海竜王 約束を
「まあ、まるで商品ではありませんか。」
「でも、俺は、『返品不可』と、きみに言い置いたはずだ。立派な『商品』さ。」
まあ、この夫婦に関しては、実際は、『拉致』『ナンパ』が相応しい顛末ではある。なにせ、華梨が一目惚れして、唐突に拉致したことには違いないのだ。そして、実際の主人の性格も、鷹揚だけど、怒ると手がつけられないという厄介な性格である。太子時代から、その性質を、とことんまで見せ付けられている相国や、丞相辺りだと、「そんな可愛らしい性格じゃない。」ということも、叩き込まれている。だが、これを読むのは後世の主人や、その臣下であるのだ。体裁を取り繕いたいと思うのは、普通だと、相国は思う。
「それを、そのまま記載すれば、あなた様方の品格が一気に下降します。」
「俺には品格とはいうものは、元からないよ、孤雲さん。」
からからと主人殿は笑っている。
「これでは薄幸の少年じゃないか。俺、幸せな生活してたぞ。」と、大笑いしている。
「おまえの幸せの基準というものは、そもそも論外だ。だが、孤雲よ。確かに、それは作りすぎだ。そんなに可愛い性格じゃないぞ、うちの末弟と妹は。」
それを読んで盛大に噴出した竜族の長も、主人であり、自分の末弟である深雪の言葉に同意した。そんな生易しいものではなかったのは、実際に手伝った長が一番よく知っている。
「あーねー、俺、一兄に殺されてるしさ。」
「ああ、殺したなあ。おまえ、本当に天邪鬼だったからな。」
からからと二人して言い合っているが、聞いている相国は顔色が変わる。経緯は聞いているが、それを朗らかに語っているというところが、只者じゃない。夢の中で、ふたりは対峙して、わざと深雪は殺されたらしい。
「その潔さに、さらに私は想いが深くなりましたわ。」
「……変わった趣味だと思うよ、華梨。」
「お褒め頂いて光栄です、背の君。」
いや、褒めてないから、と、深雪のほうは困って手を振っているが、「そういうことにしておけ。」と、長兄に笑われている。
あなたたちの過去というか、この結婚は、どんなことになってるんだか……と、相国は苦笑するしかない。
「深雪の場合、元々、人間界に居た時から、特殊なんだ。そこを端折ってしまうというなら、ごく普通に、『求婚して、連れ戻った』程度の序章にするほうがよい。」
「しかし、それでは主人殿の神秘性とか品格が表現できません。できますれば、伝説の如くが相応しいのですよ、長。」
「それなら、完全に現実は無視する方向がいい。こいつの場合、そこから成人するまで、いろいろと逸話が多すぎる。」
「一兄と喧嘩したやつとか?」
「それは禁句だ、深雪。」
「兄上が、背の君を鴨居にぶつけたとか?」
「それは逸話じゃないだろ、華梨。」
「えっ? そんなこと、あったっけ?」
「はい、背の君にたんこぶをお作りになられて逃走されたのです。」
長と主人夫婦は、仲良く、昔話をしているのだが、収拾がつかないので、相国が遮る。人間界に居た時分のことは、崑崙か冥界へでも問い合わせれば判明するが、こちらに来てからのことは、全て記録されているわけではないので、それらを聞き取り調査することになる。これが二百年に及ぶとなると、資料も膨大であるし、ちょっと書けない逸話もある。在位してからは、記録されていると言っても、それだけでは不足するのも事実だ。
「それでは、お一人ずつに、逸話をお尋ねして行くべきですか? 」
「在位前のことは、先代と華梨に尋ねればよかろう。当人には聞いても無駄だぞ、孤雲。深雪の記憶力は果てしなく悪いからな。」
「というか、俺、子供の頃のことなんて覚えてないよ。」
子供の頃は、驚きの連続であったので、深雪の脳には記憶されていないことが多いらしい。
「はい、それは承知しております。……わかりました。聞き取りをしてやり直しいたします。ついては、長、華梨様、その辺りを、ただいまからお話くださいますか?」
「私が?」
「はい、先代様のところへは後日、参りますので、本日は、長にお願いいたしたく……」
「だが、私は、あまり詳しくはないぞ。こいつの世話をしていたのは、僅かのことだ。」
「いえ、そうでもないでしょう。仲卿様からお聞きすると、一番の末弟バカは、長とのことでしたから。」
先日、登城してきた紅竜王に、歴史の編纂についての世間話をしていたら、「ならば、兄上に尋ねるといい。あの人が、一番、深雪のことを可愛がっていたからな。」と、大笑いしていたのだ。
「ほほほほ……確かに、背の君がお小さい頃の兄上は、『背の君バカ』でしたわ。泣けばあやして、退屈していれば散歩して、熱を出せば付き添っておられましたもの。」
自分の過去の所業なんてものを暴露されると、居心地はすこぶる悪い。「すまないが、接見を忘れていた」と、早々に立ち上がり逃げ出してしまった。
「孤雲さん、適当でいいよ。」
それを眺めながら、主人殿は静かに、そう命じる。
「ですが、主人殿。」
「誰も、俺のことなんて知らなくていいんだ。在位して、それからのことについては、正しく記してもらいたいけどね。できれば、人間だった頃のことはやめてほしい。……たぶん、俺の人間だった頃の幸せなんて理解できないよ。確かに、華梨ではないけど、毎日、花を枕元に届けてもらっていた。だけど、それは、同情ではないんだ。あれは、生きていろというメッセージだったからね。でも、記すと、俺は同情されて生きていたみたいでイヤなんだ。」
床に臥していれば、保護者や知り合いが、いろんなものを枕元に届けてくれた。それは、外へ出られなくて可哀想だから、という理由ではなく、本物が見たければ起き上がれ、という励ましだった。実際、寝込んでいても季節ごとの花を、抱き上げて見せられていた。生きているのだということを、その季節を、その身に感じさせるために、だ。たくさんの花が庭には植えられていた。両親が、季節ごとに楽しめるように、と配慮してくれたからだ。それらは、竜になった自分のことではない。人間だった自分のことで、それはすでに消えてしまった。懐かしむことはあるが、それは既に、全てが費えた。自分の心にだけ残っていればいい。
「では、『一目惚れして、求婚した』ぐらいのところで、よろしいのですか?」
「うん、その程度の内容にしてくれないか。人間だった頃のことは、つらつらと記録されるのは困る。できれば、水晶宮の主人として、どのくらいの業績が遺せたか、ということに重点が置かれているほうがいい。その時々の対処を過去の記録として、未来の主人たちが活用するほうがいいんじゃないかな? どう思う、華梨?」
「背の君が御高察されるがままに。」
「では、そういうことで。」
「承知しました。では、竜にお成りあそばしてから成人されるまでも、『適当』ということですね。」
「うん、それでいい。」
当代の主人は、風変わりな人物である。広い視野と、深い度量を持ち、とても優しい性格だ。ただ、人間だった時のことは、あまり語ろうとはしない。たまに、人間だった時の思い出を懐かしく、口の端に載せることはしても、どんなことがあったかまでは、まったく語らないのだ。