小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

炎の女アン・ブーリン物語/ヘンリー8世と6人の妻

INDEX|3ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

ようするに要するに兄弟の未亡人との再婚を タブーとしたのは、もともと兄と弟が一人の女を争って対立しないよう諫めたレビ記の内容を拡大解釈したものと考えられるのだ。
 だとするなら、何らキャサリンとの結婚に問題はない・・というのが大方の意見だった。

 しかも、もし兄弟の未亡人との結婚がいけないものなら、アンの姉と子供まで作るほど親密だったヘンリーがアンと結婚することも禁止ということになる。
 当然ヘンリーは怒った。それ以上にアンは怒った。
 オックスフォード大学の博士達に圧力をかけて強引に離婚は正しいという結論を出させた。
 法王にも脅しをかけ、ヨーロッパ中の学者達に金をばらまいた。
 しかし、離婚に賛同する声はほとんどなかった。


 離婚交渉はなかなか進まなかったが、アンはすでに王妃のようにふるまった。
 キャサリンの侍女を見ては
「スペイン人など海に沈めばいい!」と罵る。
 無礼な言動に「あなたも王妃様の侍女なのですよ」と窘められると、「あんな女に仕えるぐらいなら、死刑になるのを見た方がましだわ」と答えた。

 王の寵臣ウールジーへの復讐も忘れていなかった。
(私とパーシーの仲を裂いた男!)
 アンはウールジーが法王との交渉に失敗したのにつけ込んで、ヘンリーに悪口を吹き込み、ついにこれを失脚させてしまった。
 スペインと対抗するためにフランスと和平を結ぶ会場にも、王妃の代わりにアンが参列した。その準備に、何とキャサリンの所有する王妃の宝石をよこせと要求した。
 キャサリンは拒否したが、ヘンリーに脅されてやむなく宝石を引き渡した。
しかし、和平の式場では、フランス王妃も王妹も大貴族からも総スカンを喰った。
アンの悪評は、ヨーロッパ中に知れ渡っていたのだ。

 そうこうしているうちに6年の歳月が流れた。
「もう我慢できません!私は別の男性との結婚を諦めて、青春時代を
 陛下に捧げたのに、ちっとも王妃になれないじゃありませんか」
 アンはそういって泣いた。もう別れたい、とまで言い出した。
「待ってくれ。まだ諦めるのは早い。朕(わたし)には考えがある」
ヘンリーはある決意をうち明けた。

 それはローマ法王との決別だった。
 ヘンリーはついに法王の許可を貰うことを諦めた。
 考えてみれば、この国は英国人のもののはずなのに、結婚から離婚から宗教関係全て遠いローマまかせで、しかも莫大な年貢まで納めている。
「もういい!この国はローマの植民地ではないのだぞ。」
 ヘンリーは国中の僧侶に国王を選ぶかローマ法王を選ぶかを迫り、法王を選んだ者は残虐に処刑した。
 震え上がった高位聖職者たちは、ついにヘンリーの離婚が正当なものだと宣言した。以降、英国内の問題は全て英国内で処理する事ができるようになった。ヘンリーが誰と結婚しようと自由になった。

「もうそろそろいいだろう?」
 ヘンリーはアンを抱き寄せて、唇を重ねようとする。
「あ…いや、待って」
 アンは笑いながら、するりとヘンリーの腕から逃れた。
「王妃になるには、私の身分が低いままではイヤ。とっておきの貴婦人の地位を与えてちょうだい」
 ヘンリーはさっそくペンブルック女侯爵の地位を与え、王妹で今はサフォーク公爵夫人になっているメアリーよりも上座の席を与えた。
 2人はその夜、初めて結ばれた…。
 
                 
 翌年1533年1月、アンが妊娠した。
 ヘンリーは英国内において、自分が政治でも教会でも最高の地位にあるという宣言である「首長令」を発表した。
 次はアンとの結婚式である。
「やっと王妃になれるのね。きっとお腹の子供は男の子よ」
「ついに跡継ぎができるのか。名前はヘンリーがいいかな?それとも祖父の名にちなんでエドワードがいいかな。」

 1533年5月、アンは王妃として戴冠すべく、ロンドン塔のクイーンズハウスへ船で移動した。翌日豪華な紅のガウンに長い黒い髪を垂らし、キャサリンか ら取り上げた宝石で身を飾ってウエストミンスター寺院へ向かった。何もかもキャサリンと同じ道順だった。
 ただ違っていたのは、道の両側に押しかけた群衆が、歓声を上げる代わりに不気味なほど沈黙しているか、罵声を上げているかのどちらかだった。

  ロンドン市民は、この強引な戴冠式に誰も賛成していなかった。皆の胸に、王妃はキャサリン一人だという思いが刻まれていたのだ。そうした反感を振り切るように、アンの頭には王妃の冠が載せられた。
 その瞬間、聖歌隊が神を讃える「デ・デウム」の曲を高らかに歌い上げた。
(ついに、ついにやったわ!私は英国の王妃なのよ!)

 念願の結婚式を終えて、相変わらずアンは有頂天だったが、ヘンリーの胸には奇妙な空しさが残った。
 手に入れてみると、アンもまた他の女と大差のない、ごく普通の女に見えた。
 ヘンリーの興味は、たちまち愛人候補を求めて宮中の美人へ向けられた。
 それに気づいて、アンはヒステリーを起こした。以前なら黙っていたかも知れないが、今回は違っていた。ヘンリーは苦々しく言い返したのだ。
「朕(わたし)はおまえを王妃にしたが、いつだってその座から引きずり下ろすことができるのだからな」

 アンは初めて気がついた。今まで女王のように振る舞えたのは、ヘンリーが夢中だったからだ。
 キャサリンのように、生まれつきの王女でもなんでもない。ヘンリーがいなければ、ただの平民上がりの貴族の娘に過ぎないのだ。いつ他の女が愛人から王妃候補になってもおかしくない。そう思うと、ますますアンはヒステリックになっていった。

 いよいよアンの出産が近づいた。誇らしげに大きなお腹を見せて歩くアンは、絶対に男の子だと確信していた。1533年9月7日、陣痛が始まった。産室のあるグリニッジ宮殿は騒然となった。

 シェークスピアは戯曲「ヘンリー8世」の中で、この時の情景をこう書いている。
 ヘンリー「産まれたのは男か?女か?」
   産婆「陛下がお好きな方でございます。」
 ヘンリー「男の子がいい」
   産婆「将来男の子を沢山産む、女の子でございます。」

 産まれたのは女の子だった。後のエリザベス1世の誕生である。ヘンリーは露骨にガッカリして見せた。
 アンは再びヒステリックになり、子供が女だったのは、キャサリンとメアリーの呪いのせいだ、とわめいた。
 2人を処刑するようヘンリーに迫った。が、キャサリンを殺せばヨーロッパ中を敵に回すことになりかねないし、我が子メアリーを死刑になどできるはずもない。
「それならエリザベスをメアリーの代わりに、すぐ皇太女にして下さい。」
 アンはそうヘンリーに迫った。さっそく王位継承法が改正され、将来の王位はエリザベスのものに…元の皇太女メアリーは王女の位を奪われた。

 17歳のメアリーは母親から引き離され、宮中から追放された。
 メアリーはどんな仕打ちを受けても、決してアンの存在を認めようとはしなかった。母のキャサリン同様、いつ処刑されてもよい、と決意を固めていた。
 2人を殺すことができないと知ると、アンは復讐のためにメアリーに侍女としてエリザベスに仕えるよう命じた。