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紳士は恋で作られる

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「ご覧になりますか?」
 そう言えば、髪をかけるのって右側ばかりだわ。
「え?!」
「嘘ですよ。馬鹿なことを言ってないで行きましょう」
 イーニアスの悪戯っぽい笑顔なんて初めて見たわ。なんだ、ジョークなのね。アンディと違ってそんなこと言うタイプに見えないから、真に迫ってたじゃないのよ。冗談も言うんだ、意外な一面見たって感じ。いつもは大人びて見えるけど、ああ言う風に笑うとアンディと同じ年なんだってこと、思い出すわね。
 今日の予定は美容院ばかりじゃなくって、テーラーとシューズ・ブティックと紳士用品の店にも寄ることになっているの。週末のホーム・パーティーにアンディが着るスーツや靴、タイやチーフなんかを受け取りに行くんだけど、オーダーだったり一点物だったりなのよ。ブレイズ・ヘアとはやっぱりミスマッチよね――まあ、それはそれでおしゃれでカッコいいと思うけど。
 それにしてもたかがホーム・パーティーで着けるにしちゃ高価なこと。全部合わせたらいくらになるのか、一般庶亀な私としてはつい考えちゃう。お貴族様となると違うわね。
 全部の用事を済ませたら、小っちゃい車の後部座席は一杯になったわ。
「少しお待ちください。すぐ戻ります」
 後は帰るだけってなった時、イーニアスは車を降りてしばらく帰って来なかった。しばらくって言っても十分もかかってなかったけど。
 イーニアスったら、どこへ行ってたと思う? 彼が持って帰ってきたものを見て、もうびっくりよ。ニューヨークじゃ見慣れたロゴの紙袋。ぷーんと食欲をそそる良い匂い。このとってもアメリカナイズされた匂いは、バーガー&ポテト! この国にもこの店、あったんだ。さすがマック。イーニアスはその紙袋をアンディに手渡したの。アンディもさすがに驚いた顔してる。
「叫ぶくらい食べたかったのでしょう?」
「覚えてたのか」
 アンディ、ちょっと嬉しそうじゃないの? ああ、でもほら、すぐに開けたりしたらイーニアスが。
「召し上がるのは帰ってからになさってください。はしたないですから」
思った通り、突っ込まれたじゃないの。
「帰った頃には冷めちまう。それにこう言うのは、あんなお屋敷で食ったって雰囲気出ねぇし」
「せめて、ここではおやめください。もう少し行ったところに公園がありますから」
 公園に寄り道するの? イーニアスが折れるなんて珍しいこと。ずっとお屋敷に閉じ込められているアンディを気の毒に思ったのかしら。私も嬉しい。だって、お供したけど今日はまだ車から出してもらえてないんですもの。
 小さい国だから、市街地からすぐに湖なの。そんなに大きくない湖だけど、遠くにアルプスも見えてすっごく景色がいいのよ。
 公園の入り口に出てたカフェのワゴンでドリンク買って、やっと私も外に出してもらえたわ。迷子にならないようにしなきゃね、ここはお屋敷じゃないし、帰れなくなっちゃうもの。
 湖畔の公園って素敵。何だかデートみたいじゃない? ハンバーガーは一人分なんだけど、ポテトは二人で分け合って食べてるの。イーニアスはお付き合い程度だけど。「ブレイズのアンディ」に高いオーダーメイド・スーツが似合わないように、イーニアスにはアメリカナイズされたものって似合わないわねぇ。
 用事も済ませてあるし、公園にきているせいかしら、イーニアスの表情もいつもと違って柔らかく見えるわ。
 言葉使いのレッスンも、一時休戦。学生らしく、お互いの専攻の話とか、大学の話とかしてる。そうなのよね、イーニアスも大学生だった。きっと優秀なんだろうなぁ。イーニアスって学生してる時もこんなにきれいな言葉で喋ってんのかしら。この国ってフランス語圏だから、フランス語じゃ若者言葉なのかな。
「普段もそんな言葉遣いしてんのかよ?」
 やっぱりアンディだって気になるわよね。
「まさか。あなたの前だけですよ。正しい言葉遣いをマスターして頂くためです。言葉だけではなく、正しいマナーや態度であなたに接することが、祖父から与えられた僕の仕事です」
「今は屋敷でもねぇし、二人きりだぜ?」
「場所は関係ありません。同じ空間に存在するかぎり、あなたは次期ソールズベリ伯爵であり、私はその執事です」
「じゃあ、今も勤務中ってわけか」
「そうです」
 せっかく良い雰囲気にだったのに、少々雲行きが怪しくなってきたわ。イーニアスの答えを聞いてアンディは黙っちゃうし、イーニアスは表情変えないで湖の方を見ているし。時間だけがどんどん経っていく感じ。
 アンディはとっくにハンバーガーを食べ終わっているんだけど、いつものイーニアスなら「さっさと帰りますよ」って催促しそうなものなのに、何も言わないの。会話がないのって息が詰まると思うのに、二人とも気にしてないみたい。私が息苦しくなっちゃう。
「そろそ…」
 イーニアスは「そろそろ」って言いかけたと思うのよね。それを遮るようにアンディが言ったことは。
「おまえさ、俺のこと、好きだろ?」
 言うに事欠いてストレート過ぎやしませんか?! そりゃ私だって聞きたいけど。
 ええっと、イーニアスはと言えば、ちょっと右眉が上がっている程度ね。「何を言ってんだ、こいつ」って表情に見えなくもないわ。
「好き嫌いを言っていては、お仕えすることは出来ません」
 受け答えも冷静。でも私、思わず見ちゃったわ、イーニアスの耳たぶ。ほんのり赤くなり始めてる。
「さあ、そろそろ戻りましょう。ずい分と遅くなってしまいました。ティー・タイムには戻ると言って出ましたのに。あっ!」
 イーニアスの、普段出さない驚いたような声。私もびっくり。だってアンディったら、右耳にかけた髪を下ろそうとするイーニアスの手を、いきなり掴むんですもの。ベンチが揺れて、私、落ちちゃったじゃないのよ。
「何をなさるんです?」
「びっくりしただろ? 取り澄ました顔してっから、脅かしてみた」
「馬鹿なことを。アレクサンダーがびっくりして、ひっくり返ってしまいましたよ」
 私を抱き上げてくれる白い手はイーニアスね。ありがと。
 ひどいわ、アンディ。ひっくり返ってたおかげで、今、二人がどんな顔をしていたか見えなかったわ。
「僕は車を回して来ます。あなたはその散らかしたものを片付けてからいらしてください」
 私だけじゃなく、飲み食いした残骸もベンチから落ちたの。本当なら片づけを主人であるアンディにさせないはずのイーニアスなのに、さっさと行っちゃったわ。お仕置きのつもりなのよ。子供みたいな叱られ方されて、カッコ悪いわよ、アンディ。
「耳、赤かったな」
 耳? イーニアスの?
 イーニアスって耳が隠れるくらい髪が長いのよね。さっきだって、かけている方の髪を下ろしたら、耳が見えなくなるとこだった。もしかして、彼の手を掴んだのって耳をみるためだったの?
「あいつ、嘘ついたり誤魔化したりする時、耳たぶが赤くなるんだぜ。知ってたか、アレックス?」
 確信してたわけじゃないけど、知ってたわよ。だってこの前、アンディのシャツにキスした時も赤かったもの。もっともあの時は顔も真っ赤だったけどね。でもアンディも気づいてたってわけかぁ。嬉しそうな顔しちゃって。何だかこの先の展開が、わくわくしない?

作品名:紳士は恋で作られる 作家名:紙森けい