紳士は恋で作られる
(7・完)
早いものねぇ。実はあの『ガゼボの夜』から十五年が経っているの。
あの二人は健在よ。
アンディは結局、次の年の冬に急きょ、伯爵を継いだわ。おじいちゃんが倒れて、寝たきりになってしまったのよ。
アンディがアメリカの大学を卒業して、イギリスのオクスフォード大学の院に入ると同時に社交界にデビューしたら、それで安心して気が緩んだみたいなの。まぁ、かなり高齢だったのだけど。
アンディは大変だったわ。事業のこととか、本国の伯爵家のこととか、おじいちゃんから教えてもらうことってまだまだあったし、アンディの強い後ろ盾でもあったもの。ほら、アンディを後継にすることを喜んでいた人ばかりじゃなかったから。
もう「嫌だ」とか、「継がない」とか言っていられなくって、寝る間あるのかしらって思ったくらい忙しかったのよ。
もちろん、おじいちゃんも色々考えてくれていたらしくって、倒れてすぐにアンディを支える『チーム・アンドリュー』みたいなブレイン・チームが結成されてね、本国の方のメンバーには勿論イーニアスも入っていたわ。イーニアスは元々優秀だったし、彼のおじいちゃんのランプリングさんがついていたから、本国の方は何の心配もなかった。
それから三年ほどして、アンディのおじいちゃんは亡くなったの。八十三才だったから、早すぎるってほどではないわね。
で、アンディは正式に何代目かのソールズベリ伯爵アンドリュー・ギルバート・ローズになって、イーニアスも執事に就いて今に至る…よ。
私? 私はアンディがオクスフォードに入る時、一緒について行ったのだけど、すぐ彼が大忙しになっちゃったでしょ。それで本国のソールズベリ家のあの屋敷で飼われることになったの。
専属のお世話係がいるのよ。なんと、イーニアス。事実上、伯爵家を取り仕切っている一番偉い人が、私のお世話係。すごいでしょう? おかげで正しい発音、バッチリよ。あら、失礼。「バッチリ」はダメね。
庭に植物園みたいに大きなケージを作ってくれて、そこで生活しているの。以前みたいにあちこち歩き回れないけど仕方ないわ。イーニアスはとっても忙しいのですもの。それに彼はもともと「ケージにいれておけ」派だから。
でもいいの。充分に広いケージだし、イーニアスも日に一度来て、午後のお茶の時間とかには外に連れ出してくれるから、閉じ込められ感はないわ。
「アレックス」
ほら、イーニアスが来たわ。前は彼、「アレクサンダー」って私を呼んでいたのだけど、メスだとわかって、愛称だった「アレックス」が正式名になったので、そっちで呼ぶようになったわ。
この国の六月はね、一年で一番、気持ちの良い月なの。風は爽やかだし、木々の緑はとても瑞々しくてきれいだし、花の数も他の季節にくらべて格段に多いわ。この季節になると、イーニアスは私を木立の方に連れて出てくれるの。彼用のお茶の携帯ポットと菓子、私の飲み水が入った水筒をバスケットに入れてね。シートを敷いて、ちょっとしたピクニック気分よ。二人で小一時間くらい過ごすの。
「あまり遠くへ行ってはダメだよ」
大丈夫。イーニアスから半径二メートル以内って決めているから。
イーニアスは今もとても素敵よ。若い時の方が、それは息を呑むくらいきれいだったけど、渋みが加わって知的さ加減は倍増したわね。自分をコントロール出来るようになったのか、もう耳は隠さなくなったわ。
そうね、お客様の相手をしている時は別として、普段はあまり笑わなくなったかも。他の使用人からは陰で「鉄面皮」って呼ばれているみたい。でも私の前では表情は柔らかいわよ。こうしてうたた寝している姿を見せてくれるし、持って来た本がつまらなかったらあくびもするわ。役得でしょ、私?
え? アンディとイーニアスは、その後どうなっているのかって?
恋愛云々のことを言っているなら、あれっきりよ。アンディは主にロンドンか、ママや友達のいるニューヨークを行ったり来たりで、こっちには年に一、二度、よほど大事な行事の時くらいしか戻らないの。来てもね、イーニアスとはすごくビジネス・ドライ。二人きりになることもないし、同席してもあくまでも主人と執事なの。イーニアスは忙しさを理由にして、個人的に話をすることは絶対ない徹底ぶりよ。主人と使用人ですものね、他の人から見たら何の不自然さもないと思うわ。私はこうなる前の二人や、彼らの間にあった恋にならない恋を知っているから、違和感があるだけなのよね。
周りは二人がどうのこうのと言うより、それぞれが独身ってことに関心があるみたい。特にアンディは伯爵である以上、結婚して後継者を残すことは必須事項ですもの。こっちに戻って来た時は、たいていあちこちのパーティーに顔を出すから、売り込み攻勢がすごいの。きっとロンドンやニューヨークでもそうなのでしょうね。アンディは「まだまだ若輩だから」とか言ってかわしているみたいなのだけど、三十も後半になってくると、いつまでその理由が通用するか。次のクリスマスやニューイヤー・パーティーは大変なことになるのじゃないかしら。
イーニアスは独身主義だって公言しているし、執事は世襲じゃないから、アンディほどに周りはうるさくないのよね。彼が誰かの物になるくらいなら独身の方が良いって思う人が、男女関係なく多いみたい。ゲイだって知られているわけじゃないけど、こんなイイ男が独身主義だなんて言うものだから、そのケのある人は期待を込めて憶測してしまうのでしょうよ。
アンディとイーニアスの二人が、互いにどう思っているのかって聞かれたら、「わからない」って答えるしかないわね。何しろあれから十五年経っているし、二人が顔を合わせるのは年に数度もないわけでしょう。少なくとも、表面上はあれっきりって感じ。
アンディなんか適当に遊んでいるみたいなのよね。変なところに出入りしてゴシップになったら困るから、主にニューヨークの昔なじみとか相手にしているようなのだけど。
イーニアスはどうだったかしら。恋愛感情があるかどうかは別として、新しくシェフになったジャン・ポールとは仲がいいわ。前のシェフが引退してジャン・ポール・ディティエが入ってきたのだけど、高校時代のクラスメートなんですって。偶然――だかどうだか、どうも怪しいのよね。イーニアスは全然なんだけど、ジャン・ポールはあきらかにイーニアスに気があるわ。だからソールズベリ家の執事が彼だって知って、応募したのではないかと思うの。じゃないと、約束されたパリの三ツ星レストランの料理長の座を捨てて、一個人のキッチンを選ぶかしら。
イーニアス、本当のところはどうなの? この十五年、あなたには浮いた話が一つもなかったわ。アンディは寝る間を惜しまなきゃならなかったけど、イーニアスも忙しかった。いつも気を張って、休みの日だって必要ないかぎり出かけないし、まるで修道院の中のような生活。
「どうしたんだい、アレックス? もう帰りたいのかい?」
違うわ。あなたを見ていただけよ、イーニアス。
頭も顔も良くって、一歩外に出れば無敵だと思うのに。そりゃ伯爵家で一番偉い仕事をしているわけだけど、果たしてそれが幸せなの?
ねえ、
「イーニアス」