった。もともと感情的なところがあったが、音楽があったおかげでそれを原動力に曲を生み出し、同時に消化していた。けれど、変わらず音楽を奏でているにも関わらず彼は荒れ続けた。わたしに暴力こそ振るわなかったが、家の中にあるものを壊し、突然家から出て行ったかと思えばそれから一週間以上帰って来ないということもあった。わたしはそんな彼の変化に不安を覚えずにはいられなかった。
唯一の救いは、それでも彼が唄い続けていることだった。以前のような軽さや無邪気さのようなものは消えてどこか重々しい雰囲気に覆われていたが、それでも彼は唄い続けていた。けれど不思議なことに、彼が荒れれば荒れるほど、生まれる曲たちはそれまでにない優しさに満ちていた。
結局、それから一枚のアルバムを出したのちにバンドは解散した。唐突な解散で、世間の誰もが驚いてた。わたしも彼の口から聞いたときは驚いたが、どこか納得できるところはあった。それに、わたしは彼がバンドを辞めても唄い続けることを確信していた。
しかし、彼は唄わなかった。気が付くと、家の中から一切の楽器が消えていた。彼が持っていた何本かのギターや民族楽器、いつもポケットに入れていたハーモニカもなくなっていた。彼の唄声も聴こえなくなり、彼の周りから音楽が消えた。
「ねえ、どうして唄わないの?」
わたしは問いただした。彼はわたしの顔を見ずに答えた。
「俺の唄が唄えなくなったから」と彼は言った。「そうなったらもう唄う意味なんてねえよ」
「でも、いろんな人があなたの唄を聴きたがってるのよ。それは無責任なんじゃないの?」
正直に言えば、わたしはそんなこと全然思っていなかった。彼のファンのことなど、わたしにはどうでもいいことだった。それはただ、彼に言及するための道具でしかなかった。
「自分のために唄えなくなったんだ」けれど、彼は言った。「自分のために唄わずに他人のためにいやいや唄ってる曲を誰が聴きたがる?今までの俺の曲を聴いてくれた人たちにそんな曲押し付ける方が、よっぽど無責任だろうが」
わたしはそれ以上何も言えなかった。わたしはショックを受けていた。自分のために唄えなくなったという彼の言葉に、ひどくうろたえた。何とかしたいと思ったけれど、どうすればいいのかわからなかった。彼が曲作りで苦しんでいるときとは違った無力感に打ちひしがれた。
けれど、やはり彼は完全に音楽と縁を切ることが出来ないようだった。わたしは知っていた。食事をするとき、テーブルの下で彼の指がひそかに音符を探していることを。わたしが風呂やトイレに入っている時、こっそりと唄っていることを。彼は時々、何も言わずにふらりと家を出て行くことがあった。初めてその後をつけたとき、わたしは驚いた。彼は友人からギターを借りて、駅前で唄っていた。帽子を目深にかぶり、声の限り叫ぶように唄っていた。それは叫び以外の何物でもなかった。気付けば彼の周りで多くの人が足を止めていた。何人かは彼に気付いた。けれど、彼は決して自分の曲は唄わなかった。