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海竜王 約束を

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ちらほらと白いものが空から舞い降りて、辺り一面が、その白いものに染まる季節。静かな音のない季節です。

「閉じ込められたら、春まで逢えなくなるね。」

 その白いものが舞う海の岸辺に、ひっそりと、ふたりは立っていました。

「いいえ、そんなことはありませんけど、あなたがお風邪を召されるのは、いやなので、お会いしないようにいたします。」
「なら、また、呼べば来てくれる?」
「もちろんです。けれど……あなたが……」

 きっと、この人は風邪をひくのです。自分を呼んで、おしゃべりすれば、寒さで身体を冷やしてしまうでしょう。

「コートとマフラーと手袋は、きっちりとつけるから大丈夫。きみこそ、風邪は?」
「私はひきません。」
「なら、また、呼ぶよ。」
「はい、お待ち申し上げております。」

 その海は、とても深くて、一匹の龍が住んでいます。ひょんなことから、友達になった少年は、その龍と、いつもお話をしていました。龍は、とても大きくて綺麗な黄金色の鱗に覆われています。けれど、その少年の前に出る時は、いつも、同じくらいの少女の姿をしていました。

「ちゃんとお薬を飲まなければいけませんよ。」
「きみまで言うな。聞き飽きた。」

 少年は身体が弱いので、学校には行けませんでした。だから、こんな静かなところに暮らしているのです。本当は龍は長生きなので、少年の何倍も何十倍も生きています。けれど、その少年と話していると、とても幼い頃のように甘えられるのです。

「さあ、そろそろお帰りなさい。」
「…うん……じゃあ、また。」




 







 けれど、少年は、それから一度も呼んでくれなくて、龍は心配しつつ冬を越しました。一面、真っ白なものに埋め尽くされた世界は、とても静かで綺麗でしたが、人間が歩くには不便でしたから。だから、少年が通えないのだろうと、思いました。

 桜がちらほらと咲く頃、そろそろ温かくなって、少年が歩いてこれる季節です。けれど、少年は来ません。もしかしたら、忘れてしまったのかもしれないと、龍は、悲しくて泣きました。

 この桜が散る姿を、ふたりで見たかったのに……少年は桜が散っても、山吹が咲いても、姿を見せないのです。

 昼間は、さすがに、人里へ降りることはできません。龍は夜まで待って、そっと、少年の家を訪ねました。
 窓に近寄ると、少年は静かに眠っていました。それを見たら、龍は腹が立ったので、窓をコツンコツンと風で叩きました。眠っている少年が、そっと眼を開けて起き上がりました。それから、のろのろと窓まで近寄って、それを開きます。

「……ごめん…………」
「なぜ? 呼んでくれないのです?」
「……風邪をひいたから……まだ、散歩もできないんだ。……ごめんね……」

 こほこほと、少年はセキをして、ぺこりと頭を下げました。それならば、仕方がないと、龍は思いました。

「なら、お見舞いです。」

 自分の住んでいる海の傍に咲いている山吹の枝を、少年に差し出しました。もし、忘れていたなら、これで思い出してもらおうと持ってきたものです。それを受け取ると、少年は、「ありがとう」と、笑いました。





   







 何日かに一度、龍は、少年の枕元へお見舞いの枝や花を届けました。いい匂いの山椒や黒モジ、ちょっと変わったマムシ草、それから静かに咲くひめじおん、透かしユリやテッポウユリ、どれも少年は嬉しそうに受け取ります。けれど、何日しても、季節が夏に変わっても、少年は治らないセキをしています。そのうち、起き上がることができなくなって、窓へと手を伸ばすだけになりました。
 龍にはわかりません。だって、龍は人間ではないから、病気のことなんて知らないのです。

「なぜ、治らないのです?」

 ある日、そろそろ、夏が終わろうという頃に、色とりどりのコスモスを手渡して、龍は尋ねました。
「…うん……治らないんだ……そろそろ、ここにはいられなくなるから……」
「どうして?」
「病院に入らなければいけないんだって。………僕が生まれ変わったら、魚になって会いに行くから、それまでお別れだ。」

 少年は説明されていなくても知っていました。寂しそうに、少年は約束をしました。

「なら、私が変えてさしあげられます。魚がいいんですか?」

 龍は長生きで、神通力というものも持っていたので、少年を魚に変えることができました。だから、少年がそうなりたいと願うなら、そうしてあけたいと思ったのです。だって、龍だって寂しいのです。
ずっと、ひとりで海に住んでいるのです。仲良くなった少年がいなくなるのはイヤでした。

「……ごめんね……今はダメ……待っててくれる?」
「ええ、お待ちしています。」
 うっすらと微笑んで、少年は龍の少女と指きりをしました。

 次に龍が、都忘れ草を届けた時には、少年の寝床は空になっていました。
 ……ああ、街に下りたのだ……戻っては来ないのだろう……。



 金木犀が咲き

 紅葉が色づいて

 椿が咲き

 雪が積もり

 福寿草が咲いて

 山茶花が咲いて

 レンギョウが咲き

 桜が散り

 山吹が咲き

 アジサイが森となり

  
 そうやって、季節は変わっていきます。けれど、龍は、約束を信じて待ちました。
 あの少年の家に人気がなくなって、どんどんと寂れていく姿を見守り、やがて、そこが草木のツルに覆われてしまうまで、ずっと、見守っていました。きっと、あの約束は時間がかかるのだろうと、しばらくは海の底で、ゆっくりと身を沈めて待っていました。




   







「そんな堪え性があると思うかい?」
「ございませんね。」
「……ほらね。だから、これは却下だ。」

 ぽんと、認められた書を机に放り出して、水晶宮の主人殿は笑った。
 祐筆のものたちが、自分たちの歴史を纏めると言い出したので、許可をした。本当は、纏めてもらうほどのものではないが、とりあえず、歴代の水晶宮の主人夫婦の慣わしであるから、ということで、ほぼ強制的に始められた。本来は、水晶宮の主人の位に即位してからのことが綴られるものだが、この度の主人が、人間だったので、そこからの出会いなどを織り込むということになった。いわゆる、序章というものだ。

「ですが、『華梨様が、ナンパした。』なんて、後世まで記録に残すのは、如何なものですか? ここは、ひとつ、御伽噺風に優しい表現で著すのがよろしいのではありませんか。」

 祐筆のものを纏めている相国の蔡が苦笑する。これは、歴代の夫婦の記録として後世に残すものなので、そんな即物的なことは書きたくないというのが内情だ。できるだけ神格を穢さない内容であることが望ましい。それに、自分の主人は、おそらく竜族の歴史上で、最も高名で絶大な能力を有した水晶宮の主人として覚えられるはずだ。それならば、できる限り、その姿を崩さないほうが望ましい。

「『ナンパ』がダメなら、『拉致した』でもいいんじゃないの?」
「あら、背の君、それはあんまりですわ。せめて、『求婚して、連れ戻った』ぐらいで、ご勘弁くださいな。」
「じゃあ、『テイクアウト』とか?」
作品名:海竜王 約束を 作家名:篠義